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上から目線について思うこと

先日、何かで
「上から目線でやな感じ」
というセリフを見た。(聞いたのかも・・)

私が勤める高校でも
「あの先生いつも上から目線で感じ悪い」
なんて生徒が言っていることがある。

そのせいか、今の子ども達は(うちの子もよく言うけれど)
「今の上から目線で感じ悪くなかった?ごめんね」
と、自分も上から目線かもしれないことをすごく気にしてる。


そもそも、一体上から目線ってなんなのか。

上から目線ではない状態って、どう言う状態なのか。

上から目線って言われたとして、どうやれば上から目線でなくなるのか。


例えば、さっきのドラマか何かで見た
「上から目線でやな感じ」
と言うセリフについて言えば、このセリフを言って嫌味にならないのは
”上から目線で何か言われて嫌な気分になった本人”だけ。

もし他の人が
「あの子っていつも上から目線だよね」
って言うとその発言がすでに”上から目線”だし、悪口に聞こえる。


さらに、「あの先生いつも上から目線で感じ悪い」にいたっては、
「教師っていうのはそもそも上から目線なものなのではないのか」
とも思ってしまう。
なぜなら、リーダーシップがない教師は、自分のやり方を押し付けるこわーい生徒指導の教師よりなめられて、嫌われることも多いから。

じゃあ、「上から目線やな感じ(だし、やめてほしい)」というセリフには、どんな気持ちが込められているのか。
相手にどうなってほしいのだろうか。


私は二十年以上この言葉に付き合ってきて、
(私自身が”上から目線・エラそう・わきまえがない”なんて言われて、思春期にはすごく悩んでいた)
私なりの「上から目線の正体」に行き着いた。

その正体は、たぶん”評価する”ということ。


先日あるバラエティ番組で、
「XJapanのToshiさんが正体を隠して熱唱し、正体に気づくかどうか」
というコーナーがあった。
あまりにも素晴らしいパフォーマンスだったためにみんな感動していたのだが、ご本人が会場の聴衆の一人に
「僕の歌どうでしたか」
と質問し、
「うまく歌えてたと思う」
と答え、失笑を買っていた。
しかし、その他の人が答えた
「最高の気持ちでした。」
とか
「昔を思い出して泣きそうに・・」
などの感想は共感されていた。

一人目の人が失笑されたのは、おそらく
「上から目線だな」とか
「専門家でもないのにエラそうだな」
ということだったのではないかと思う。


評価する=思考として考える。
のではなく、
共感する=気持ちを汲み取り、感情を大切にする。

ことが、今求められているのではないか。

「あの先生いっつも上から目線でやな感じ」
の言葉の裏には
「気持ちを分かってほしい」
という気持ちが隠れているように思える。


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