見出し画像

144. 血より濃い

 「友情とは二つの体に宿れる一つの魂である」とアリストテレスは言ったそうだが、私は逆だと思う。それぞれの体に宿る二つの魂なんじゃないかと。
 
 久々に会った友人と『駈込み訴え』の話をしながら、「クソデカ感情」は良いよねぇ、と言い合った。性愛にも血縁にも由らない人と人との強い結びつき。時々揺らぐ、だけどめっちゃ強いやつ。2次創作でBLやらGLやらに仕立て上げられてしまうと違うだろ、という気持ちになってしまう。何てことするんだッ、と頭を抱えたくなる。現実の人間関係ではなかなかお目にかかれない強度の信頼を、こちらはせめて純度100%の状態で拝みたいのだ。嫉妬や劣等感は混ぜ込んでも、性愛を混ぜ込むな。爆発する。

 あの子と私と、何が違う?あいつと僕でできないことは一つもない。あの人がいれば何だって楽しい。
 バリエーションは何だっていい。片方だけ生き残っても、落ちぶれても、あるいは二人とも存命のまま仲違いしてもいい。双方の体に二つの魂。ブロマンスだろうがシスターフッドだろうが大した違いはない。

 呪術廻戦の五条悟と夏油傑の行く末について考えると胃が痛くなる。先に断っておくと私は特段呪術廻戦に詳しいわけでも、五条悟というキャラクターが好きなわけではない。どちらかといえば五条悟のようなのは苦手な部類だった。
 ただ、あの時おそらく印刷屋が早々にインターネットに流して、世間をザワつかせた幕引きを見てから、五条悟というキャラクターへのコメントが妙に気になるようになった。

 「最後まで先生でいてほしかった」「残念」「勝手すぎる」「イメージと違う」

 憤るような感想が少なくなかった。武士道精神の強い少年漫画に慣れすぎているのではないか、と思わずにはいられなかった。どうしてか、本筋よりも世間の反応に少しショックを受けた。所詮キャラクターだから読み手がどう消費しようが全く問題はないが、ここで文句を並べる人たちはもしかすると、離婚した母親が恋愛をし始めたら同じように「勝手すぎる」と言うのだろうか。

 29にもなる男が、10年以上にわたって、たった2年半ほどの記憶を鮮明に抱えながら、一つも本音を漏らさず、誰に何の言葉も残さず静かに死んでいった様がとんでもなく痛ましく思えた。同情を誘う、という意味ではない。五条悟というキャラクターがあまりにも現実離れして一人歩きしそうなくらいの「作品」であることに対し、彼の行く末の無情さがあまりにもリアルで、その落差が余計に物悲しかった。そこにあのコメントである。

 対等に話せること。尊敬できること。互いにどこか似ていること。信頼できること。判断の軸となること。
 血より濃い関係を築けたわずか2年半を生涯にわたって支柱にしながら、満足して五条悟は役割を終えた。役割を終えたのである。
 「あの人一人でよくないですか」という言葉を伝えられて、ほんの一瞬悲しげな顔を見せるコマに、五条悟というキャラクターの悲哀が詰まっている。とんだじゃじゃ馬だった青年が、いつしかふざけた笑顔を見せるだけで、決して悲しみは見せなくなる。孤独なまま「大人」と「教師」を務め上げ、死に際にようやく本音をこぼし、素の顔を見せた。芥見御大はすごいなぁ。人が好きなんだろうな、と感心するばかりだった。そういうのが読みたかったんです。ありがとうありがとう。

 一緒にいても離れていても、生きていても死んでからも、魂の隣に居座る人たちへの物語が読みたい。
 血縁からも性愛からも離れて、腕を組んで並んで立つような強さがある。対称性のある友愛。
 血より濃いものを見て、まだしばらく信頼の美しさを信じていたい。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?