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自我の役割

自我は、「わたし」というアイデンティティ。
自我が強いと、否定的なイメージを持ちますが、
今日はそんな、自我の役割について書いてみました。
お付き合い頂けると嬉しいです。

自我の役割は、「わたし」という認識です。
自我を持たない人は、産まれたばかりの赤ちゃん。
ここが何処か、
自分が誰か、
何をしているのか、
そんな認識すらありません。
それらを持たずに大人になると、
人間社会では生きるのが難しくなります。

だから自我は、
社会では生きるのに必要であり、
意識的に外そうとしても、出来ません。


そんな自我が強いと、
ネガティブなイメージを持ってしまうのは何故か?


人は誰でも人生経験で傷つくことがあります。

例えば、傷ついた皮膚は修復の過程で、
以前より硬く、厚みを帯びることがあるように、
心の傷も同じです。
もう傷つかないように、
心を閉じたり、
そういった状況を遠ざけることを覚えます。

経験を否定的なものとして認識すると、
自我は身を守る術として、
その経験を避ける生き方を学びます。

それが悪いことではなく、
そのような、
傷つかない環境でいるための、
身を守る手段のひとつと考えています。

自我の強い人ほど、
エゴイストな人ほど、
心の中は傷ついていたり、
不安をいっぱい持っています。

これ以上傷つかないようにと、
まるで要塞を築くかのように、
否定的感情で、オーラを分厚く固めます。

徐々に自我が強くなり、
最強のエゴイストになります。


人間関係で、恐怖を感じる体験をすると、
「人を信用できない」
「人間とは怖いもの」
「自分以外の大半は敵」
などの人間不信に陥ります。

また、
「この人以外は信用できない」
「この人に見捨てられたらおしまい」
などと依存心が強くなったり、

最終的には、
「こんな自分だからダメなんだ」
と自己否定が強くなります。


あまりに分厚い自我を築くと、
それを本当の「わたし」として思い込みます。
そして自我は、
もっともだと思えるような理由で、
現実に抵抗し、否定します。

傷ついたからこそ、
自我で守りを固めたのに、
自我を外さなければ、
その中にいる、
本当の自分の輝きを放つことができない。

自分で自分らしさを取り上げるような
本末転倒な事態になります。

それでも自我は、
邪なかたちで、「わたし」を守ります。
それが自我の役割のひとつでもあります。
それはそれで良いのかもしれません。


そう解釈すると、
厄介に思える自我ですが、
自我は決して、自分から離れることはありません。

自我から離れるのは、
「わたし」がなくなるのと同じだから、
自分を見失う恐怖と同じです。

自我という自分を認めると、
自我は安心します。
自我は常に不安だから、
不安な「わたし」であり、
不安な「わたし」を消されることをとても怖がるからです。
不安な「わたし」をちゃんと受けとめて、
どんな経験も尊いと、
否定的な「わたし」を肯定的に認めたとき、
自ずと癒しが起こります。


不安で、
手強くて、
歪んだ「わたし」のエゴちゃん、
いつか、傷が愛おしくなりますように、、、。

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