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2022 WRITE DOWN Pt.3

一期一会がワーキングホリデー。
そしてメルボルンは
沢山の人の旅と人生が交わる場所。


いよいよたどり着いたぞメルボルン。
ここまで長かったし、このPart.3も長い。
コーヒーを淹れてから読むことをオススメします。

たどり着くまでのお話はこちら。
(Spanish Sub)

予定していたとおり、仕事はのんびり探し始めるかぁという事で最初の1,2ヶ月はゆっくり目に。
目立った観光地へと行くのではなくて、写真を撮りながら散歩をしつつコーヒーショップ巡りをしていました。敵情偵察ではないですが、色々調べたり教えてもらったりとで多くのお店へと行き、ひたすらコーヒーを飲みまくっていました。(逆に言うとそれくらいしかやることが無かった。)
あの頃は「1年」という物への焦りを知らずに考え、コーヒー屋巡りをしていれば勉強になって「何かやっている気」になっていたと思います。さっさと仕事を見つければいいのにね。
(その間も一緒にメルボルンに来た人には大変にお世話になりましたよ。本当に。)
でもこれも一つの行動であって、未来の読めない私が当時思いつく事のできた数少ない未来へと進むための行動でした。でも実際に色々勉強になりましたし、今思えばこれも必要な回り道。

ところでこの街のコーヒーショップは朝が早い。早いところは6時半からコーヒーを出し始め、そして7時頃には本格的な朝食にありつけることができます。
その朝食のレベルもとても高い場所も多く、けれどももちろん値段も高い。20ドル前後は覚悟しないといけない。なので貧乏生活をしている自分にはめったにありつけるものではないのもまた事実。
個人的にはアサイーボウルやグラノーラ、そしてその構造上食べるのが難しいアボカドトーストが好みです。エッグス・オン・トーストも悪くない、安いから。

GRANOLA BAWL (AUCTION ROOMS)

そして逆に15時頃には多くのコーヒー屋は閉まり、17時以降ともなると営業しているのはスターバックスくらい(その代わりパブの営業開始も早い)。なのでその辺りの時間から外で時間をつぶしたり、日本みたいにカフェで作業をするというのが大変になります。
とまぁこの辺りがメルボルンカフェ事情。

そんなこんなでいろいろ回っている中で、オーストラリアでロックダウンを耐え抜きメルボルンでバリスタをしている日本人の人々が沢山いることを知ります。
その当時は海外で本当に頑張る日本人を目の当たりにしたような気分で、日本で会うのではなく実際にその働く姿を現地で見るというのはとてもショッキングな出来事でした。昔から海外で働いてみたい願望は少しあったのですがそのイメージしていた物は曖昧な物で、ただ単純に英語で仕事をできることが格好良さそうだとか働ける場所が増えるとかそんな単純なもの。
でも改めて自分も同じ環境に飛び込んで気が付くのですが、それはもう大変な事です。言語も、文化も、法律や仕事のプロセスも全部違う中で戦って行かなければならない。今でこそだいぶ慣れては来ましたが、この国で仕事を探し始めた当時の自分は本当に、本当に不安しかありませんでした。

そんな日本人から見たら圧倒的に特殊な環境で、バリスタとして日本人が大活躍している姿には本当に背中を押されました。それもただ働いているのではなく、時にはバリスタ職でも上位の役職に就いていたり、大会に本気で出場している人も。
そんな事は日本にいる人の殆どは知らないでしょうし、実際に僕もまさか日本人がオーストラリア代表となるべくバリスタとしてコンペティションを目指しているなんてその時までは知りませんでした。凄いぞ日本人。

One of SUGOIZO NIHONJIN (RUDIMENTARY)

そんな活躍する日本人を見て感動している私はと言うと、多少のコミュニケーションはできたけれど完全に英語の環境に飛び込むのは勿論初めて。しかもその環境で仕事をして生きて行かなければならない。
この街は恐らく特殊で、主流な英語はイギリス英語(この時点で日本のアメリカ英語育ちには酷く高い壁)。それに加えて色んなアジア英語が飛び交う。特に個人的にはタイ系の英語がしんどい。まぁ日本人の英語もイントネーションで国籍がバレるくらい酷いらしいのであまり言えない。実際私のカタカナ英語もなかなかキマっています。それでもこの国の人は私の英語を褒めてくれるの優しい。

そんな環境で自分が本当に英語を使って仕事ができるのかと言うのはかなり大きな不安でしたが、そこに悩んでしまったらこの国に働きに来た意味を失ってしまいますよね。なのでもう飛び込んで行くしか無いなって気持ちで、他の活躍する日本人バリスタの背中を見ながら、追いかけながら飛び込む恐怖と戦っていました。もう英語は実戦で覚えていこうと。
なので英語への恐怖心をどれだけ感じても接客を積極的にしようと、自分の中で「これも勉強」と鞭を打ってぶつかっています。そのおかげもあって当時と比べたら割とだいぶ英語も伸びた気がする。それでもまだまだ沢山聞き取れないし、完璧なコミュニケーションを取れているかという40%くらいだし、なによりお客さんのオーダーを聞き間違えてしまった時にとても落ち込む。
常連のお客さんの中には、僕を見ると分かりやすい英語で注文を伝えてくれて、その優しさに涙しつつも少し悔しい思いを感じています。
でも改めて、この国では英語ができるのが当たり前。だからこの先も頑張ってお客さんと英語でぶつかっていく。それが一つの近道だから。
とはいえ机に向かって英語を勉強するのがちょっともうやりたくないという気持ちも少しだけ有るのは秘密。

そんな英語への不安と仕事への焦りを抱えながら色々コーヒー屋へとフラフラしていたある日、某所で運命的な出会いをしました。
その方もメルボルンで長い間コーヒー業界で活躍されている方だったのですが(個人的にはレジェンドの一人)、しかもなんと自分の主催でコーヒーの勉強をできる場所を提供されていて、幸運にもその場に招いて頂いたのです。
いやもう本当に文字通り運命的な出会いで、まだメルボルンに来たばっかりだった私に日本人の友だちが居る訳もなく、学校に行っていた訳でもないので日本人と知り合う機会も無し、しかもその頃はロックダウン明けから数ヶ月しか経っておらず昔と比べたら日本人も少なかったらしく、尚更日本人の方々と知り合う機会は限られている中での光明でした。

なんか入国する前はできるだけ現地の人々と沢山交流して、「海外に行ってまで日本人とだけ一緒にいたらもったいない」なんて思っていた時期もありました。けれでも実際に現地に来てみるとあら不思議、もうそれどころじゃない。もう少しできると思っていた英語が通用しないと知った時にはもうそんなご立派な考えは消え失せてました。
なので当時はどれだけありがたいお話だったか。本当にありがとうございました。

その勉強会は基本的にはエスプレッソの抽出とミルクのスチーミングを練習できる場所だったのですが、少しだけエスプレッソマシーンから離れていた自分にとってはこの国で仕事を得るためのトライアルに向けての本当に良い練習の場所となりました。
更にその場所は私にとってはただコーヒーを練習するための場所ではなく、オーストラリアが長い人も短い人も、そして普段はバリスタじゃない人も集まる場所で、様々に違ったバックグラウンドを持つ日本人の人々と出会った場所でした。今思っても、そしてどうやって考えてもそこでの出会いが無かったら始まらなかった物語がたくさんあり、今はもうメルボルンを離れてしまった人もいますが多くの人と多かれ少なかれ今でも親交が続いています。
とても高いレベルでコーヒーと私を結びつけてくれる人もいれば、とても仲の良い友だちとして、更にはその両方も。
私にとってはそこが「人とコーヒーの繋がる場所」だったのです。

これを含めても本当に2022年は出会いの年でしたが、このコミュニティへの参加によって私の世界が新たに色々な人々と繋がり、そんな物がもし存在するなら人生のターニングポイントと言っても良いくらいに(一度は言ってみたかった)本当に良い契機になったと思います。
今までのその孤立していた自分の世界が他の世界と繋がったことによる異文化の流入、比較、そしてそれらによる自分の感覚のキャリブレーションができたことにより、自分の輪郭の再確認及び自分についての新発見を得る良い機会となりましたし、自分が如何に小さい人間かを皮肉や相対的評価を抜きに知ることなりました。
その事でどれだけ自分が日本で小さな世界に引きこもっていたのかが本当に分かりましたし、様々な交流がどれだけ自分を前進させるのかこの歳になって本当の意味で言語化できるレベルでその時気がついたと思います。

Pour Over Coffee (CODE BLACK COFFEE)

そして一回コミュニティに入るとそれは色々な連鎖反応を生みます。
人にはそれぞれの交友関係が勿論ありますし、それぞれのコミュニティがあります。そういった物を持つ人も集まっていたその場所での出会いは様々な形で私に更に多くの素晴らしい物を提供してくださいました。

ある人はその交友関係や人望・人様からコーヒー業界の方々と仲が良く、バリスタとして店舗で働いているだけでは話すことの滅多にできないような方々と私を繋いでくれた事もありました。一緒に行ったカフェ巡りも本当に毎回楽しかった。
とても私からしたら年上の人で、気さくで物腰の柔らかい常に穏やかな雰囲気を纏う方で、歳の大きく離れた私との会話も本当に楽しんでくれていましたし、私もとても沢山楽しませてもらいました。そして物事への見方も鋭い物が多く、その観点には私もとても驚いた記憶があります。
その方が時折開催していたコーヒー勉強会やワークショップにも時折凄い方も現れるのですが、その中で繋がった出会いが今の私の仕事にも繋がるなど、もはや筆舌に尽くしがたい程の感謝をその方には感じています。本当にありがとうございます。

そしてまたある人はいくつかある「メルボルンのコーヒーショップと言えば」の中の一つで支店の一つを任されていた凄い人。
その方はそもそも当時一緒にメルボルンに来た人のちょっとした知り合いで、前述の最初のコミュニティで初めて出会った人。地元が私とも近く、その話でたまに盛り上がっていたりしていました。
その方はその当時の僕の周りで一際コーヒーへ熱意を燃やしていた方の一人で、「コーヒーとは自分にとって何か」と言うのことに対して明確に芯を持っていた方でした。
開催してくれていたカッピングやその他コーヒーセッションは毎回アイディアに富んだ物で、時には仕事でエスプレッソと戦った後にも関わらずさらにそのセッションで何カップものエスプレッソを皆でテイスティングしてゲロゲロになったこともありました。
しかし私にとってはその毎回が新たにコーヒーの楽しさを知る素晴らしい機会であり、その方が私の心に点けてくれた火が私の中のくすぶっていたり雑多に置かれていた色々な事への思いを燃やし去り、コーヒーの火をまるでエンジンを始動するかのように点けてくれたと思います。
この国に来た時はまだ漠然としていた「コーヒーを勉強したい」という思いでしたが、その実りのあるセッションを通して「自分のできること」「課題」を知ることになり、その事で真っ直ぐとコーヒーを見据えることができるようになりました。それは自分への「自信」となり、時には「焦り」、自分への「幻滅」ともなりましたが両方とも前を向いて進むための良いエナジー。しかもその気持ちをワークショップに参加した人たちからも良い刺激として受け、そして感じていました。

主催者の人柄を表すようにそのセッションには多くのバリスタが集まっていたのですが、レストランのドリンクオールラウンダーとして歩んできた私は、当時はまだ100%バリスタとして働いていた時間はほとんど無く、逆にほとんどの参加者はそれぞれの道で私よりも長く100%バリスタとしてスキルを極めてきた人々。だからこそそんな方々と一緒にコーヒーの勉強する時間は本当に良い経験となりました。
全員が同じコーヒーへの熱意を持って挑んでいたので、そのセッションで交わされる意見は本当に新たな知見を多く私にもたらしましたし、そのスタイルの違いすらみんなで新たな発見として共有することができました。

そして「セッション」という概念もその方から教わった言葉。
それは僕がなんとなく日本でホスピタリティの仕事をしていた時からお客様に対して提供、お客様から頂いていた「何か」を言語化したものでした。
私のコーヒーに対する「美味しい物をお客さんに出したい」という気持ちは一つの側面。もう一つは「コーヒーはコミュニケーションツール」というもの。
その方の思う「セッション」の持つ意味の一つにはそのもう一つの側面を含む意味があったんですよね。そしてそれに付随して私のそんな言語化できていなかった思いが一つの言葉に言語化された時、逆に一つの言葉の持つ多くの意味や具体的な光景が私の中に流れ込んできました。人のいるところには必ずセッションはあり、言葉が交わされなくても沈黙というセッションがある。
この国に来てから今日まで私が色々な人々とコーヒーと沢山交わることができているのは、まさにそのセッション。
ではその「セッション」とやらは何ぞや?と。ここまで読んでくれた人はきっともう説明済みだと気づいていると思いますよ。気づきませんでしたかそうですか。大丈夫、Mission Impossibleの「なお、このメッセージは5秒後に自動的に消滅する」とかにはならないので安心して読み直してみてください。
でもあえて簡単に書き残しておきます。こんな長いものを読み直したくない自分のために。

「それぞれのヒトやモノは全てが一つの音色で、気の合うヒト、モノは色々なそれぞれの持つ概念と合わさって心地よい音楽となる。その音色が風に乗って違う音色の元に届き、そこからまた新しいパートが加わって来たり、違うところで新しい音楽が始まること。」

思いつき


DUKES COFFEE ROASTERS

もう既に何人かの人は遠いところに行ってしまったけれど、他にもここでは語り尽くせないくらい沢山の人々とこの国で今日まで出会って、そして過ごしてきました。
繊細な感覚でコーヒーと向き合い、カッピングでの表現力でいつも私に新しい感覚と刺激を与えてくれた人。とんでもないコーヒーへの熱量と知識で毎回いろいろな刺激をくれるジェダイマスター・ヨーダ(そう考えると私はまるでパダワンみたい)。いつも明るく、まさにムードメイカーって人。お店のマネージャーや同僚。素晴らしいお店で(しかも複数箇所で)働きつつQグレーダーを取るべく頑張る人。ロースターで仕事をしつつほぼ毎週のようにコーヒーワークショップを開催してくださる陶芸家の方。その他メルボルンのお店で働いている私のことを知る沢山のバリスタ達。私の働いているお店にコーヒーを飲みに来る全てのお客様。行きつけのバーのバーテンダー。建築業界に居るのにコーヒー業界の人々と凄い仲が良いお兄さんみたいな方。

気づけば周りには最初の頃とは違い、日本人に限らず世界中から来たこの国で頑張る人達。そんな皆と一緒に過ごしていると、言葉の壁こそ私には高いものが有るけれど、どこの国の人もみんな同じ人間だなぁと思ってしまいます。
それはきっと元から移民が多い国(歴史的にはそもそもみんな移民だけれど)なだけあって、色々な人種の人々がいて、一緒に生活することは既に当たり前になっているのだと思います。そんなノーボーダーな感覚がより人々との距離を縮めていて、それ故に私も沢山の人達と出会えたのだと思います。
本当に誰が言ったか「国境は徴税のための行政区分」でしかないと感じますし、意外とこの世はワンワールド。
メルボルンは人々が常にセッションをしている場所なのかもしれませんね。

出会いとともにあの時開演・参加したセッションはいまだ止まらず続いています。一期一会な音色は沢山の色を見せてきましたし、演奏会場も時には小さなスタジオだったり大きなアリーナだったりと様々な規模。新しい音色が入ってくるといつもわくわくしますし、音色が去ったり止まるとそれはやっぱり少し寂しい。
でもそれがメルボルンの音楽のスタイルなのです。そしてその一期一会が様々なセッションを生むと思っています。自分も今はセッションの一部ですが、きっとそれもいつかは離れていかなければならない時が来るでしょう。
でもそれは全く私にとって残念な事ではなくて、むしろ前述したとおりセッションというものは色々な音色が出入りすることで色々な流れを生みます。そして自分という音色はまたきっと新たな場所で新たなセッションに加わったり生みだして行くのだと思います。

私はそれがとても楽しみです。

PROUD MARY COFFEE

さてメルボルン出会い編はこの辺りでしょうか。
この中で紹介しきれないくらい本当はもっと沢山の人々にお世話になっているのですが、それを細かく書くともういつまで経っても2022年振り返りが終わらない。
なので、ここで改めての謝意を。みんな本当にありがとうございます。

疲れた。なんか凄い長くなってしまった。前回のリリースからの期間も中身も。
中身も気づいたらお世話になった人の言葉を引用しまくってるし。まぁそれは仕方ない。実際に今の自分にとって出会いを語るのにこれ以上の言葉はないし。
リアルタイムで追ってる人向けの話ではありますが、Part.3がここまで遅くなったのはまぁ仕事やらなんやらが少し忙しかったことがあります。しかし何よりの理由は最初に書いていた方が内容的にPart.4になってしまったため、改めてこれを書いたからというのがあります。うん、完璧な言い訳。

これが投稿される頃にはもうもすでに1月も終わろうという頃ですね。書くことが有れば2023年振り返りにて書くことがあるかもしれないのですが、知ってる人も多いでしょうがこれを投稿した時期から夢みたいな環境に身を置くことができました。
しかもこれも出会いのおかげ。2023年も出会いの年になるのでしょうか。

Part.4は、より私のオーストラリアで働きながら考えていたことを最後に書き残せればと思います。
今回はここまで。どうかみなさま目の休憩をお忘れなく。
それでは、ここまで長らくありがとうございました。

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