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(13)姐さんのひらりん、ちと帰国 〜 ①清澄白河カフェの町、ぼやぼやにゃんこを追いかけて

前回は新橋にてオジサマを追いかけた(?)姐さんですが、今回は更にディープなTOKYO下町さんぽ!
とやって来たのが、ココ清澄白河。
にゃぬ!? 姐さんの脳内GPSには馴染みのないお名前で。
この2つの名前をくっつけた地名ってよくあるんですが、TOKYOなら門前仲町、OSAKAなら西中島南方、乗り鉄なら東海道新幹線の「三河安城」や、上越新幹線の「燕三条」などがおなじみのはず。いずれもくっつけ名はゴロがよく覚え易いことが条件。
一昔前、「燕三条」のように「燕」が先か「三条」が先かで戦にもなりかねない勢いになり、結局どっかのお偉いさんが割って入って、
「新幹線は先燕、高速道路はひっくり返せっ。」と、「三条燕」で参上! なんて結果に落ち着いたんじゃったっけ。
てな過去は置いといて、それにしたって覚えにくいこの名前。じゅげむ寿限無...のほうがまだ馴染み。
そうざんす、ココは「清澄白河」キヨスミシラカワ。なんか言いにくい。
姐さん、シラカワキヨスミのほうが言いやすい。
お綾や八百屋にお謝りなさい! と得意の早口言葉でお口慣らししませんと。

ところで元々、東京の町ってーのは、隅田川まで。
ハイ、これもゴロ良く覚えましょ。
隅田川、挟んで西は江戸の町

ハイ、それじゃ地図良く見ましょ。
台東区上の方から、浅草、神田に小伝馬町。
人形町で馬喰町、鍛治町、茅場に蛎殻町.
海が近づく八丁堀、八重洲に湊、築地でスシ喰い銀座でぶらり、と。

清澄白河駅に印あり。

どうざんしょ?
結構ウチはココで代々続いておりまして系のお鼻と敷居の高い老舗揃い。

一方、川を渡って東側。
隅田川、渡って東昔チヴァ(千葉)。

ちっと千葉の方が喜びそうですけどね。
もっと知りたいなら、#チヴァ、で。
定番記事が3記事ござんす。

こっちも墨田区上の方から。
向島だョ百花園、押上今ならスカイツリー、
駒形どぜうにイケメン業平、亀が多くて亀戸で、本所に来たら、横綱どすこい、
ここは両国、江東だ。
森下、猿江、扇橋、清澄白河
平野があって東陽町。
門前仲町、木場、豊洲、辰巳は東南方位陣。
佃に月島、勝どき晴海、みんな江戸前海の中。

あんまりテンポ良く覚えられるんで、オールドスクールのラップにでもなりそうな勢いですが、西側に比べて、だいぶゆるゆる自然体。
その昔、堀ちえみちゃんが
♪『TOKYOシュガータウーン』あはん♥
とか歌っていましたが、ま、ココはいわゆる下町、TOKYOダウンタウンってヤツでござんす。



ただね、ココで気になるのは、やっぱり「清澄白河」ってのが有馬温泉!

なんせこの下町深川ってのも、江戸徳川の1600年代に開発、埋立てに携わった大坂・摂津の深川八郎右衛門さんが、
「ええやん、この辺深川言うといたら。」
ってーぐらいのゆるゆるさでつけた名前がそのまま残って。


だけどせっかく町ができてきたってーのに火事ですよ、火事。日本で怖いと言ったらやっぱり
『地震、雷、火事、オヤジ』。
火事と喧嘩は江戸の華』
火事場の馬鹿力、今どき家事は分担せい』ってね。
1657年に起こった明暦の大火

江戸大火の図。国立国会図書館蔵。

何でも世界三大〇〇、ってのありますけどね、これ、世界三大大火の一つなんですよ。アータ、そんなのあーったの!?なんて思いましたけど、(小)江戸っ子にしちゃあ鼻が高い。いやあんまり名誉でもないですけどね、残りの二つが西暦64年のローマ大火1666年のロンドン大火ってんですからスゴいじゃないですか。
大火オリンピックでメダルですから。
ちなみに国内戦てのもありまして、江戸三大大火と言うと、この1657年の明暦、1772年の明和、1806年の文化とそれぞれ続きまして、江戸時代267年間にあった大火が49回、小さいのまで入れれば約1800回ってんだから、クレイジー『五万節』の替え歌が出来ちゃいそうじゃないですか。
サバ言うな〜、ってヤツ。


この明暦の大火は、俗に「振袖火事」とも呼ばれましてね、八百屋のお七さんのご供養の為にお寺で焼いてた振袖が、風に乗り飛ばされ火が広がったと。ちなみに早口言葉で、八百屋に謝れ、と言われたお綾さんは無関係。
その時江戸城から町まで6割焼失、火は二日間燃え続け、死者の数は10万人。当時の江戸の人口約30万人ってんですから、スゴいじゃないですか。


ちなみにひばりさんも映画で演ってましたよ。
1954年、東映作品。


これでお上も考えた。それまでチヴァ方面から江戸へ入るには千住大橋が一本あるだけ。しかも橋銭二文。
かの芭蕉センセイはここから奥の方へしゅっぱーつ👉なさったそうで。ついでに金町村や松戸村からは常磐線でなく『矢切の渡し』でお越しやす。




その一本橋のせいで火の手を逃れようとしたけれど隅田川で命を落としたってー人も多かったらしく、何かの時の為にはもっと逃げる橋があった方が。って造ったのが今の両国橋永代橋
しかも両国橋は当時の「ポンヌフ」、橋銭もタダにしちゃったもんで、皆こぞって浮世絵にして全国へお披露目したって訳でござんす。


広重作 名所江戸百景 『両国橋』



そんでもって御三家のお屋敷も城外、城外。
橋ができたんで、通勤は楽じゃろう、どうせお侍と坊さんは橋銭免除なんじゃし、市街地拡大に付き、まずは武家屋敷と寺社は川向こうの深川へ大移動じゃ。
狭い通りや密集した木造もお気をつけなせぇ。広小路を通してスッキリと。屋根には瓦、保管は土蔵。
それと同じ理屈が使われたのが、姐さんの地元の小江戸・川越でござんす。まさに名前からして川越えておりんす。

川越は、同郷ケンちゃんの記事に詳しく。

そしてこの頃からでござんすね。火消しを置いたり、防災の下地を作ったのも。
今でこそあちこちのスーパー銭湯大繁盛ですが、この頃だって同じこと。いつの時代も日本人は風呂好きでござんすねぇ。姐さん然り。あはん♥
両国の力士、木場の材木屋で働く職人、佃の漁師なんかもやはり風呂好き。そこへこんなお達しが。

-湯屋の焚湯は暮六つまで。(午後6時頃)
-万が一の消火のため、翌朝まで水は抜かぬよう。
-花火は隅田川のみで。

そこで始まったのが、1733年からの両国花火。現在の隅田川花火大会でござんすね。
元は厄除けの水神祭が始まりのようで。


広重作 名所江戸百景 『両国花火』

この両国橋から、
上流にあったのが、『玉屋〜🎆』。
そして下流にあったのが、『鍵屋〜🎇』でござんした。

その後明治期、1878年に、深川九十九町をまとめまして深川区となり、戦後東京23区の折り江東区へと。
更に時代は進みまして、2000年に大江戸線が開業し、やっとここにて!
清澄白河』駅、清澄と白河をドッキングさせた地名として登場。
2000年じゃ、姐さん既にTOKYO離れちゃってましたね、だからGPS古すぎて引っかかりませんでしたか。

それでは、いざ。
シン・清澄白河さんぽへ。

清洲橋通りと清澄通りの交わる所が『清澄白河』駅。

青いのは寺社。たくさんあります。
小名木(おなぎ)川、以前は行徳からの舟が塩を運んだ
「塩の道」。南側は、元大工街。
木場のそばだからでござんすね。
どちらも火事の多かった江戸にはマスト。
さて、お家賃はHow Much?
TOKYOのお家賃は西高東低とは言いますが、
北区の王子なんかに比べたら随分お高め。


今回初めて訪れましたん。
元は江戸の豪商の屋敷跡だったのを、
明治期に財閥当主、岩崎彌太郎が買受け、
「回遊式林泉庭園」を完成。
大正13年に東京市へ寄付。
昭和54年に東京都の名勝となりました。
可憐な梅ちゃんお出迎え♥
ぎょぎょっ!
こんな所に伊豆石が。
ちなみに江戸城の石垣はほとんどコレざんす。
そういや伊豆は石の産地だった。
思い出しちゃいますねぇ、去年の家族デイズ。

そして、その伊豆石のすぐ後ろにあるのが、大和御影石で出来た御手水。
そして、そのまた奥に小さく見える赤い石。
コレですね、再び出ますが実は日本三大銘石の一つで、佐渡の赤玉石ってんでござんす。昭和55年以降は採掘禁止になったんで、とっても貴重。雨に濡れるとルビー色になって『ルビーの指輪』もびっくりなんでござんすョ。



こちらは名石を使用した磯渡り。
石を点々と置き、歩を進めるたびに景観が変化するよう配慮されておるんでござんす。
こちらは全体図。
鳥さんたちもたくさん訪れるんでござんすね。
いや、ちと暑いぐらいですがね、まだまだ2月終わり。
亀戸の梅屋敷も名が知られておりんす。
椿ちゃんも日に当たり。
は〜、これにも姐さん感心しちゃいましたでござんす。
冬の松への雪対策で、「雪吊り」。
『行きずりの街』とはちゃいまっせ。
庭師さん、イイお仕事されてますっ。
ここにも石使い。
「石橋を叩いて渡る」ことのない姐さん。
おぉ、お約束かのように現れる石仏。
一番右に🙈🙊🙉、真ん中に阿弥陀仏、左に観音さま。
また石が...
火事で亡くなった方々のご供養かもしれない…
はっ、またもや伊豆石発見。その矢印の先には!?
カメサマー!! 🐢 
出ました!こちらは紀州青石。
コレには姐さんもよじれますん♥
アッパレ🎌岩崎さん、
よくぞ金かけ自社の汽船でここまで運んでくれた。

中国には、石を愛でる文化、っていうのがあるんでござんすがね、日本語にしたら「石道」みたいなもんでござんす。
石は不変。転じて『永遠』を表すと。岩崎さんも相当な石フェチだったらしいですから。権力者のスキなパワーワードでござんすね。
今でも中華圏では大抵の女性がヒスイの腕輪やお守りのような物を身に着けてらっしゃいますが(コレが一種のサインとなっとります)、ヒスイも不老不死の象徴。転じて『長寿』を表すんでござんすね。
日本では新潟県糸魚川のヒスイが昔より有名でござんす。
また中国では上海に程近い蘇州で取れる「太湖石(たいこいし)」っていうのが珍重されておりまして、ここで切り出される、長年の侵食によって出来る穴の多い形の奇石があるんでござんすが、これもかの皇帝が都に運ばせ鑑賞したのが始まりとかで、今でもあちらの石フェチはコレ狙いでござんすね。

姐さん蔵書より。
居 廉 (Ju Lian) 1828~1904
広東近辺出身画家の多い嶺南(リンナン)書派。
「太湖石と水仙」
芭蕉の句ももちろん石碑に。
広重氏が生きていたら描いてほしいような
シン・名所江戸百景。
こちらはですね、磯渡りの中でも大磯渡りと申します。
思わず描きたくなるような、立派な松の枝っぷり。
あー、再びめっけ!
カメサマー🐢
鯉ちゃんもスキやねん♥
こんなんもええなぁ。
こんな絵描きたい。
あー、堪能しました。


回遊式庭園をぐるりと回ってネ〜コの目。
ぼやぼやにゃんこにはまだ会えない姐さんでござんす。

続きをお楽しみに。

いやん♥













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