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冷えた西瓜


一方的な想いが恋から愛に変わることは問題ないけれど、双方向的な想いが恋から愛に変わるのは、少しだけ怖いな、なんて身勝手に思っていた。もう、夏だ。


長期休暇を取っていた。
気持ちが死んだとか働けなくなったとかではない。会社のルールで一年のうち一度五日間連続の休暇を取る必要があるのだ。幸いかなりホワイトな会社に就職できたので今のところはなんとか仕事ができている。
休暇は土日を合わせて10日になる。なんと多い。!

大阪に帰ってきているので友人に会ったり、美容院に行ったり、ゴロゴロしたりしている。早めの夏休み。

夏が来てからずっと西瓜が食べたくて。スーパーで見かけた大きな西瓜が忘れられず、実家に帰ってきてから買ってもらった。鳥取県産の大きく冷えた西瓜はみずみずしく甘い。かぶりつくと西瓜の果汁が撥ねて顔についた。

今年の人生は現段階でなるべくして好調ではあると思う。一人暮らしをする、ということよりも、一度実家を離れてみる、というプロセスがやはり大事だったのだな、とぼんやり、でも確かに思う。長野出身の友達が言っていた「家を離れると親との距離感は変わるから大丈夫」という経験則を私はいつも思い出す。

犬が少しずつ年老いていて、夏が少しでも暑くなくなれば、と思った。




久々に彼に逢いました。と言っても二ヶ月ぶり、いやでも二ヶ月も経って、、なんてことはもうよくて。
遠くへ行ってしまうような感覚がするほど忙しなくはないけれど時間のないあっという間の日々、私は貴方と身勝手に向き合っている時間がないと水の中に溺れてしまうような人生なのに。

私が本当に勝手に抱える感情は貴方の為にはきっとならないし、それは一方通行なわけで。そんな感情を少なからずもう十年近く抱えているから、この感情がいつ恋から愛に成り代わったのか、私もよくわからない。この気持ちが愛に変わって、寂しいこともあった。でもたまに想い出す恋に近しい感情を手のひらで見つめる度に、私の中に確実に存在するのだと知られて、大丈夫だと思えた。だから、愛になったことも嬉しかった。

けれど、双方向の感情はどうだろう。私が貰う感情はどうなんだろう。私、恋から愛に変わってしまったらと思うと、少しだけ怖くなってしまった。

同期の男の子は言う。一年付き合っている彼女がいて、その子のことは確かに好きだけれど、もうドキドキしたり殆どしない、と。
恋じゃなくなってしまったんだ、その感情は。私はそう返すことができなかった。何気なく言った彼はきっと、そこまで考えてないだろうから。

ときめき、と、きらめき、は、語感が似ている。雰囲気も似ている、ような、気がする。いつだっていろんな物事にときめいていたくて、ときめきは火花の様な閃光で、熱に浮かされて生きている瞬間は茹だる夏のようで。

恋は花火のような奇跡だ。確かにそうなんだけれど、本当にそれだけだろうか。それだけで、いいんだろうか。

うまく言えないし纏められないけれど、そんなふうに、思うのです。




始まったばかりの夏がもう鬱陶しい。それでも、私は懲りずに花火を見に行くのだろう。

それはまるで、いつかの恋心が愛おしいように。



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