3/4 「毒親」という言葉が脳裏をよぎり始める帰省

広島には3週間程度いた。旦那は2月になる前にソロモン諸島に戻っていった。仕事があるからな!私は2月半ばまでいた。

旦那がいた間、私は友達や親の会話を、会話に参加しながら通訳しながら喋っていたので一日に発する言葉の量が普段の3倍になり顔の筋肉が酷使され、その上何を訳していいやら無視していいやらの判断を0.5秒単位で繰り返していて、とにかく半端ない心労でした。そのせいか旦那がソロモン諸島に戻る日の朝、物凄い頭が痛くて肩も凝っとって、見送りの空港に着いたら石油の匂いにウェってなってトイレで吐いたw

旦那が去ってからは通訳の必要がなくなって晴れて自由の身…ではあったんだけど、なんか家の空気が一気に冷めたっていうか。おもてなしムードがなくなって皆が素になったら、急に居心地が悪くなった。後々になって私の脳内に「毒親」という言葉が駆け巡ることになるんだけど。

久々に実家に帰ると、汚さに愕然とする。多分実家あるある。

汚いっていうか、物の多さ。床とかテーブルとか食器とか確かに「清潔」なんだけど、薄いカーペットが二重に敷かれとったりハロウィンの飾りが未だに出とったり。その横にシーサーの爪楊枝入れがあったり。埃を被ったラジカセが部屋の片隅に2台あったり。

前回の帰省ではそれを思いっきり母親に指摘して私が自ら掃除や一部処分もしたんだけど、ブチ切れられ泣き喚かれとにかく最悪の事態を招いた。それゆえ今回は公共エリアの雑然性は我慢し、しかし前回母親に言われた「あんたの部屋のクローゼットの物を捨てろ」を実行することにした(私の部屋のクローゼットはドアが開けられるだけ母のクローゼットよりましなのだが)。

最初はクローゼット内の断捨離が目的だったんだけど、断捨離ってエンジンかかると止まらないので結局部屋の外の色んな物も捨てて、随分すっきりと模様替えできた。出たゴミ袋の量は7つくらいだったか。3日かかった。

最初は一人で黙々とやっとったんだけど、何故か途中から母親がゴミの仕分けに入ってきて、「これはその他プラじゃなくて不燃物」とか色々言いながら捨てるの手伝ってくれた。あーそうなんだって感じでその基準に従ってやっとったけど、本人がゴミ袋の中身もたいして見ずにポイポイやるので、結局その他プラでいいものが不燃物の袋に入っていたり、最終的にゴミ袋の一部はカオスになった。

母親は昔プリザーブドフラワー?に凝っていた時期があってw、家のいたるところにそれが飾ってある。玄関だけで大小3つくらいあるかも。

いつからか作品の中の2つが私の部屋のピアノの上に飾ら……いや、無造作に置かれていたのだけど、それも普通に捨てたのよね。無残にむしり取られた、茶色い枝と粉々になった枯葉とマキビシみたいな実と針金みたいなのがゴミ袋に散乱しているのを見つけた母親は「せっかく作ったのに…」と呟いていた。

で私ふっつーに「持て余してたから私の部屋に置いたんでしょw」って言ったら、鬼のような形相で「そういうところお父さんにそっくり!!」と吐き捨てて去っていった。ゴミ袋の中にあるのを見るまで、長年これの存在すら忘れとったと断言してもいい。

その後も、捨てようと思っていたゴミ袋を、私の外出中に母親が捨てており「ほんと自分でやらないわよね」と言われたり等の不愉快なからみはあったけど部屋はすっかり綺麗になった。綺麗になったら、夕飯時以外は部屋に篭もるようになっていた。無意識に人は快適な空間を求めるんだなって感心したし、母親がいつもピリピリイライラしているのも家が物だらけで落ち着ける空間じゃないからではないかと結構マジで思っている。

私は父親には頼み事とかできるし雑談とかできる程度の良好な関係なんだけど、母親は怖い。前から怖かったけど最近もっと怖い。何を言っても、言わなくても、何をしても、しなくても悪い結果を招きそう、というか実際招いてる。なんか父親も私と母親に流れるいや~な空気を感じ取っているのかいないのか、夕飯の時とか話を必死に私に振り続けるし、私も必死に答え続けていた。各々の方法で母親の顔色をうかがっているようで居心地が悪かった。

実家に1週間以上いたら母親が何らかの理由で私にキレるのはお決まりのパターンだったので、私は小旅行に行くことを前々から決めていた。免許も更新できたので、行きたかった山口県の秋芳洞と萩に行って一泊した。レンタカーで。椎名林檎の「走れゎナンバー」をかけたよ。

小学生ぶりに秋芳洞行ったけど、洞窟はいいな。萩は新撰組に1ミリも興味がない私にはお呼びでない場所だった。萩焼が好きなので湯呑み買ったけど、家に帰って見るとなんでこれにしたんだろうっていう変なデザインだった。

しかし山口に行く前、こっちはようやくちゃんと一人になれるし、1日私が家におらんだけで母のイライラ値は下がるだろうと思っていたけど、レンタカーを借りに行く朝とか超機嫌悪かった。なんでやねん…と本当に困惑しながら家を出たけど、ある日私が雪が降りしきる夕方にチャリで帰ってきた時とか「心配させるなって言ってるでしょうが!」と私にキレていたので、多分レンタカーで山口に行くことが心配でしょうがなかったんじゃろう。それを不機嫌で表現していたのだろうか。

今回の帰省中怒号、というか、私へのあたりがキツいのはしょっちゅうだったが、広島を去る直前がいちばん最悪だった。冬服とかもう要らんからメルボルンに送るわってなったので箱に詰めていたら、例によって母親が途中から入ってきて、それ箱が大きいよって小さいのを郵便局で買ってきた。あ、はいっつって入れ直していたんだけど、重量が10キロを超えるとめちゃ高くなるとかで、メルボルンに送って差し支えないものまでスーツケースに入れろと言うので「いや、送りたい物送れないと本末転倒なんだけどw」と言ったら「なんでそんなボロクソ言われないといけないのか」と言われた。

これでボロクソって。

結局無駄に重い上にソロモンで使わないもの数点はスーツケースに入れた。

郵便局に着いてからは、伝票?に品物を書く欄があったので素直に品物書いたら局員に「数も書いて」と言われて(そんな欄はないので書式と実情が乖離しておりクソ)「なんだようぜー」と思いながら書き直そうとしたら、母親から「こう書け」と指導されたのだけどその方法ではとても欄に入り切らず、「や、それだとこのスペース無駄になって書ききれんて!」と返したら遂に激昂して、「もう知らん!勝手に書け!」と郵便局内で私に怒鳴って去っていった。

その晩の夕食は母親が涙目で「どうして私ばかりがこんな苦労をしなければならないのか、誰からも感謝されないのか」というような旨のことを言っていて(多分過去のことも思い出して感極まっとる)、私は喉のところまで「頼まれてないことを好きでやっといて感謝されんって相手を非難するのは、一番たちが悪い」と出かけていたけど、33歳、大人なので我慢した。もう明日の朝帰るし。。

こんなだったので、翌朝空港に行くのに母に運転を頼むなんてとてもじゃないが無理だったので、父親に、空港行きのバス停まで送ってくださいとお願いをしたんだけど、私がバスの時間1時間間違っとって結局空港まで直接母の車で行った死にたい。空港に着いたら、受付時間が終了した直後だったんだけどスタッフがチェックインさせてくれた。すんません。母親に「あぶねーあぶねー乗れなくなるところだったわ!」と極力明るく言ったら、また鬼のような形相になり「考えられない、いい加減にしろ、どうしていつもそうなんだ」という感じで一通り私を罵倒し、「じゃあ」と言って見送り…というか、足早に去っていった。

最後の最後まで罵倒されるとは思っておらず、というかここまで感情をコントロールできない人を目の当たりにしてちょっと呆然としてしまった。

ソロモンに着いてから「イライラしてごめんね。でも、人の気持ちも分かって欲しいです」という旨のLINEが来ていたが、「私の気持ちはどうなんでしょう」というツッコミを捨てきることができず、既読スルーしてしまった。

続く。

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