人生の振り返りざっくり、書ききれてないnote

ニコニコ生放送で声真似主にハマっていたとき、れをると、お菊に出会って(一方的に)れをるとギガちゃんの曲に出会って(これも一方的に)、お菊が動画を創って、わたしがそれを知った。動画作る人がいるって認識を高校生の時に知った。

学生時代に特に輝かしいことがなかった。同年代との付き合いが本当にできなくて、一緒にトイレ行くとか意味わかんねーって思ったら意味わかんねーからついていかない、とか当時でいうKY(死語?)でした。
効率厨なので感情とかよりも先にそれ無駄じゃねって思ったら「こっちのほうが効率良いよ」って言っちゃってました。

まあそんなこんなで、高校一年生、電車乗れないななんか窮屈だな、教室も窮屈だなって思ってたら体育祭の準備と重なって、わたしがいなくてクラスメイトは困って、わたしは学校いけなくて、ハブられて、休んだこと謝って(ナンデ?)、けど次の日もハブられて、あーそういうね、って上手くいかなくて、餓鬼とつるむのむり!ってなって行かなくなって
転校してなにもね〜な〜、けど勉強が嫌で転校したわけじゃないからとりあえずいちばんうえのレベルのレポートをこなして、テストもして、髪の毛は染めてピアスはして、けど優等生なワタシ。バイト頑張ってた、トリプルワークして稼いで、好きなことやりまくってるよ。カッコ、虚無。みたいな感じだった。

なんか特別になりたかった。別のことしたかった。かっこいいって言われたかった。

映像業界に惹かれてわたしはなんていうか、頑張れなかった!
めんどくさくなった!勉強したくない!当時の彼氏とひとりの友達さえいればよかった!

就活の時期になって周りがあの会社はあーだこーだと情報交換が大切だとやっていて、田舎ってこんな感じだよな、と祖父母と母のコミュしてる、あの感じを思い出した。
そういうのがかっこ悪くてくだらないなぁ、と思ってたのは、やってる人はもうすでに行動してたから。実際に会社とコンタクトとって、応募もして、受かった会社から自分が選んでやるぞとばかりにやってたから。
なんかそれが眩しくて。

じゃあ私は何してたか、っていうと、まあ、何もしてなかった!3社くらい応募して面接もした。
いろんなことやってみたかったけど、全ソフト触れるかって言われたらそうじゃなかったから、「どんな◯◯アーティストになりたいですか」と聞かれて「ゼネラリスト」みたいなこと言っちゃった。
大手の面接官戸惑ってたな「うちには合わないかも?」って、そりゃそうだな…。ショックとかなかった。

夏に、まだ勉強したいな、という気持ちと、あ、就職したくないかも、あ、就職やだ〜!勉強したい気持ちを建前に本質はきっと働きたくなかった。
高校生のとき働きすぎたんだ〜、完全に!

2月くらいに学校に「登録しようね〜」「作品おいとこうね〜」って言われてたデザイン学生専門のサイトからコンタクト。
いま、いる会社から。

なんか見つけられた気持ちで、話だけ聞きに行こうといったら、ま〜、建物の雰囲気がいいの。あと社長もやり手や…って印象。口がうまいなーって思った。
ここで働こって思ったいちばんのキメ手は金髪の先輩がいた。もう、ごめんなさい、ただこれだけ。業界は染められるって聞いてたんだけど、実際に見たことなかったからここは安全に髪を染められるんだ!とモチベアゲ!となった。

面接、副社長もいた。2時間?くらい雑談した気がする。(面接とは)見学の時にも言われたけれど、いろんなことができる・みれるっていうのが魅力的。
副社長、超好き。人間としてこんなに、形でいうと丸みたいな、季節的には春みたいな人間いるか?知らねぇ…と思った。

ワークフローが見える会社でわたしは魅力的だなぁと思ってる。それと、媒体は同じだけれど、案件が変わる。飽き性のわたしにはちょうど良い。短いスパンでやる・終わらせる、それの繰り返し。面白い。

わたしの学生時代からのKYさを意見として捉えてくれる上司がいて、恵まれてるな〜ぁと思う。違うと思ったことがいえる、我が強いからなのもきっとあるけど、汲んでもらえることも多い。


ただ…わたしは土台がない、グラグラ。人間としても、デザイナーとしても、なんかそれがずっとコンプレックス。

このままここでやっていくっていうのもあり、転職とか面倒だし、けど、それって飽きないかなぁ、もし飛び出したくなった時どうするんだろう?

そんな時妊娠した。パートナーのパートナーになった。
何者かになりたかったわたしは、母親になった。
職場の事務の人が言っていた「いろんなことがしたくていろいろやったけど、なにもしっくりこなくて、空っぽみたいだった。けど母親になって、このために自分が産まれてきたと思った」と。

あ、わたしそれだ。これだ。って思った。


育児向いてた。育休中、イライラすることが本当に少なくて、イライラしなさすぎてした日は頭が混乱した。
全部がかわいくて、生きてるだけで学んでる子どもが愛おしい。。。。


一年経って、自我がメキメキ育っている子供。少し慣れたことで心に疑問が浮かぶ。わたし会社どうしよう?保育園は幸い決まっていたし、働くという行為自体は好きだし、専業主婦になってずっとこのメキメキといるのは難しい、大変すぎです、もちろん金銭的にも厳しい、そんなのやだなぁって。

復帰してみて旧姓のときのわたしがいた。
子供もパートナーもいない、お昼ご飯はひとりでゆっくり食べられる。暇な時間は自習したり、良い映像やデザインを観る。
以前の私と変わったのは時短勤務ってことくらい。

あ、あ、きたきた、グラグラだ。可哀想で雇われてるのかな。そういう考えがずっと浮かんでる。

前より残業というものにピリつくようになった。これが母親になるってことかと実感したりもした。

髪の毛を染める、そのアイデンティティを捨てるってことが転職活動する上で大切っていうことを知った。
家庭のために髪を暗くしなきゃいけないと考えたら泣きじゃくった。
それくらいなんかわからないけど、特別なこと。自由があっても良いでしょう?それくらい、いやほんとに。

あ、てことは転職活動に本気にならないと、いろいろかき集めないと、土台を作らないといけないねぇ。

母親になって時間が有限であることと、一日がどんなに短いことかを知った。
母親になって、死生観が変わった。いつでも死ねる準備をしようとただただ生きていたけどいつでも後悔なく死ねる準備とは好きなことをやるのもそうだけど、子供のために死ねないから生きるってこと。このギャップにやられる。心が病む。不安障害になる。


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