嫌ならやめる、それは軽やかに生きるためのヒント
「嫌なら、やめたらええやん」
日曜日の昼下がりだったと思う。「お昼に」と焼いていた分厚いホットケーキを頬張りながら母は一言、あっさりとそう言った。
大阪の実家を出て、鎌倉へ引っ越そうと決めたのは昨年の秋だった。学生の頃からずっと通ってた、いつか住みたいと思っていた場所。
もちろん、適当に決めたわけじゃないよ。
長年の憧れを叶えて再スタートを切りたいって思った。
覚悟と意思を持って鎌倉行きを決めた。
それがね、少ししてやっぱり今は違うかもと思ってしまった。
環境が変わって、ちょうどSHElikesにも入会した頃で、そしたら気持ちも変わってきた。
でも私は、昔から無駄に完璧主義で石頭で。
1人でグルグル考えるもんだから視野も狭まって、猪みたいにまっすぐしか進めなくなって。いや、あれは完全に猪。
もう決めたことだから、行かなければならない。
それに、今更やめるだなんてダサすぎる。
決断したあの時の私は、周りの人は、何て言うかな。
また少しすれば、気が変わるはず。
マリッジブルーみたいなもんだろう、知らんけど。
少しの我慢だから、とモヤモヤを見ないようにしていました。
「やっぱり、行きたくないかも」
押し殺したままでいたかった感情がポロッと、ほとんど無意識に、気づいた時には言葉となって宙に舞っていた。やってしまった……と思った。
母の前では、不思議といつもそうなってしまうのはなんでだろう。
一度口にしてしまうと、心の中に留めていたはずの気持ちは 涙に変わってボロボロと零れ落ちる。
そんな私を見て母が言ったのが、冒頭の言葉だった。
嫌やのになんで行くん?
あまりにもあっさりと、そして呑気に。
手に持つフォークを置いた私を横目に母は、このホットケーキ上手に焼けたわぁ〜なんて言いながら続けた。
「自分で決めたんやろ?気が変わったならそれはそれ」
「誰のために行くん?」
私は誰のために、何のために心の声を無視しているのだろう。
自分で決めたから、変えてはいけないと思っていた。
一度した決断は、何があっても守るべきだと思ってた。
覚悟を決めたら、その道を歩むべきだと思ってた。
そんな人こそが、「強い人間」だと思っていたのかもしれない。
でも、気持ちは変わって当然だから。
変わったって誰も怒らないよ。
明日の朝はパンにしようと思っても、起きたら「やっぱり白米だな」なんて日もある。
「私、あの人のこと好きかも」ってカフェでキャピキャピ話していた数ヶ月後には、「あいつマジでないわ」なんてお酒片手に言っている時もある。
修学旅行で飛行機に乗ってから「キャビンアテンダントになりたい!」なんて言うようになったけど、数年後進路を決める時にはそんなことすっかり忘れて別の道に進んだ。
毎日がそんなことの連続で、人生がその延長ってだけで、その瞬間に心が躍るような選択をとればいいのだ。
何を感じてもそんな自分を受け入れる。
「あ、違うな」って感じたらそっと道を曲がればいいし、たまにはUターンすればいい。
「絶対」なんて、はじめからないからね。
というか、覚悟なんて決めるから苦しくなる。
「ま、嫌になればやめたらええんやで」ぐらいの方がちょうど良かったりするのかも。
それが、軽やかに生きていくためのヒントなのかもしれないね。
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