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私はこういう人です

私は今、タイの大学に通う観光経営学部の3年。本来なら5月に授業が終わり、3ヶ月の夏休みは日本で過ごし、8月にまた戻るというペースがあった。しかし3月中旬、大学内でコロナ感染疑惑者が出てから校内閉鎖となり、学期中にオンライン授業へ移行せざるを得なくなった。

タイ国内の感染者増加を防ぐため3月の終わりにロックダウンが行われ、今現在もその状態が続いている。(規制緩和は少しづつされている)そのロックダウンが開始される3日前に一時帰国し5ヶ月経つ。

大体の人に言われることが、なぜタイへ留学しようと思ったのか。その理由を詳しく書いた記事が別にあるので、是非そちらを読んで欲しい。 


いつも通り、Twitterで好きなアイドルの情報を探っていた時、たまたま見つけたnote。ブログっぽいのかな、と思いきや割と自由に書きたいことを載せられることを知った。

以前からブログを書いているが、なかなか毎日書くことができず、時間を空けて忘れたころ投稿していたから、「まあまた続かずだろうな」と思い一旦保留。

その1週間後、自分の中で色んな感情、思いが詰まることがあった。全て家族や友人に話せればいいのだが、上手く言葉にするのが難しく、いわゆる「病み期間」に入った。その時思い出したのがこのnoteの存在だった。

日記とは違い毎日の出来事を書くわけでもなく、だからといって何か共感を得たいわけでもないから、私にとってこれは必要なものかもしれないと感じた。これが私がnoteを始めたきっかけだ。

東京の下町と呼ばれるエリアで生まれた。歳の離れた姉が二人いる末っ子だったから周りにいつもいるのは大人や年上のお姉さんお兄さんだった。自分でいうのもおかしいが、十分可愛がられ、自由にのびのびと育った。

私の人生の中で一番の出来事といえば、16歳の時、単身アメリカに逃亡したこと。何か罪を犯したわけではない。しかし事件と言ってもいいだろう。その当時、母に裏切られたと言っても過言ではないことをされ、本当に家にいることが苦痛だったし、家族誰一人、頼りたくなかった。だから頻繁に友達の家に泊まったり、夜遅くまで外に出ていた。家に居たくないプラス自立したいの二つの感情が混ざっていたときたまたま見たのがanother skyだった。「あ、一人でアメリカ行こうかな」これが頭によぎったときから本気だった。

小学4年の初めて海外で行ったロサンゼルスへ行くことにして、必死にバイトしてお金を貯めた。飛行機のチケッティングやホテル予約は流石に年齢の壁があり、家族に手伝ってもらったが、残りのことは全部自分でやった。滞在期間は2、3週間程度。この内容はまた別で書きたいと思う。ハプニングだらけだったが、当時の歳で、日本では得られない体験ばかりだからとても新鮮だった。そして16で、しかも一人で海外にバーンと飛んだ当時の自分に「とても楽しい思い出を作ってくれてありがとう」と、感謝と拍手を送りたい。

最後が上手くまとまらないが、私はルールに縛られることが大嫌いで、好きなことには一直線で突っ走る人間なのだ。(最近就活で自己分析をしてわかったこと)

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