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キリストは青森県民

Twitterを見ていたら、ムーのこんな記事が目についた。

ムーの記事を普段から全部読んでいるわけではないのだけれど、ナニャドラヤなる奇怪な文字の並びが気になって、タップした。

結論から言うと、最近読んだ記事の中でもトップに入るくらいの、秀逸な記事だった。それで居ても立ってもいられず、noteで紹介することにした。


知られざるキリストの終焉

記事によると、青森県新郷村という場所にこんな伝承が残っているそうだ。

ゴルゴタの丘での磔刑を免れたイエス・キリストが日本に渡り、現在の青森県新郷村で106歳の天寿を全うした

Webムー 上記添付記事より

まずここからしてぶっ飛んでいる。
(この設定に突っ込まず淡々と書き続けるところがムーらしい)

あ、キリストって青森に来てたんだ。
しかも結構長生きしてんだ。

ちなみに調べによるとシベリア経由で来日したとのことだった。それ、絶対飛行機のルートじゃん。いや、白い衣をはためかせ、空を飛んで来たのだろうか。なんか飛べそうだもんね。彫りの深い西洋人が日本のど田舎に来て、よく妖怪扱いされなかったなと感心する。神がかったコミュニケーションスキルで上手くやったんだろう。

キリストがやってきた2000年くらい前の日本はまだ弥生時代。青森でも稲作は始まっていたらしい。弥生人と一緒に米を食べて土器で肉や魚を煮炊きするキリスト。106歳まで生きたのだとしたら、青森弁は完全にマスターしていたはずだ。新郷村にある「キリストの里伝承館」には日本語で書かれた遺書も収蔵されているという。ヘブライ語がこの地の方言の元になっているなんて説もあるけれど、さすがにそれはないだろう。どこの馬の骨かもわからない厩戸生まれの変質者の言葉が根付いたのだとしたら、多様性に超絶寛容な村すぎる。

この村にある「イエスキリストの墓」はエルサレム公認というから、これまた仰天する。村も村ならエルサレムもエルサレムだ。それでええんか。


弟のイスキリ

ツッコミどころはまだある。

キリストが磔から逃れたのだとしたら、では誰が十字架にかけられたのか?

その身代わりとなったのが弟の「イスキリ」だそうだ。

う、嘘くせぇ〜〜〜!
このパチモン感、チープオカルトマニアとしてはたまらない。


なんかちがう

また、19631年より始まった「キリスト祭」について、記事にはこう書かれている。

気持ちが先行しての開催だったが、もちろん「キリストを慰霊する」作法までは伝わっていないし、前例もなにもない。はたして日本でキリストの慰霊とはどうあるべきかと検討した結果、牧師を招き、讃美歌をもって「キリスト祭」としたという。

 ……ただ、どうにも雰囲気が現場に合わなかったそうで、2回目からは地元の三嶽神社から神職を招き、祝詞を奏上し玉串を奉奠する神式となったという。

Webムー 上記添付記事より

「なんかちがう」でそんなに簡単に路線変更しちゃっていいんだ。地下アイドルの売り出しかた並みに迷走している。でも、キリストの立場になって考えてみると、自分が若い頃にふるった雄弁を牧師に読み上げられるのはかなり小っ恥ずかしい。そういう意味では、日本語で遺書も書いたわけだし、日本式の方が合っているのかもしれない。キリストの御霊、ここに弔いはべりぬ。

記事の最後には、「キリストっぷ」という土産小屋の写真が掲載されていた。なぜだか妙に耳に馴染む。しばらく考えてわかった。ミニストップのパロディだ。ほんとうにふざけている。


おわりに

宗教というものは、センシティブな話題とされる風潮にある。しかしこの村はまったくお構いなしにズケズケと土足で踏み込み続けた結果、文化に昇華し土着した。

私の好きな歌の歌詞に、「タイムカプセルに嘘の日記を入れよう むかし人間は空を飛んだって書いて」というフレーズがあるのだが、このキリスト伝承の出典である「竹内文書」はまさにそのようなものだった。

昨今、陰謀論者と呼ばれる人々がさまざまなSNSに湧き出ている。彼らは「本当のことを教えてやろう」というスタンスで無知な一般人に食ってかかっている。

そんな彼らに伝えたい。「本当のこと」はSNSなんかで知らしめている場合じゃない。できるだけ多くの紙に書き、未来に残さなきゃだめなんだと。

心の中で、何百年か後の私と同じような人物がケラケラ笑い転げる未来を密かに祈って。




▼ 気になった方は、こちらの記事も読んでみると面白いです。

キリストの日本での偽名は十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)だったそう。やっぱり空を飛んできたのかしらね。

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