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貴方が貴方を救うための
出逢って七年経った今でさえ、貴方から教えてもらう事がまだまだある。溢れてしまいそうなくらい、ある。
あえて隠さずに記すけれど、死ねと言われることが本当に嫌いだった。口の悪い姉によく言われていた。(今は言われないし普通に仲が良いと思う。)最低の言葉を平然と何度も投げてくる人の気持ちが解らなかった。私だったら言葉にする側になってさえ傷つくと思うからだ。ついでに言うと私は嫌いという言葉を口に出すこともあまり得意ではなかった。
好きだ嫌いだという以前にそもそも言っていい言葉ではないが、今や口癖のように発する人がいる。
私はその言葉にいつまでも慣れず、きちんと傷つく人間だった。(それを悪いことだとは思っていない。)
だから、人に死ねと言うことは勿論、しにたいと言うことも正気のうちはすることのないよう細心の注意を払っていた。
だけどいつからだろう?
心の中で「しにたい」が消えなくなったのは。
私の殆どあって無いような度胸で死ねるわけがないし、生きていきたい、まだ死ねない、という意志があった。その灯火が、彼だった。
だけど、「死ねるわけがない」なんてことは、ないのだ。
それを解っているからこそ、自身が「しにたい」と思ってしまうことが、どうしようもなく恐ろしかった。
久々に彼に会いに行った。数か月ぶりの逢瀬だった。
彼に会って、一日中ずっと楽しかった。会う前の準備も会ってからの帰り道も、本当にずっと楽しかった。それも、久々だった。
そうやって一瞬のような時間を過ごして、私は「やっぱりまだ死ねないな」と思った。
私は不安だった。次いつ会えるか約束のない中で、どうやって生きていけばいいかわからなくなると思っていたからだ。
だけど、私は貴方に想像よりもずっと大きな優しさと強さを貰ったみたい。
この気持ちもいつかは忘れてしまったり失くしたりしてしまうかもしれないし、貴方もいつかはいなくなる。
でも、だからこそ、私は貴方が居なくなるより前に死ねない。
貴方が居なくなるより前に、貴方へのこの気持ちを忘れたり失くしたりしたくない。
そう思うと、「生きるって尊いな」と
私は初めて実感できたのだった。
何より、愛する貴方に「生きて」と言われたら、
生きていくしか、ない。
どこまでだって生きていくよ。
でもね、私知ってるよ。
貴方の「生きて」が私のためだけじゃあなくて、貴方自身のためでもあるってこと。
貴方が貴方自身のために言うからこそ、その言葉に核が生まれているのだと思うし、私も救われている。
それでもやっぱり私が何か報えることがあれば、と思ってしまうけれど
自分自身でしか救えないこともあると、知っているから。
貴方が貴方を救うための言葉に、今日も私は救われる。
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