見出し画像

成人式で『コミュニティーへの依存』について考えさせられた話

今回はエッセイでも映画の感想でもなく、自分の話をしようと思う。『パーソナルな文章になればなるほどつまらないものになる。』という文言は胸の奥底に深く刻まれているつもりだ。わたしの素性を知らない方からしたらどこの馬の骨かも分からない奴の人間関係なんて知ったこっちゃないだろうけど、読んで下さったらうれしいです。


***


わたしは中学時代の友人とすごく仲が良い。よくつるむのは数人で、ひとつのグループを形成している。ありがたいことに卒業した今でも映画や外食に行くときなんかは誘ったり誘われたりする。このコミュニティーはゲーム好きの人間が多く、夜には通話をしながらネット対戦をして盛り上がっている。みんなに影響を受けてわたしも同じソフトを購入し、興じてみたりした。しかし、"ゲームを続ける才能"を持っていないのかすぐに飽きてやらなくなってしまう。

これでみんなと一緒に盛り上がれるぞ、と心を躍らせて買いに行ったはいいが、翌月には国道沿いのブックオフでソフトを換金している自分がそこにはいた。わたしのニンテンドースイッチライトは、単なるオブジェとなって家で悲しく正座をしている。

"ゲームを続ける才能"を持ち合わせていない。今後新しく購入することはほぼないだろうと思った。

一方友人は対戦型のもの、バトルロワイヤル形式のものなど次々にハマっていった。バイトが終わってLINEを見ると、高確率で「誰か一緒にゲームやろうぜ」という旨のメッセージが送信され、その下には「22時からでいい?」という返信が記録されていた。ある日の帰り道、グループ通話が行われていたので入ってみた。何やら対戦型のものをやっているようで、ゲーム内のキャラの連携のためか「そっちに敵いる」といった指示の声が聞こえてきた。

わたしはマイクの向こうの彼らに喋りかけたが、没頭しているのかぬるい返事しか返ってこない。アクションゲームの最中に話しかけた自分にも非はあるが、何より終始こちらの発言をちゃんと聞かず適当に返している様に腹が立った。
「今集中してるからごめんね」という断りのひとつやふたつはあってもよかったのでは、と思う。

それ以来わたしは勝手に疎外感を感じている。


***


先日成人式があった。いつものメンツよりもなかなか会えない人間と接することを心掛けた。小学生のころ週4で遊んでいたのに今では疎遠になってしまった友人とまた意気投合したり、己の考え方を面倒くさがらずにさらけ出してくれる友人に敬意を抱いたりと、いつもとは違った新鮮な気持ちになった。

「どういう思考をしているのか」といったものから「何に心を突き動かされるのか」「何に楽しさを感じるのか」といったものまで、何があなたをあなたたらしめているのかという人間の根幹の話をした。その時間はとても楽しく、言葉を交わすわたしたちの周りはあたたかいベールで包まれていた。


スプラトゥーンというインクを塗りたくるゲームについての話をしていたのではない。そこでは生々しい人間の会話、広義的に捉えるならば哲学的な会話が行われていたのである。非常に心地の良い空間だった。

自宅までの帰り道、わたしは人間関係について考えた。勝手に心で飼い始めた疎外感という灰色の塊とも顔を向き合わせる。


思考した末に、わたしは中学時代の友人のコミュニティーに強く依存していたんだな、という回答に辿り着いた。途端に死ぬほど恥ずかしくなって顔面が赤くなった。心がその事実を認めまいと必死になって目をそらそうとしている。あまりにも肥大化した己のプライドがその事実を認めまいと叫んでいる。

「あなたには友達が少ない」「特定のグループのみで生きているあなたはあまりにも狭い世界で生きている」「故に思考の幅が狭く、偏りがちである」
どれも全部的を射ている。これらを認めたくない気持ちは確かにあるけど、それと同じぐらいいつかはこれらを受け止めなければならない、とも心の隅で思っていた。鋭利な刃物で心を抉るようなこの事実をわたしはしかと認識し、直視しなければならない。


***


『人間という生き物は自由な時間ができると自分のことばかりを考えてしまう。』

と言われているが、これは本当だなと実感する。四六時中自分の内面、しょうもないこと、答えのでない問いを自らにぶつけている。ありがたいことに「考えすぎだから一旦考えるのやめなよ」という助言も頂くが、性格上なかなか難しいだろうなと感じていて、これには少なからず諦観の念も含まれているだろう。

お気楽な脳死人間に成り下がるぐらいだったら、このまましょうもない事を永遠に思考する変な人間のままで構わないと強く思う。これはだいぶ感情的な発言になってしまった。


***


1月10日以降、わたしは今まで属していたグループから距離をとっている。友人が嫌いになったとかそういうのではなく、依存先からは一定の距離を空けた方がいいのかな~、という安直な考えのもと行動に移している。これが正解なのか定かではない(むしろ失敗なのかもしれない)が、実験的なものとして位置付けている。

なんとそうしたら見事に友人との接し方を忘れてしまった。今までどうやってコミュニケーションをとっていたのだろうか。どれぐらいの距離感で接していたのだろう。何の話題で盛り上がり、ゲラゲラと笑っていたのだろう。全く自分の不器用さには頭を抱える。わたしは人間、ひいては生き物と接するセンスがないのである。そんな能力は持ち合わせていないのだ。

不器用すぎてため息が出てくる。今現在も上手く距離感をつかめていない。


***


わたしは成人式で「コミュニティーへの依存」という観点から人間関係をもっと深く考えろと神様?に突きつけられた。それ以降このようなことをずっと考えているが、「距離感」「依存」のどの問いの答えも未だ出せていない。



いつかは人間という生き物とちゃんと接することができるようになりたい。




***



前半は愚痴のようになってしまったが、ゲームを貶したり、知人の悪口を言いたいという意図はないのでそこはご理解頂きたい。






以上乱れに乱れた個人的なデイリーでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?