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都市の中の小さな長野──「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第3回

長野県を中心に「古木」の買取りから保管・販売、設計・施工を手掛け、常時5,000本という日本最大規模のストックをもつ山翠舎。
シリーズ「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」では、その古木をめぐる仕事を紹介していきます。
第3回は、前回の「ほうとう天地」に続き、山翠舎の設計・施工による飲食店を紹介します。「代官山KURUMAYA」は、山翠舎と同郷・長野県にルーツがあります。お店が誕生した経緯、3年目を迎えた現在、そして将来の構想まで、100年を超える物語。
写真は第三回ふげん社写真賞グランプリを受賞し、写真集『空き地は海に背を向けている』(ふげん社、2024年)が出版された写真家・浦部裕紀による撮り下ろし。

「代官山KURUMAYA」は代官山駅からほど近く、東急東横線に隣接するビル2階にひっそりとある。
長野県産の食材にこだわったお店。大きなガラス面から道行く人々や車が見える。
ディナーの代表的なメニュー。前菜の盛り合わせは、左下から時計回りにカプレーゼ(モッツァレラは佐久市のボスケソ・チーズラボ)、信州サーモンとみょうがのカルパッチョ、信州黄金シャモのむね肉とそばの実のサラダ、野沢菜のキッシュ、プルーンのソテーと生ハム。右奥の皿は野沢菜のグラタン。
塩尻の鹿のロースト、高山村のブルーベリーのソース、紫アスパラガスのソテー。同じく代表的なメニューで、ジビエの仕入先はその時々によって異なる。

ひたむきな修行時代

東京・代官山駅からほど近い「代官山KURUMAYA」は、長野の食に特化したお店だ。カウンター6席、テーブル10席に加え、セラーにはすべて長野県産のワインを100種類以上、同じく長野県産のクラフトビールやシードルも豊富に揃え、物販を兼ねている。
店主の古越亜弥氏は長野県佐久郡御代田町出身。2022年7月に念願の出店を果たし、3年目の現在も文字通りひとりですべてを切り盛りするビストロだ。客席は言うに及ばず、キッチンの床までもが美しく掃除されたお店で、営業時間前に話を伺った。

35歳までに独立して小さな自分の店を出すことが夢だった古越氏の修業時代は、まるで生き急いでいるかのようだ。パティシエの専門学校と実務経験を経て、様々な個人経営の飲食店で接客、東京や長野の有名ホテルでのサービス、日本料理店のキッチン、主に海産物を扱うチェーン店のキッチンなど、意図的に異なるジャンルと業態、大小様々な規模のビジネスを渡り歩いていった。睡眠時間を削り、同時に複数のお店に従事していた時期もある。そんな忙しいなかで、2015年にソムリエの資格を取得し、独自に国産ワインの研究も始めた。
現在でも時間を見つけては長野各地へと足を運び、ほとんどの食材はつくり手と直接やり取りしている。生産数が限られる貴重なワインを仕入れるために、ぶどう収穫のお手伝いをすることもあると言う。生産者と互いに顔が見える関係性を築き、旬のもの、おいしいものを仕入れているのだ。冬場は野菜が少なくなるので、根菜を中心にしてメニューを構成するという徹底ぶりで、話を伺っている短い間にも、複数の荷物が長野県各地から届いていた。修行時代と変わらず、今もひたむきに仕事に向き合っている。

開店前、仕込みを行う店主の古越亜弥氏。客席からはキッチン越しにガラス張りのセラー内部が見える。
長野県産のワインのみが100種類以上並ぶセラー。

コロナ禍での新展開

代官山KURUMAYAとは一風変わった名前だが、由縁は、御代田町にあるご実家の家業で、野沢菜などを製造・販売する株式会社くるまや。明治26年(1893年)、古越亜弥氏の高祖父にあたる古越白次郎が、信濃川水系の栗矢川沿いの水車小屋で精米製粉所を始めたことに端を発する。亜弥氏は、幼い頃から家業や祖父の仕事ぶりを間近で見てきたこともあり、飲食業への興味が育まれていった。ただ、当初は家業を継ごうというわけではなく、個人で3〜4坪の小さなお店を開くことを目標にしていた。そうしたなかで、コロナ禍の2021年、現社長である父・古越三幸氏から事業再構築補助金を活用してお店を出さないかという突然の誘いを受ける。事業再構築補助金とは、コロナ禍において、国が中小企業の新分野展開や新たな市場に進出することなどを支援する制度だ。
生まれ育った故郷、家業、何よりつくられている野沢菜のおいしさへの思い入れがあったこと、また自分のためという時限を超えて、くるまやを100年先まで残したいという願いから、飲食店と家業の新規事業としての物販を兼ねたお店を東京につくるというプランに変わっていった。経営としては、個人店ではなく、長く続く家業の将来へ向けた事業として、中長期的な計画のなかにある。ひとつの会社のなかに立ち上がったチャレンジングな部署というような位置付けだ。

長野の古木・長野の食材

古越亜弥氏は、出店を考えるなかでたまたま山翠舎のことを知り、すぐに「依頼するならここしかない」と確信した。故郷の長野県で、解体されてしまう民家の古木を扱っているというのがその理由だ。
山翠舎の営業担当・相馬博優氏は、古越氏の熱意に応えるべく、店舗用の物件を探すところから協力した。相馬氏は物件取得・融資に精通していて、空き店舗を一見して、開業までの様々な初期費用から返済額までの概算が可能である。足を使って地道に探し回り、不動産情報サイトなどには出ていなかった代官山のこの場所を見つけてきた。古越氏は、特に大きな開口部から自然光が入る点を、自身が最も長く時間を過ごす仕事環境という意味からも気に入った。
山翠舎で設計を担当した星野裕恵氏は、個人宅のダイニングキッチンに遊びに来たような親しみや落ち着きを目指した。古木が力強いアクセントになり、合わせて御代田の倉庫に眠っていたシンボルの水車も、火除けのお守りとして壁にあしらわれている。建物は東急東横線に接しているため台形平面である。そのなかで飲食と物販のエリアを分けるレイアウトや席数の確保、換気扇の位置と配管ルートなどに工夫が凝らされた。今はまだ満席までお客さんを入れないように制限しているが、ゆくゆくは人を雇い入れ、全席で稼働させていく予定だ。

長野市に拠点を置く山翠舎は、様々な理由で解体されてしまう古民家の柱や梁、床などの材があまりに惜しいというところから古木のストック・流通を始めた。ただ、当初は材単独ではなかなか売れなかった。そこで考え出されたのが、より上流の設計から手掛けるという方法だ。2009年に設計の部門を立ち上げ、これまで500件以上の古木を使った設計・施工や古民家移築を行ってきた。特に飲食店の設計・施工は古木を活用するためだけではなく、個人の思いや挑戦を支援するという点からも大事にしている事業の柱だ。代官山KURUMAYAは、長野県の老舗、長野県出身の店主の新しいお店づくりに関わる幸福な仕事だった。「ここまで長野県産にこだわった店はないと思います」と言う古越亜弥氏と山翠舎とは、今も良好な関係が続いている。
100年以上、5代という時間続いてきた家業も、時代に応じてその都度変化をしてきた。令和の新規事業は順調で、3年目を迎え、常連客からは塩だけで漬けられたくるまやオリジナルの野沢菜への問い合わせも増えてきている。そろそろ本格的に自社製品の販売が始まるようだ。

大黒柱のようなシンボル性のある古材。
古木、既存の構造、配管の取り合いに苦労の跡が見える。黒板にも店主による幾多の手の痕跡が残る。
倉庫で眠っていた水車は火除けのお守りとして、諏訪大社の熊手とともにお店の壁にあしらわれている。

文:富井雄太郎[millegraph]
写真(特記は除く):浦部裕紀
協力:代官山KURUMAYA

古木を使った建築・内装・展示デザインなどのご相談は、山翠舎のフォームからお気軽にどうぞ。

大町倉庫工場で出番を待つ常時5,000本以上のストック。撮影:富井雄太郎

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