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長女の疾病の発覚と手術。育休取得を経て180度変化した価値観。そして県庁を退職した。

結論から先にお話しすると、2度の育休を経験する事により私の仕事に対する価値観、対価としてのお給料、家族のあるべき姿に対する考えは180度変わった。結果として長女の誕生から2年半後、私は県庁職員を退職して主夫への転身を決意した。

令和3年6月長女の誕生

 予定外の帝王切開と出産直前の検査で発覚した口唇裂という疾患(唇がウサギのように縦に切れている状態で産まれてくること。3パーセント程度の出現率)であったが長女は元気に誕生した。普通の哺乳瓶や妻の乳首からはミルクが飲めず、専用の哺乳瓶でゆっくり30分程度時間をかけて飲ませるのは昼夜問わず大変であったが、この想定外の疾患によって娘が手術を受けるまでの3ヶ月間、私は急遽、育休を取得する運びとなった。それまでも私は育休に興味はあったものの、職場である保健所ではまだ男性の育児休暇の前例は聞いた事がなかったし、男性の育児休暇取得が浸透しておらず諦めていた。
 
 育休中の私のミッションは主に、3食の食事と掃除、夜中のミルクや買い出しである。睡眠不足が続いたが赤ちゃんと一緒に昼寝する事もあったのでこの期間は楽しく過ごす事ができた。大変だったのは職場の方で、公務員には代替職員制度はないので私の業務はそのまま上司が自分の業務にプラスという形で対応する事となった。ケースワーカーという専門的な仕事だった事から、誰もが代理でできる業務ではないのだ。おそらく上司は土日も休みなく出勤していた事だろう。死ぬまで足を向けて寝られない。

 3ヶ月後の10月。無事に手術も終わり、退院から1週間後私は職場に復帰した。これは我が家の育児休暇のまだまだ第一章。虎舞竜のロードで言えばまだイントロが終わったばかりだ。

職場復帰後から2年後の今年の6月。妻が突然動かなくなった。

 職場復帰した私はフレックス勤務などの制度を使って早出早帰りなどを心がけていたが、勤務先が保健所から県庁に異動となった事に伴い、また深夜までの勤務が増えてきていた。その分、土日は家族サービスに励んでいたが。綻びはまず妻の腰に現れた。深夜に帰宅する私は数ヶ月の間、妻と娘とは別の部屋で寝起きしていた。その間、娘は妻のお腹の上で亀の子のように妻に覆い被さる状態で入眠するのが常だったようだ。バッキバキになった妻の腰。そして腰痛からの不眠によって更に頭痛がトッピングされる事となった。そしてある日の朝、妻はベッドに横たわったまま動かなくなった。そして『もう育児なんて嫌。耐えられない』と無表情に言った。

保健センターとメンタルクリニック

 即座に妻の了解を得て近所の保健センターの保健師に現状を訴えたところ、わずか10分で我が家に二人の保健師が面談に来てくれた。保健師の顔を見るなり泣き出す妻。この状況、いつか職場で見た産後鬱のセーフティーネット相談動画と全く同じではないか。まさか我が家がそんな状況になるとは。
 保健師の助言によりその日の午後にメンタルクリニックで睡眠薬と抗不安薬を処方いただき、翌日から再度急遽の育休突入となった。

2歳児以上の育休は無給!!

 今回の育休はタイミング的にはちょうど娘の2歳の誕生日の後からスタートであったが、上司曰く、2歳児以上は給料が出ないと。え??以前の育休は8割くらい給料出たけど、今回は育休は取得できても給料が出ない??
 よくよく制度を調べると育児休暇は3歳の誕生日まで計2回取得できるが、2歳の誕生日以降は給料はゼロと明記されていた。
 いくら少ない地方公務員の給料でも25万円程度の手取りがなくなるのはなかなかなダメージではないか。これでは安心して長期の育休は取れない。でも妻の心の回復にはどれだけ時間がかかるかわからない。
 そして2回目の育児休暇の期間延長は1度しかできないという制度も明記されていた。つまり、7月から育児休暇に入って2ヶ月間取得予定だとして、それを延長しますというオプションは1度しか使えないのだという。なんてユーザーに優しくない制度だろうか。
 結果として我が家は無給の中、2ヶ月半育児休暇を取得する事となる。この間、贅沢せずに質素な生活を心がけた。そして、この無給制度に文句を言うのではなく、前向きに「娘と過ごせる貴重な時間を自分の給料で買う」事とした。 
 仕事より家族の健康の方が大切だし、お金よりも家族との時間の方が大切な事は明らかであった。
 こうして2回目の育児休暇も2ヶ月を過ぎると妻の腰痛や頭痛、それと不眠も緩和されてきて9月中旬、私は職場へ復帰した。

職場復帰後、妻は海外移住の夢を語るようになる

 いつか娘と母子留学したい、いつか家族で海外移住したい。そんなような話は以前から妻の口から耳にしていた。だが、ある日妻は私にこういった『一生のおねがい。今ある貯金を使って来年にでも海外に数年間移住しよう。」と。
 あの育児に疲れていた妻が元気になるのであれば応援しない手はない。
 そして2回の育児休暇で私も、所詮仕事は仕事、人生一度きり、と言う事を痛感していた。妻が望んでいた海外暮らしをこのタイミングで実行に移す。悪くない選択だと思った。このまま県庁で仕事を続けて60歳で退職してから海外移住しても、体力も気力も衰えているだろうし、得られるものは少ないだろう。今であれば我々夫婦の脳みそにも学習する余地は残っているし、娘も保育園で現地語をマスターできるかもしれないし、色々なものを吸収する事ができる。
よし、退職しよう。心は決まった。

 日本人は勤勉だ。公務員はその中でも殊更勤勉だ。無駄に勤勉だ。サボれないしサボる術を知らない。昼休みは60分きっかりだし、仕事があれば真夜中までだって平気で働く。それも重箱の角をつつくような細かい資料を作成するために。そんなものなくたって社会は回るのだ。それは長年家族の我慢や本人の不健康の上に成り立ってきた。そろそろみんな気づいていい。たかが仕事ではないかと。
 誰もが知っているが、仕事をする為に生きている訳ではない。でも残念ながら実態はそうなっている事が多々あるのである。
 もしあの時に育児休暇を取らなかったら我が家は今頃どうなっていたのだろう。自分の気持ちや家族の健康を騙して仕事や職場を優先していたらどうなっていたのだろう。そうした時に結局誰が幸せになる事ができたのか。

そして主夫になる

 現在は有給休暇を消化しながら年末の退職を待っている状況である。そして海外移住の情報収集や持ち家の売却方法などを検討している。そしてこれから数年は私は主夫になる。海外移住をしたいと言った妻には、海外で生活している実感を得るために働いてもらう。私は育児に専念する。(ちなみに私は民間企業で働いていた10年ほど前に欧州に2年半駐在経験があり、多国籍オフィスで働いていた。妻と知り合ったのは帰国後の事である)
今回の海外生活では私には仕事ではなく、娘とバディーとなり毎日幼稚園に送迎する日々が待っているだろう。日本語が通じずに泣いて帰ってくるかもしれない。そんな娘を毎日励ますのが最大の仕事だ。
 こんな青写真は1年前の我が家には全くなかった。育児や仕事で精一杯だった。育児休暇取得により、我々は本来我々が求めていた物が何だったか、人生における優先順位は何であったかに気づく事ができた。2回とも想定外の育児休暇だったけれど。結果オーライである。 

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