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卒業式

 月曜日は卒業ライブ、昨日は卒業式。流れで卒業パーティーも行ったから、私が卒業するような気分になってしまった。あと一年あります。なんなら明日登校日です。テストが返ってきます。

 私はオーケストラ部のメンバーとして卒業式に出席した。楽器はトロンボーン。トロンボーンは、私の学校のオーケストラ部の管楽器で一番低い音で、吹くリズムは華々しくはなくてもみんなを支えるベースだ。同じ楽器を吹く人は他にはいない。他の管楽器やたくさんいる弦楽器に負けじと一生懸命吹いた。

 入場は、ユダス・マカベウス「見よ、勇者が帰る」。チャペルのドアが開かれ、指揮者がこちらに「行くよ」と目で合図する。全員が楽器を持ち、それまでのきゃあきゃあした自分は何処かへいなくなった。最初の音、次の音、その次。3年生が順に入場するのが目の端の方に見えた。コーラスだけのパートのあとは、私の一番の目立ちどころ、管だけのパート。あとはひたすら盛り上がって、3年生の入場が終わると曲も終わる。あぁ、お別れの始まりだ、と思った。

 1組の先生から順に名前を呼んでいく。声の大きい人、静かめな人。高い声、低い声。緊張していそうな声、いつも通りそうな声。いろんな先輩がいたんだと、返事だけからも感じられた。途中で泣いてしまう先生もいた。

 その後は、何人かからのお話があって、それが終わったらもう退場だった。曲はCeltic Woman「You Raise Me Up」。泣かせる選曲だ。この曲はコーラスのアカペラから始まる。サビに差し掛かるとき、指揮者と目が合う。そして、サビで全員が弾き始める。そして、3年生が退場して行った。この曲は入場の曲より難しいから、目の端で三年生を見ている暇もなかったけど、9小節も休む部分で一人だけ、仲のいい先輩の姿をちらっと見ることができた。

 3年生が全員退場したあと、まだ曲が終わっていないのに先生方がドタバタとチャペルから出て行った。ちょっと雰囲気が崩れた。

 そのあとは写真を撮ったり、「また会いに来てね」なんて言葉を交わし合ったりした。先輩たちはそれぞれが選んだ道を行く。きっと未来のある方だけを見て進む。私達のことを覚えていてくれるのはいつまでだろうか。薄れた思い出の中だけの存在になるのはいつだろうか。それが不安で、「また会おう」なんて言っていた。

 一年後、私が今度は卒業生の席に座って、大好きな後輩たちに送り出される。そんな実感は少しもないけれど、でも私に残された高校生活は間違いなくあと一年なのだ。あと一年で、私は先輩たちのようにかっこよくて優しい先輩になれるだろうか。あの席でシャンと背筋を伸ばして、高校3年間を誇ってチャペルを出れるだろうか。

 わからない。でも、カウントダウンは始まった。


きゅう

実は卒業ライブのあと、一回、最初の3行くらい書いて下書きごと削除した。ことばになるより速く想いが浮いては消えていたから書けなかった。3年生が卒業する。それが信じ難くて、文字にして見たくなかったのかもしれない。でも、結局は書くことにした。寂しいのも含めて全部、大好きな先輩たちとの思い出だから。


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