イルカショーで涙ぐんだ
先日、江ノ島水族館に行った。決して広いとは言えない水族館だが、さまざまな展示を行っており、入った瞬間から人々の感嘆が耳に入る。
かくいう私も、1つ1つの展示に感動し、暗闇の中に明るく照らし出される水槽の中で悠々と泳ぐ魚たちを眺めながら、ひさしぶりの水族館を満喫していた。
歩いていると、あと5分でイルカショーが始まるところだった。せっかくなので観に行こう。
「イルカを飼育している水族館のメインや目玉はイルカショーである」という、そこはかとなく蔓延る概念は、いつからだろうか。
そんなことが気になって調べてみる。
なんと、初めてのイルカショーはまさに私が行った水族館で行われて、それから66年も経つのだ。戦後12年ですでにイルカショーが行われていたというのか。想像以上に長い歴史を持つ。
それを見ている最中、いや、イルカショーだけでなく、水槽の中をみている最中ずっと、こどもの頃には感じたことのない感情が自分の中に生まれているのがわかった。
「イルカは、幸せなんだろうか」
「狭い中で、魚たちは暇じゃないんだろうか」
いま、世界では本来野生で自然(海)にいるべきイルカを狭い水槽に閉じ込めて、飼育したりショーをさせることに対する反対の声も多くなりつつある。それは私もなんとなく知っていた。だからこそ、魚たちを見てはそんなことを思ったりした。
同時に、有名な実験のことも思い出した。「飛べないノミ」や「カマスの実験」だ。聞いたことがある人も多いだろう。
カマスの実験もほぼ同様。
簡単に記載したが、さらに要約すれば、彼らは自分の限界点を決めて(はたまた知って)、諦めることを覚える、という話だ。
イルカたちは、諦めているのだろうか?
彼らは、自分たちが海に行けないことを知っていて、ここで人間たちと暮らしていくのだと諦めているのだろうか。それとも、我々が思うよりずっと、水槽の中の人間との暮らしを好んでくれているのだろうか。
イルカショーをみて、素直に「イルカ可愛い!」と思うのと同時に、「健気にがんばっているイルカ」に感動して、涙ぐんでしまう自分がいた。なぜか少し、寂しかった。それもそれで、イルカを見下している気もするが、考え出したらキリがない。
イルカたちが、もし、今の暮らしを好んで楽しんでくれているのだとしたら、これ以上嬉しいことはない。しかし、そんなことを思いながら、イルカショーで涙ぐんだことがあれば、あなたも私も、もうオトナなのかもしれない。
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