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物欲とお金のかけどころ

ここ1年ほどで物欲が消えた。

消えたと言ってももちろん、必要を感じたものは買う。だけど今年に入って、服も靴もかばんもファッション関連のものは何ひとつ買っていない。食料品と日用品系以外で買ったのは家具とインテリア関連の雑貨のみ。

どうして物欲がなくなったのだろう。家から出る機会は去年に比べると増えてるし、単純に出かける機会が減ったから服が必要ないというわけではなさそう。


いろいろと考えてみた結果、自分の中で精神的な変化があって物を買うということに前ほど魅力を感じなくなったのだという結論に至った。

精神的な変化の背景は、引っ越しとこのご時世的な要因。このご時世で家に出る機会が減った結果、そして引っ越しをした結果、意識が外よりも内に向くようになり、お金をかけるなら居住空間にかけたいと思うようになったのだ。

以前は、洋服や靴を買うのにそれなりにお金をかけて、好きなファッションをすることにわりと情熱を注いでいた方だった。大学生のときや社会人1年目は、学校や会社の帰りにウィンドウショッピングをするのが好きだったし、いつでも欲しいものがあった。わりとケチな性格だということもあって、散財するタイプではないので、よく吟味して本当に欲しいものかをよく考えていたように思う。

それが今ではファッション関連の物欲がほとんどなくなった。昔よりも確実に自由に使えるお金が増えたのに、欲しいと思うものが見つからない。物欲がどこかへ行ってしまった。

それ自体はミニマリズム的な観点から見れば素敵だし、環境への配慮という意味から見ても良いことだ。

ただ、物欲がなくなるのは精神年齢が20歳とか30歳もしくはいっきに年をとったみたいで少し嫌だ。まだまだ身だしなみやファッションに気をつかいたい。精神的に落ち着いた証拠だとしても、やはり物欲がないのは寂しい。


うちは母親が、ショッピングは好きだけど自分のものはそこそこに私のものを選ぶことが大好きという人だ。お金がない学生時代は一緒に買い物に行き、いろいろ買ってもらえるのは本当に嬉しかった。働いて独り立ちした今となっても、ときどき買い物に連れ出したいと行ってくれて嬉しいのだけれど心苦しい。お金もあるし自分で買うよと言うのだけれど、母は私と買い物に行くことが楽しいから、そして一緒に買い物に出かけることが仕事のモチベーションなのだと言うのでときどきはお言葉に甘えて買ってもらう。


そして、私はいまこの年ですでに母の境地に来ている気がする。プレゼント欲はあって、買い物もしたいけれど、自分が欲しいものはないから、代わりに人に贈るものを探す。

例えば、将来もしも娘ができたら、自分のことはそっちのけで娘の服とかなんでも買おうって言ってそうだ。自分の物欲がなくなるかわりに誰かに貢ぎたくなるのだろうか。


ファッションにお金をかける代わりに、居住空間にお金をかけるようになって、今のところとても良いと思っている。くつろげる場所にこだわりのものを置いたり、体に負担をかけにくい椅子やソファを置いたり。

そういう意味では服がたくさんあるよりも、生活の質が上がった気がする。

よりケチになったというわけではなくて、お金のかけどころが変わったという話なだけだろうから、生活の質をあげる方法はこれからも模索したい。

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