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イルカショーで涙ぐんだ


先日、江ノ島水族館に行った。決して広いとは言えない水族館だが、さまざまな展示を行っており、入った瞬間から人々の感嘆が耳に入る。

かくいう私も、1つ1つの展示に感動し、暗闇の中に明るく照らし出される水槽の中で悠々と泳ぐ魚たちを眺めながら、ひさしぶりの水族館を満喫していた。

歩いていると、あと5分でイルカショーが始まるところだった。せっかくなので観に行こう。

「イルカを飼育している水族館のメインや目玉はイルカショーである」という、そこはかとなく蔓延る概念は、いつからだろうか。


そんなことが気になって調べてみる。

日本でイルカショーが初めて行われたのは、現江ノ島水族館の前身である「江ノ島マリンランド」らしい。1957年。アメリカの水族館の演出を真似して、当時は斬新だったイルカショーが行われたという。

新江ノ島水族館 歴史


なんと、初めてのイルカショーはまさに私が行った水族館で行われて、それから66年も経つのだ。戦後12年ですでにイルカショーが行われていたというのか。想像以上に長い歴史を持つ。


それを見ている最中、いや、イルカショーだけでなく、水槽の中をみている最中ずっと、こどもの頃には感じたことのない感情が自分の中に生まれているのがわかった。

「イルカは、幸せなんだろうか」
「狭い中で、魚たちは暇じゃないんだろうか」


いま、世界では本来野生で自然(海)にいるべきイルカを狭い水槽に閉じ込めて、飼育したりショーをさせることに対する反対の声も多くなりつつある。それは私もなんとなく知っていた。だからこそ、魚たちを見てはそんなことを思ったりした。

同時に、有名な実験のことも思い出した。「飛べないノミ」や「カマスの実験」だ。聞いたことがある人も多いだろう。

蓋をしたコップにノミを入れる。最初のうちは、ノミは元気よく跳ねるが、どんなに高くとんでも蓋にぶつかる。するとノミは、学習する。飛んでもコップの外に出られないことを。限界値だ。すると、蓋を外してもノミはコップの外へは飛んでいかない。本来は、蓋を外せば外に出られるはずなのに。

飛べないノミ

カマスの実験もほぼ同様。

カマスと一緒に水槽にいれた小魚を、カマスは、最初のうちは食べてしまう。しかし透明の仕切りを入れて、小魚に届かないようにしてしばらく経つと、その仕切りを外しても小魚の方へは行かなくなるのだ。

カマスの実験

簡単に記載したが、さらに要約すれば、彼らは自分の限界点を決めて(はたまた知って)、諦めることを覚える、という話だ。


イルカたちは、諦めているのだろうか?


彼らは、自分たちが海に行けないことを知っていて、ここで人間たちと暮らしていくのだと諦めているのだろうか。それとも、我々が思うよりずっと、水槽の中の人間との暮らしを好んでくれているのだろうか。


イルカショーをみて、素直に「イルカ可愛い!」と思うのと同時に、「健気にがんばっているイルカ」に感動して、涙ぐんでしまう自分がいた。なぜか少し、寂しかった。それもそれで、イルカを見下している気もするが、考え出したらキリがない。

イルカたちが、もし、今の暮らしを好んで楽しんでくれているのだとしたら、これ以上嬉しいことはない。しかし、そんなことを思いながら、イルカショーで涙ぐんだことがあれば、あなたも私も、もうオトナなのかもしれない。

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