りん

ASD 、ADHD、SAD 、うつ病で、AC疑惑です。発達障害をもっと知ってほしい。自…

りん

ASD 、ADHD、SAD 、うつ病で、AC疑惑です。発達障害をもっと知ってほしい。自分の思いは、一人でも多くの人を褒めて救いたい。そして、ありがとうを言葉にしたい、です。「少しでも自分も、みんなもプラスな生き方になれますように」

最近の記事

りくつ?

幼いうちに学ぶことはいわば従ってるだけという状態で理屈は置いてけぼりになる。自分もそうだったように思う。 けど、理屈がわかってはじめて納得する…。マニュアルがあると動きやすいみたいに。うまく説明できないけれど、はっきりとしたものはわかりやすい。 これはこういうことだから、と言われても困る。疑問を感じて聞けるのであればまだいいかもしれないが、その行動の意味がわからなければ、行動に移すことができないように思う。 社会のルールもそうなような気がする…

    • 症状の伝えにくさ

      誰しもが経験したことあると思う。 例えば「あたまいたい(頭痛)」。 ・片方だけなのか ・両側なのか ・ズキズキ痛むのか ・キリキリ痛むのか ・殴られたような痛みなのか などなど。表現はさまざまである一方、曖昧だなと思ってしまう。擦り傷や切り傷などと違って、自分しか痛み方がわからないからだとも思う。言葉を変えたら目に見えない痛み。毎回検査受けてとしていたら大変なことになってしまう。費用もだし、身体にも良くない。かといって、手軽に不安だからと診察を受けるのもためらっ

      • 突然の気分の波

        上がったり下がったり… ついいわゆる定型発達の人たちはどうなんだろう…とか思ってしまう。些細と思われるかもしれない出来事で、傷つき、後に引き、切り替えがなかなかできない。それをわかってくれる人ならまだ安心できる。近づかないけど、見守る優しさみたいな感じ。(うまく表現できないや…) どうしたらいいんだろうね。 社交不安障害の中にある視線恐怖や対人恐怖などなどの不安障害の一種。過度に不安になるから、ということが判断の1つの基準と以前聞いたことがある。 悪くいうつもりはない

        • ぬりえ

          人それぞれ思い思いに塗っていくため、できあがりが違う。濃い人もいれば、薄い人もいる。色鉛筆で塗る人もいれば、クレヨンで塗る人もいる。見本どおりに塗る人もいれば、自分が感じた色で塗る人もいる。 ぬりえって不思議。 色彩として、色を塗る(作業)として、心の安定にもつながると言われている。 これもまた、すべて同じ!が生まれないもの。

        りくつ?

          体調不良とお薬

          ものによっては空腹感のときに飲んではいけないものがあったりする。けど、場合によってはこのことを考えられない場合もある。 寝不足でも頭痛いし、寝過ぎでも頭痛い…複雑なこと… 発生原因は別としてだけどね。 食欲不振とかのときに空腹感のときに飲んだらだめな薬を飲まなくてはいけない時(例えば鎮痛剤など)、大変。痛みを我慢するのがいいのか、食欲不振を無理して何かしらいれたほうがいいのか… 困ったものだ。

          体調不良とお薬

          生活しやすさを求めたい

          気分や体調の波がある。それに伴って家事など好きなことであってもできたりできなかったりする。必要最低限できたらいいとは思いつつ… 自分の力で、というのは限界があるように思う。甘えとかではなく、手を抜くことができそうでできないからである。手を抜く場面を間違うということもあると思う。 「しんどさ」で片付けられる話ではないかもしれないが、これではどの位置にいるとしてもしんどいになる気がして仕方がない。 楽を求めたいのではない。生活しやすさ=楽ではなく、生活しやすさ=心の安定なの

          生活しやすさを求めたい

          優位な立場にいる人たち

          学校現場で考えると先生はまず優位な位置にいる。教えるのが仕事のため、それはあっていいことだと思う。ただ、理解することができないからと質問しにいったりすると、「そんなこともわからないの?ここに書いてあるじゃん」といった表情をされたことがある。 わからない、理解できない中でも、順序のつながりが理解てきなかったり、こだわりなのか一箇所につまずいたらそこの謎が解けるまで次に進めなかったりする。 かといって、授業中に質問は難しいので授業後に質問にいったりする。ただでさえ、先生を呼ぶ

          優位な立場にいる人たち

          同じもの??

          ビー玉やおはじきなどキラキラしたものが好き。ずっとみてられるかもしれない。 ビー玉を熱して氷水で冷やして中が割ったのが素敵、みたいな内容を読んだことあるけど、わたしはそうは思わないかな。(試してないけど) 同じビー玉というのがないと思ってる。柄は一緒でも、微妙なずれ(いい意味で)があったりで全く同じがない。 ぬいぐるみもそう。同じプーさんでもどれでもいいわけではない。1つの種類の中で、色んな顔がある。作り方は同じなはず。だけどそれまでに運ばれた状態とかだったりで左右の目

          同じもの??

          noteを書く上でも短期記憶問題は少々響いてくるのかもしれない

          人それぞれ使い方は異なると思うけど、自分の場合は、「思いついたことを思いついたままに書いている。」 でも、長期記憶・短期記憶として考えた場合、書いたことを覚えてなかったりする。たまに題名を同じにしてしまったり、内容が同じではないか確認したり… こうならないようになにか工夫したいけど、でも、何回も思うといういうことはそれほど気になるということに気持ちを切り替えてみた。 書いて落ち着くのもあれば、書いたはずなのになんだか落ち着かない。答えがない気もする。だから深く考えずに、

          noteを書く上でも短期記憶問題は少々響いてくるのかもしれない

          思い出すという作業

          過去にどんなことがあったとしても思い出すのに時間はかかる。いいことよりもよくないとのほうが覚えているため、精神的な意味でも引っ張れやすかったりする。 自分は果たしてこの作業をやっていていいのだろうか。 不安を落ち着かせるための事柄なはずなのに、これに対して不安になっている。 引き出しをしめてあげたい、しめたい、という気持ちはかわらない。でも、いまのようにふっと映像が出てこなくなるんじゃないかとも思ったりする。 嫌なことだったら出てこないほうがいいことなのかもしれないけ

          思い出すという作業

          そろばんの冒険

          そろばんは知識がつく前の幼いうちから、と聞いたことがある。たしかに別の方法で足し算や引き算などを学べばそっちの方法で計算してしまう。 いまのさくらんぼ算にも使える「5になる数」などが大事になってくる。さくらんぼ算以外にも便利だが、書くときに思いついたのがさくらんぼ算だったので、例としてあげさせてもらった。 そろばんは頭を使う。 そろばんは指の体操になる。 そろばんパチパチ(玉をはじく音)。 こんなそろばんだけど、興味はいつ出てもいいと思う。パチパチやる日々を送りつつ

          そろばんの冒険

          数字と時間

          1日には24時間存在する。数え方としてお昼の12時を過ぎれば、13時、14時と1時、2時とはまた違った言い方になる。それが習慣として言っていたり、手帳などに書き込んでいる方はおそらく問題ないと思う。 13時→午後1時 14時→午後2時 15時→午後3時 16時→午後4時 17時→午後5時 18時→午後6時 19時→午後7時 20時→午後8時 21時→午後9時 22時→午後10時 23時→午後11時 24時→午後12時 こうやって順番にすると多少問題な

          数字と時間

          書くことが思いつかない

          書き続けるということをしたいのに、書きたいと思うことが見つからないから書けない。だから、書くことが思いつかないことを書くことにした。シェアしたいもの、発信したいもの、が思いつかないってなんだか寂しい気持ちもする。 寒いから散歩行く気にもならないけど、記事探しにちょこっと散歩でもしようかな。

          書くことが思いつかない

          イントネーションの難しさ

          「ゲームをしてる。」と「ゲームしてる?」の違いは、最後にしかない。文字に表すとすぐわかりますが、言葉だとイントネーションだったりが頼りになってくる。難しい。 ゲームしてる。と言いたい時、ゲームしてるまるとまで言うことも多々ある。 *ゲームはあくまで一例です。

          イントネーションの難しさ

          あえて〜する

          「細かいところによく気づく」 これはメリットであると同時にデメリットでもある。先回り先回りして、相手のために物事を進めておいたりする。いわば憶測だけでやることでもあるので、失敗(相手が不満そうにしているなど)するとこっちの調子が崩れてしまう。 あえて先回りする、をあえてスルーする(してみる)。 一見いじわるな人に見えるかもしれないが、冒険(練習)をしていくのも大事だと思った。 習慣のような、癖のようなものでもあるので、少しずつ辞められるようにしていきたい。

          あえて〜する

          食べるものへのエネルギー

          ファストフード店などの飲食店で一人ではあまり冒険しないタイプである。いつもと同じが安心するというのもあるし、頼む際に緊張してその際に得られた安堵感もあるため、興味を持っても一人では注文しない。仮に苦手な料理だった場合、お残しということになってしまうので、できたら友人など誰かといるときに冒険してみたい。 料理… 言い訳ぽく聞こえてしまうかもしれないが、できるだけ料理はしたくない。可能ならせいぜい電子レンジであたためるくらいだ。栄養点からいったら偏ってるに違いない。すぐ食べら

          食べるものへのエネルギー