37. Q and A

 ムンバイのスラムから、一人の少年が億万長者に成り上がる。『スラムドッグ$ミリオネア』(2009)は、簡単に言ってしまえばそんな話である。13問の難問に連続正解すれば10億ルピー、間違えれば全てがパーになる人気番組「ミリオネア」で見事全問正解を果たす。いわゆるボリウッド。歌って踊るインド映画に、奇跡的なアメリカンドリームの要素がつけ加わる。王道のようなハッピーエンドの作品がどうしてアカデミー賞の各部門を席巻しただけでなく、ゴールデングローブ賞や英国アカデミー賞を総ざらいし、トロント国際映画祭でも注目を集めたのだろうか。ダニーボイル監督の腕によるものだけではないと思っている。(『イエスタデイ』も『トレイン・スポッティング』も申し分なく素晴らしいが。)

 殺人、強奪、児童虐待、売春、DV、そして貧困。インドのあらゆる地獄のハッピーセットを、主人公は知恵と優しさで生き延びる。努力で教養を身につけ、数々の難問に真っ向から正解するわけではない。生きるために耐え忍んできた苦難の数々が彼に刻み付けた記憶こそが、クイズの答えだったのである。しかし、風が吹けば桶屋が儲かる物語であれば、ただただ運命ってすごいね、という話で終わってしまう。
 『スラムドッグ$ミリオネア』には原作がある。和訳が『ぼくと1ルピーの神様』として出版され、原題は"Q and A"である。以下、映画と原作の違いを考える(ネタバレを含む)。

 映画版では、愛が重要なテーマになってくる。兄のサリムの計らいによって主人公は最愛の人と再会を果たす。たった一人の女性を生涯かけて追い続ける、『華麗なるギャツビー』的な主人公である。愛の力でクイズに出場し、拷問に耐え、最後は運の良さで勝ち上がる。
 一方、原作では彼の救う女性というのは、ただ一人ではない。DV家庭の少女、裕福な家のメイド、売春宿の少女。少女以外にも彼は親友を救い、狂犬病にかかった少年の父親を救う。そして、クイズ番組でイカサマをしたと疑われ、拷問にかけられる主人公を後に救うのが、弁護士になったこのDV家庭の少女であり、シェイクスピア作品の難問に答えてくれたのが高校教師である少年の父親であった。知恵を絞り、機転をきかせるだけでなく、あらゆる場面で彼は倫理的であり、同時に狡猾である。
 もう一つ、映画には描かれなかったものがある。小説のタイトルの由来にもなっている「幸運のコイン」である。1ルピーの神様は、存在するのだろうか。主人公は重要な選択を迫られる局面や、窮地に追い込まれた時にこのコインを投げる。突然訪ねてきて、自分を助けると言う弁護士を信じるか否か。盗みを計画するメイドを止めるべきか否か。そして答えを伝えてくるクイズ番組の司会者を信じるべきか否か。彼はコインを投げる。

 映画ではそれを" It is written."とした。しかし、小説の最後にはそうは書かれていない。運命ではない。コインは両面が表なのである。

「どうして捨てちゃったの?あなたの幸運のコイン」
「もう必要ないからさ。運は自分が作り出すものだとわかったんだ」
『ぼくと1ルピーの神様』、ヴィカス・スワラップ、子安亜弥訳、2009、ランダムハウス講談社

 そう言って彼はコインを捨てる。運命を切り開き、彼をスラムから押し出したのは彼自身の信念と、何度裏切られても変わらない、他人への信頼だったのである。 

 作者のヴィカス・スワラップは元々作家ではない。外交官を務め、インド高等弁務官事務所で働いた。貧しい人々のために働いてきたからこそ、鮮烈な筆致で格差と、なお貧民街に宿る生命力を描いた。Q and Aは1999年にニューデリーで行われた、貧困地域にインターネットを広めるプロジェクトがきっかけとなって書かれた。(文庫訳者あとがきより)学校に通うことも、新聞を読むこともなかったスラムの子供たちが、たった一月でインターネットを使いこなせるようになったという。貧富や教養のあるなしに拘らず、誰もが新しいことを学びとれる。そんな希望の物語を一人のストリートチルドレンに託した。

 努力も優しさも裏切るかもしれない。金も身を滅ぼす一因となる。ただ、いつでも信じられるのは自分の選択と、振りまいてきた善意の数々である。スラム・ドッグには1ルピーの神様がついていた。

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