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いじめや同調圧力とは生き残りをかけた「異物排除」という極めて本能的な反応である

いじめに関していつも思うのは、「異物の排除」という極めて本能的な行動なのだろうということ。生存本能の現われなのである。

自然界や身体の機能として、内部に入り込もうとする異物を排除しようとする反応は問題ない。

しかし、我々は人間であり、社会的、文化的生活を送っている以上、倫理や道徳で反応する必要があるのではないかと、何かあるたびにそう思うのだ。

学校内や会社内、チームや町内会などあらゆる組織の中で起こる、排他的な現象とは例外なく危機に対する防衛反応なのだと思っている。

同調圧力も然り。

異物が加わることで起こる変化により、恒常性や優位性といった幻想がかき消されることに恐怖を感じるのだ。

変化とは時に痛みを伴うものだから。

変わることが遅れるほど痛みは増して、痛みそのものでショックを起こせばもう引き返せなくなる。

――強いものではなく変化できるものが生き残る――という言葉は、恐らくは真実なのだ。

惰性をもって今までと同じ毎日を選んで死に向かうよりも、少しの痛みを選択することで可能性に満ちた未来を夢見たい。

人間として存在するのなら、本能よりも道徳や倫理で選択したい。そんな言葉が堅苦しいのなら、ほんの少しの思いやりを。情けをかけることとは違う。

心のままに。

魂のままに。

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