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夢見月


大好きな彼が少し前にカメラを買って写真を撮り始めた。私はカメラも彼も大好きなので本当にそれが嬉しくて。彼もデジタルから入ったのだけれど、すぐにフィルムへ転向した私と違って上達速度が著しい。表現活動が得意だからあんなにインプットアウトプットが早いんだろうし、とても感性的で誠実で、素敵な人だから、それが写真にもどこか滲んでいてすごくすごく好き。写真はその人を写し出すものでもあるから選り好みがしっかりあると思っているんだけれど、だからこそ彼のことが好きで彼の写真も好きだと思えていることがとても嬉しくて愛おしい。でもね、私が一番好きなのはファインダーを覗いて写真を撮る貴方のその聡明で美しい横顔です。
いつか照れずに伝えるね、ちゃんと。


サムネにした写真は仲良しの友達に撮ってもらったもの。卒業式の後京都でご飯を食べた。お世話になった先生に最後までお世話になった。(訳:卒業式二日前とかに「先生ご飯連れてってくださいよお」と図々しい押しかけLINEをしてワインの美味しいお店に連れて行ってもらった。)
駅までの帰り道で満開の桜を見つけて。夜桜写真だ~なんて言って少しだけ撮ってもらった。社会人になったらこうして被写体をさせていただく機会も減るんだろうけれど、またいつか機会があればできたらいいな。

できたらいいな、とは言いつつ、やっぱりどれだけ沢山の人に「可愛い」と言葉を貰ってもそれを表面上でしか受け取れず自分の中に昇華できない自分に最近はもはや腹が立ってきた。自己肯定感が低すぎる。けれども今の自分を認められなすぎる。納得できない。私だって私のこと可愛いと思いたい、!、ていうか私も「表面上は」私自身のことをある程度可愛らしいとは思えているのかもしれない、と先日思った。お酒を飲んだ日の帰り道はよくわからないことばかり考える。(でも妙に冴えていたりする)
コンプレックスがあまりに肥大化しているのでX(旧Twitter)ではここの整形が良かった、とか美容医療のおすすめはこれだ、とかばかり見ている。見ていいねしてブックマークするものだからおすすめでどんどん出てくる。丸ごと変えたいほどのコンプレックス度合いではないけれど、今の自分の顔を好きになりたいからこそ少しだけコンプレックスを軽くしたい。そのためにできることをしたい。何度も言うけれど今の日本の美醜感覚は本当に生きづらい。それに呑まれている自分も悔しい。けれど、私の目標はいつだって「自分をきちんと愛する」だから。それが本当の意味で何を指すのかと言われると難しいところだけれど。自分を愛さなきゃ、周りの人のことは愛せない。いつか必ず傷つけてしまう日が来る。身を持ってそれを解っているからこそ、この難題を命題としてこれからも考え悩んでゆくのだろう。

雨が続いているから桜も散ってしまうんだろうな。今年は桜、全然見られなかった。毎年愛犬と桜の写真を撮りに行くのだけれど、今年は新人研修もあるし難しいね、なんてことを少し前に母と話していた。大好きな愛犬と離れて私生きていけるのか。結局泣いちゃうんだろうなあ。

あと数日で二十二年間暮らした地元とも一旦お別れで、そう思うと途端にいつも通っている道や建物が感慨深く見えてきて。
部屋に貼ったポスターや写真も沢山の本もここに置いていくんだろう、私が今までの私であったこと、この街が、この部屋が、きっと覚えておいてくれる。

また帰ってくるね。




最後に。
プロフィールのところにTikTokとYouTubeのリンクを付けました。InstagramとかXじゃなくてその二つ...?と思われそうなんですが、今更ながらに自分の作った楽曲(と言っても弾き語りワンフレーズ)を載せるためにアカウントを開設して、定期的に載せていこうかなと。TikTokに関しては一度作っていたけれど、バズらなさすぎてめげてしまったので改めてオリジナル限定で始めました。でもやっぱりめげそうです。頑張りたい。
良ければ見に行ってもらえると嬉しいです。私は私の歌は、歌だけは、きちんと愛しているので。それが伝わって、好きだな、と思ってもらえたら、もうそれは私にとって至上の幸福だろうから。良ければ、いや、是非。見つけてやってください。よろしくお願いします。

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