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プレゼントからみつめる愛



私は本当に愛されているのか

私は自分をどれほど知って

伝えられているのだろうかと

思い知らされる瞬間が

サプライズやプレゼント

という場面だった。



私はもともと

嘘をつくということがとても苦手で

好きではないものを

貰った時に選んでくれた相手を

思いやってありがとうと

喜ぶことが苦痛で仕方なかった。



"本当に愛される"とは

どういうことかもわからなかった私は


自分ではない誰かになろうと

相手の好きな自分の枠から

はみ出さないようにと必死だった。


無条件に私は愛される存在だと

思える様になるまでは。


そんなことが許されるとは

夢にも思っていなくて

条件付きの愛が愛だと思っていた。



これが出来れば、愛される。

こういう自分なら、愛される。

これが出来ないと、嫌われる。

こういう自分は、嫌われる。


嫌われることが怖くて

自分の感覚や感情に蓋をした。


その頃に男性からもらうプレゼントは

ことごとく、好きなものではなくて

顔がひきつるほどの笑顔を作った。

「…ありがとう。…嬉しい。」


精一杯言葉を選んで聞いたのは

「なんでこれを選んでくれたの?」

お店で1番人気なんだって

と笑顔で言われた時に

さらに目が引きつった。


上手く喜べないと怒られるたびに

先の見えた不器用なサプライズにも

私は驚くフリ、喜ぶフリをするようになった。


でも当時は自分をなくす怖さよりも

愛されたい思いを満たしたくて

大切なことに気付けない程、歪んでいた。


それはいつしか

その人といると疲れるに変化した。

特にプレゼントの時間が嫌いになった。


だけど本当は、相手どうこうではなくて

嫌だと本音をいえない

怖がりで臆病な自分に1番苛ついていた。


その人といる時の自分が嫌になって

気づかない間にチリがつもるように

どんどん自分も嫌いになっていった。


その人とお別れという道を選んだ頃

女性性という言葉を知った。


とても興味深くて面白い世界だと思った。

女性性について学んでいくうちに


自分にわいた感覚・直感・感情を

信じていいんだ。

そして、愛を受け取っていいんだと知った。


褒められること

愛されること

何かを受け取ること

それを私は許していいんだ。

初めて心からそう思った。


調べていくうちに

感性や感覚、愛といった

内面から溢れ出てわきでるものが

本来の女性性で


外見だったり

身なりや振舞い、仕草などの

一般的な女性らしさは

女性性とは関係ないことを知った。


じゃあ、具体的にはどうしたら

女性性を高められるんだろう?

知りたくて仕方なかった。


まず自分を愛するって、どうやって?

まず自分を満たすって、どうやって?


私は幼少期から女性性が

傷付いてしまうような体験も

たくさんした。


被害にあうたびに

色んな人から言われる

「女の子なんだから気を付けて」

という言葉が

私がいけなかったんだと思った。


トラウマとも言える恐怖が

身体に染み付いていて


その感覚が蘇るたびに怒りにも似た

私が女じゃなければよかったのに

という想いと

何度もひとりで泣いた記憶が

心の奥底に渦巻いていた。


だけど、それらを乗り越えて

誰かと比べたり

何かの価値観に当てはめずに

私自身が心底感じる

愛されるという体験をしてみたい。


そして私は挑戦することにした。

まずは荒いけれど行動を真逆に振り切る。

(発達障害あるあるの
白か黒か、0か100かという概念が発揮された。)


最初は心からそう思えなくても

思い込んでいく練習を重ねた。



私は愛される存在…

私は愛される存在…ブツブツ

ブツブツと唱えた



その場の振舞いやなにかの判断は

"もし私が愛されていて
満たされている状態だったら
何を選ぶか、何をするか、何を言うか"

という意識と思考状態に
意図的に何度も何度も合わせた。



そうしているうちに
最初は違和感しかなくてゾワゾワした
感覚だったものが

いつの間にか、波はあるけど
私は愛されているがベースになった。



その頃から変化があった。

私に集まってくる人が変わった。

出会う人、一緒に過ごす人が変化して

目に見えてなにかが変わった。


依存関係だった友人とはいれなくなり

愛や尊敬をお互いに循環し合う関係を

築けるようになった。

本当に思考を変えるとこんなに変わるんだ。


目には見えないけれど私たちは

周波数が同じ人同士だったり

エネルギー交換し合って生きてるんだ。

どちらが良いとか悪いではなく

そう感じた。


最初のプレゼントの話に戻るけれど

私は、サプライズやプレゼントを通して

みているものがふたつある。


ひとつめは、愛をはかること。

プレゼントからどんな愛をはかるかといえば


"私をどれだけ日々見つめているか"

"私の言葉をどれだけ本当に聞いているか"

"私をどれだけ知っているか"


ここに相手の愛し方のセンスが含まれる。

私は今、いつもそれを楽しんでいる。

愛し方は千差万別だから面白い。


ふたつめは、自分の嘘。

日々のなかで自分が自分に対して

ついた嘘や我慢が多いほど

相手も私を見失ってしまう。


これは嬉しい!これはいらない。

これは好き!こういうのは好きじゃない。

これが楽しい!これはつまらない。

それらを嘘なく表現することを心がける。

私からわいた感覚を否定せずに

そのまま表現する。


女性性を通しての気付きで

変化したというより

"本来の自分を取り戻した"

という言葉が近いような気がしている。


私たちはみんな

本来そのままで愛される存在。

何ができるとかできないとか

何を持ってるとか持ってないとか

無条件の愛のなかでは全部関係ない。


いつかブツブツ唱えていた

夢みたいな言葉は

真実になった。


「この間これ食べたいって言ってたから
買ってきたよ。」

「これ好きそうだなと思って。」

「欲しいって言ってたから頼んだんだ。」

「これは嫌だろうなと思ったからこれにしたよ。」

「えいみ、生きていてね。
僕のお願いはそれだけだよ。」


そんな言葉と日常が溢れてる。

愛を渡したり受け取ったりの

バランスが心地よい。



私がプレゼントを通して

1番受け取りたかった愛はこれだ。

あなたを愛してるよ。



本当の私をどれだけ

知ろうとしてくれたのか

私をどれだけ見つめてきてくれたのか

時間がわかる。



プレゼント1つから

わかることはたくさんある。

目に見えない様々な想いがのる。

私はいつもそれをじっとみつめている。


条件付きの愛のなかを

長い間彷徨っていた私は


無条件の愛のなかを

ゆらゆらと漂って生きるようになった。


たまにあの頃の感覚が蘇るけれど

溺れても戻ってこれるように

なったことが自由になったなと感じる。


顔がひきつるほどの

偽物の笑顔をつくる日はもうない。


私への愛がこもった贈り物しか

もう受け取りたくないから。


クリスマスプレゼントをもらった

子どものように足をバタバタして

ピョンピョンとジャンプしながら

大はしゃぎで大喜びして



眺めるたび、思い出すたびに

可愛い!嬉しい!楽しかったね!と

子どもみたいにくしゃくしゃに笑う

私が、今いる。


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