仕事で満たすのは自己でなく他者
産休、育休を経験して、働かないという選択肢もあること、働かない生活も体験してもなお、わたしは仕事復帰した。
家庭に入り、日々の生活に楽しみを見出せる性格ではないことを実感した。
私は家庭以外の逃げ場と仕事以外の逃げ場が必要で、その間を行き来する生き方が合っているように思う。
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昔、会社の人から素朴な疑問として、
「なぜ働くのか?」と問われた。
わたしは自信満々に「自分が成長したいから」と答えた。
すると、続けざまに、「なんで成長したいの?」と聞かれた。
あまりに当たり前にそう思っていたので、ちゃんとした答えを用意していなかった。
薄っぺらい思考。。
「あれ?なんで成長したいんだっけ?」
改めて考えた時に、頭の中で、成長したい=今の自分ではだめだという方程式が成り立っていることに気づいた。
不完全な自分をなんとかしたい。
そんな自分を仕事で肯定したい、肯定感で満たしたい。
働く動機のベクトルは自分に向いていた。
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ここ最近「いい仕事したなぁ」という感覚は自己成長とは違うものだと実感し始めた。
そんなときに、まさにそれを言語化してくれている文章に出会った。
https://job.cinra.net/series/zoonie2/
「自分の成長につながらない仕事はやりたくないから、この仕事を選んだ。
今の職場で吸収できるものがある限り吸収するが、吸収できるものがなくなったら辞めてもいい。」
それは仕事でなく、勉強だ。
これ、昔のわたしだ。
わたしの考えは仕事じゃなく勉強だった。
自分のため、自分を満たすための勉強。
そう言われると確かにそうだと思う。
仕事は「他者貢献」である。
これが勉強と仕事の最大の違いだ。
どちらも努力や忍耐が要るけれど、勉強は最終的に自分を満たす。
他者を満たすのが仕事だ。
たとえ自分自身に成長がなかったり満たされなかったりしたとしても人や社会の役に立てばそれで良し。それどころか、まるで鉛筆のように、人の役に立てば立つほどに、自分の身が削れていくことさえある。
社会人を重ねると、自分の力不足というよりも周りとの折り合いがうまくいかないことや、不毛なやりとり、理不尽な依頼で、自分の身が削れていくと思うことがある。
でも、相手の立場にたって真摯に向き合い逃げずに対処すると、それなりに良い結果になった。
それが仕事なのか。
いつのまにか、ちゃんと勉強から仕事に移行している。
でも、と思う。
自己を犠牲にすることなかれ。
他者貢献に楽しみを見いだすべし。
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