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【△の日常】楽しく手を抜きたい

昨今、インターネット上では様々な知恵が飛び交い、いわゆる「手抜き飯」についても多種多様な情報を得ることができる。

○○を◇◇で代用すると簡単、だとか
疲れた日は□□するだけ、だとか。

自分では思いもよらないようなアイデアに遭遇できたり、その手軽さに見合わないほどおいしくてハマってしまうものがあったり、わたしもその恩恵を受けている。

でも、時々思うのだ。「手抜き」の基準は人によって違う、と。
「こうすると楽だよ」と聞いて、ある人は「本当だ!」と喜び、ある人は「前からそうしてるけど、わたしいつも手抜きしてるってことなの?」と落ち込み、またある人は「そんな手間のかかることやろうと思えない」と懐疑的になるかもしれない。

そもそも、手を抜く前(普通に作る食事)とて、手のかけ方は人それぞれだ。「何をもって手を抜いたと言えるか」にも当然、個人差がある。わたしは自分が楽に作れて自分(の胃と気持ち)が満たされれば、それが最高の手抜き飯だと思っている。

ここまで「個人差」を強調してきたが、手抜きには「ケースバイケース」の側面もある。楽をしたいけどあれくらいなら頑張れそう、今日はもうなんにもする気になれない、などなど。

ここで紹介したい本がある。その名も力尽きレシピ

先日、書店で見かけて、おもしろい構成だと思った。その日の疲れ具合や残りのエネルギーに応じてごはんを用意しましょう、という提案だ。リンク先の目次からもわかるように、その日の自分の余力を5%, 20%, 60%, 80%の4段階から選択し、そのエネルギーでできることをする。なんて合理的なのだろう。まだ購入していないけれど、そのうち買ってしまいそう。

(買ってもいないものを「紹介」だなんて言って、ごめんなさい。)

あと、食材の都合も忘れてはいけない。いくら簡単にできるレシピを提示されても、そこで使う食材を持ち合わせていなければ、買い物の手間が生じてしまう。
これも個人差のあることだろうが、わたしにとっての手抜きは「今ある食材でできる」ことを指す。手持ちの食材があまりに乏しい場合は別として。

ネット上で「手抜き飯」と括られているものは、基本的に個人差や環境差について書かれていないから、つい「よその手抜き」「うちの手抜き」を比べてしまいがち。でも、比べるという行為は、せっかくの手抜きを不幸にすると思う。何をしたら楽か、何ならばできるか、人と同じなはずはないのだから、実行したら幸せに思える方がいい。自分のために手を抜いて、自分を満たしてあげたい。

そんなわたしのある日の昼食:手抜きチャーハン
えのき→残りを全部使うので袋の中で切る、まな板を洗わなくていい
ちりめんじゃこ→残りを全部使うので、がさっと出すだけ
卵→一時期フライパンに直接割り入れてほぐしていたことがあるけど、焼きあがりに納得できないので、別皿で溶き卵にしてから使う(ここでは手抜きよりも、食べるときの満足感を優先)
冷やご飯→ごはん炊いてくれた昨日のわたし、ありがとう
味つけ→ちりめんじゃこが多かったから控えめにしておこう、目分量

誰がなんと言おうと、わたしは楽に作れたし、わたし(の胃と気持ち)は満たされたんです。もう少し余力があれば、玉ねぎのみじん切りも加えていたかもね。
最高の手抜き飯、ごちそうさま。

珍しく、常体メインのnoteになりました。どんな書き方を取っても、書くのが楽しいことには変わりないようです。
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