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舌を抜かれる女たち/メアリー・ビアード 宮崎真紀 訳

声を上げる女性が増えた今、私は声をあげない女性をおもう🥀

受けた傷について、伝える人と、沈黙する人

その沈黙はどこからやってくる沈黙でしょうか🥀


暴力的なものの連鎖の日常に、傷を傷だと思わなくなってしまったのかもしれない、
傷の扱いに悩んで葛藤しているのかもしれない、
自らの傷を認めるのが怖いかもしれない、
本当は声をあげたいのに、話せないように、無理やり舌を抜かれたかもしれない、
自分が声を上げることで、傷つく誰かが傍にいると思うのかもしれない、
声をあげるだなんてそんな正義、無理矢理振りかざさないで欲しいと思っているのかもしれない、

女性が声を上げることは恥ずかしいと思われる、難しいとされる、そんな風潮は性を巡る感覚や環境が変わった昨今でも生きていると感じる🥀

本書では、女性の発言がなにかと軽視されやすい現象の源を、古典学者である著者がギリシア・ローマ時代の神話を考察しながら掘り下げていく📖
驚くことにこの時代からすでに、女性は発言を慎むべきとされていたという🥀

古典的な神話や西欧の文学、文化やアートは、パワーを持つ女を男が成敗する図式を繰り返し取り上げてきたそうだ。
それは紛れもなく権力と女性が完全に切り離されている、ということを表現している🥀

かの有名なメデューサの話も、女がパワーを持った時の破壊的な危険性を男が征圧するという、古代社会では最も強力なシンボルのひとつであったようだ。
歴史や神話や文学作品の中で、レイプされたことを証言されないように舌を抜かれる女性が存在し、舌を抜かれた女性はタペストリーに自分の主張を織り込んだ。

「女性が権力構造に完全には入り込めないのなら、女性ではなく権力のほうを定義し直すべきなのです。」

そう語る筆者の言葉に背中を押される📖

あとがきを元にほんの少しだけ遡ると、MeToo運動が盛り上がりを見せたのは、2017年から2018年にかけてのことだったようだ。個人的には3年以上も前のことのようには感じないので驚いた。今でもよくMeTooのことは話題に上がる。この運動が一過性もので終わっていないという証拠でもあるのかもしれないと、私もほっと胸を撫でおろした💐

それでも、知るたびに、確認するたびに、悲しくなる事実がまだまだ多くあるのだ。
歴史や神話や古典文学、その中での女性の扱いは現代に地続きで大きく影響しているし、女性におけるあらゆる事柄は何百年経ってもアナログなままで、でも毎日を生きているとそんな状況に麻痺して時折なんの違和感も感じなくなってしまう自分に辟易です🤕🥀


個人的に、原題の"WOMEN&POWER"の響きが好きです💐
主に西欧が話の中心なのですが、アジア圏や日本ではどうなんだろうともっと知りたくなりました📖
でも最近、女性関連問題(女性におけるあらゆることをこういう言葉でまとめることが間違っているとも思う🗯)に限らず、多くの人が声を上げるようになったのはやっぱり少しずつでも何かが変わっている最中なんだと、少しドキドキします💐

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