見出し画像

感情は余すことなく行動に繋げていきたい

どうも、ryoseiです。

本題に入るので敬語抜きます。


私は高校生の時か浪人生の時か忘れたが、一つのモットーができた。

それは、タイトルにもある通り、

『感情は余すことなく行動に繋げる』

と言うものだ。


なんとも「意識高い系」の匂いが強いモットーで恥ずかしいが、「意識高い系」ではなく「意識が高い人」になれるよう気を付けている。

今日はこのモットーについて少し書いていこうかなと思う。


感情は生もの。行動の結果は一生もの。

私たちは何かを見たり触れたり考えたりしたとき、何かを思う。
さて、あなたは今日見た物考えたことに対して何を思ったか覚えてるだろうか?では昨日については?

私の言いたいことは、感情は時が経てば忘れてしまうものが多いということ。

戦争のニュースを見て心を痛めても、しばらくするとその感情は自分の中から姿を消す。
地震怖いなと思っても、備えをせずにまた地震の可能性を忘れて過ごしてしまう。
「やりたい」「あれをしよう」と思っても、しばらくするとその熱は冷めてしまう。


極端な話、何かを思っても行動しなければ思っていないことと一緒だ。
しかし、その感情をきっかけに何かを行動すれば、行動した結果(行動した事実や、得た物、影響など)が残る。


時間が経てば過去の物になる感情に、意味を与えられる

私たちはどうしても何かにつけて意味や意義を見出そうとしてしまう。これは良い事でもあるし悪い事でもある。
まあこのことについての考えは長くなりそうなので割愛する。
今回は意味や意義を求めることがいいことだとして話を進める。

私は昔、思いや感情が生まれてはすぐ消えていくことにもったいなさや切なさ、無意味さを感じていた。これがきっかけで「感情は余すことなく行動に繋げる」というモットーを思いついたのだ。

「嬉しい」「悲しい」「かわいそう」「役に立ちたい」「頑張りたい」「〇〇したい」…
せっかくそう思えたのに、そう考えれたのに、何も行動せずにそのきっかけを失ってしまうのは、何かのチャンスを捨てているように感じる。


「良い感情」「正しい感情」なら行動に臆さず移そう!

感情は余すことなく行動に繋げる」というのはあくまでモットーであるため、実際は行動に繋げる感情を選ばなければならない。


モットーでは「余すことなく」と言っているが、すべての感情を行動に繋げることは到底無理だ。一つ一つの感情に従って行動するとなると、逆に振り回されてしまうし、そもそもそんな余裕はない。
それに、言うまでもないことだが、「そうしたいと思ったから」ということで不倫や浮気、犯罪など悪い事を正当化してはいけない。
「イラついたから」ということで何にでも怒っていいというわけでもない。

私が言いたいのは、「なるべく多くの感情を行動に繋げていきたいが、最低限、『良い感情・正しい感情』は行動に移していきたい」ということだ。
(「正しい」「正しくない」の議論は難しいので、話を簡単にするために世間一般で正しいと言えることと思ってほしい。)

例えば、
〇戦争に巻き込まれた民間人の力になりたい
〇病気で苦しむ人が減ってほしい
〇社会を明るくしたい
〇身近な人に感謝の気持ちを伝えたい

色々あると思う。
自分の中に「良い感情」「正しい感情」が芽生えたら、その感情を表現・実現するための行動を取っていきたい。
具体的にどうするかはそれから考えればいい。


まとめ

感情は余すことなく行動に繋げる」という私のモットーと、それについて色々書いてきた。
「思っただけで特に何もしてこなかった」ことなんて数えきれないほどある。それでも別にいいと思うが、これから数ある「思ったこと」を、少しでも行動に移せば、人生がより豊かになる気がする。
私のnoteの記事も、その「思ったこと」や「感情」をきっかけとした行動の結果なので、見届けてもらえると嬉しい。
私も他の作者の行動の結果を見てみたい。





今日の記事はここまでです。
ちょっと長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
よかったらスキやフォローお願いします。
それではまた別の記事でお会いしましょう!

「結構面白かった!」 「役に立ったかも!役に立ちそう!」 「ryoseiを応援してあげてもいいかもな。」 僕の記事を読んでそのように思っていただけたら、ぜひ100円サポートお願いします。 大学生活をより良くするために使いたいと思います。 お願いします!