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「暇」が好きという話

〇〇さん(もしくは先生)、暇ですか。
日本語学習初心者の陥りやすい失敗ワースト5には入るだろう。
正しい日本語は言うまでもなく、「〇〇さん、お時間ありますか。」や「ご都合いかがですか。」などだが、日本語学習初心者にとって、自然にこんな言葉が出てくるはずはない。だからこそ、こんなふうに質問されても怒らないであげてほしい。

日本語ネイティブが冒頭の文にネガティブな感情を抱いてしまうのは、ただ単に失礼な表現だからと言う話にとどまらない。暇と言う言葉には、そもそもネガティブな響きがあるのだ。
仕事等がなく手が空いていることを示す言葉(free)が自由で束縛のないことを表す言葉(free)と同じである、英語をはじめとするゲルマン語圏ならいざ知らず、勤勉な国民性の日本では、さもありなんという話だ。

だからこそ、暇ですかという質問には、「私のことをやることがないプータローだとでも言いたいのか」というような感情が生まれてしまうのだろう。

言語的な話はさておき、私は暇が好きだ。

暇を持て余すことはほぼない。特に自己成長や自分磨きに繋がることをするわけでも、没頭できる特定の趣味があるわけでもないけれど、暇を楽しむことが好きだ。暇をつぶすという感覚になることは、例えば電車やバスに乗っている時や病院の待ち時間などを除けばない。もっと言えば、家にいる限りは暇を持て余すことはない。

暇は大切だと思う。それが内向的でインドアよりな性格の私だからなのか、誰にとっても大切なのかは分からない。ただ、少なくとも私にとっては、暇は有象無象のやらなければならないことやストレスから解放され、自分に向き合える時間でもあり、同時に自分に向き合うことからも解放される時間でもあると思っている。

暇とは、現実逃避の時間といっても過言ではない。時間を気にせず、やるべきことも考えずに過ごせる時間がいい。だからこそ、病院の待ち時間みたいにいつ呼ばれるか分からず緊張状態が続いているようなタイプの暇は真の意味での暇とは言えない。少なくとも30分以上乗る長距離の電車なら、少しはいわゆる暇を楽しめる。

根っから特別勤勉な性格でもないし、暇はある意味ポジティブに捉えるような性格の私は、手が空いていることを表すfreeが自由や何かからの解放を表すゲルマン語圏が合っているのかもしれない。そう考えると、今この場所に住んでいることは偶然ではないのかもしれない。もしくは、ここに住んでいることの意味を無意識に見出そうとしているだけなのだろうか。

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