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長年の後悔が感謝に変わった〜「私は求められていない」という幻想

前回の記事で、愛猫の最期を看取れなかったことを悔やんでいる女性にかけた言葉は、私自身の世界がぐるん!とひっくり返った言葉の一部でした。

今回は、私の20年来の後悔が氷解した瞬間について綴ろうと思います。

私の実家でも、夜中に母の愛犬がひとりで亡くなっていたことがあるんです。
そしたら友人がね、こんなふうに言ってくれました。
『お母さんに抱かれたまま逝ったら、だんだん体温が冷たくなっていくのが辛くなるでしょ。
 だから、お母さんを悲しませたくなくて、ひとり静かに逝ったんやと思うよ』
って。
猫ちゃんもお母さんを悲しませないように、ベッドの下を選びはったんやないでしょうか?

↓こちらの記事から抜粋


母だけを愛していた慎之介


母の愛犬・慎之介は、ひとり暮らしの女性から譲り受けたヨークシャテリアでした。

〈たったひとりの愛する家族〉が仕事から帰るのを連日待ち続けていたという慎之介にとって、我が家でも私の母だけがの彼の〈家族〉でした。

母が出かけると、家の中をぐるぐると走り続けて母の帰りを待ちます。

その姿があまりにも切なくて、父や妹、私が抱っこするのですが、彼の寂しさを埋めることはできませんでした。

最期の願いに気づけなかった夜


私が残業から帰った深夜のこと。

いつもは寝ているはずの慎之介が、じーっと私を見つめています。

「どうしたんだろう。私と目を合わせるなんて珍しい」

不思議に思いながら、私が寝室に向かった翌朝、彼は亡くなっていました。

どうして慎之介を抱きしめてあげなかったんだろう。
「僕のお母さんを呼んできて」と伝えたくて、私を見つめていたはずなのに……
どうして彼の最期の願いに、気づくことができなかったんだろう。

そうした後悔が、20年もの間、私の心の底に残っていました。

後悔を思い出したきっかけ


心の奥底にあった後悔を思い出したのは、Dr.ディマティーニの教えを共に学んだコーチ仲間から訊かれたのがきっかけでした。

夫とのパートナーシップについて彼女と話していたときに、こんなやりがあったんです。

私 「夫にとっての愛し愛される女性は、私じゃなかったんです」

友人「千夏さん、どうして『私じゃない』なんて言うの?」

私 「え?」

友人「千夏さんにとっての愛し愛される男性が、旦那さんじゃなかっただけじゃない?」

私 「え?」

友人「どちらかだけが『私じゃない』なんてこと、ないはずでしょ?」

私 「た、確かに……」

友人「でしょう? 」

目から鱗、とはまさにことのこと。
彼女は続けます。

友人「ところで千夏さん、他の場面でも『私じゃない』って何度か言ってたよ。どうしてそんなふうに言うの?」

私「『私じゃない』って?……あ!確かに私、言ってるかも」

後悔の奥にあった私のブリーフ


このやりとりから、
「慎之介が最期に求めていたのは、私じゃなくて母だったのに」
という後悔を思い出しました。

そして、気づいたんです。

\求められているのは私ではない/

という強烈なブリーフ(信念)があることに。

この瞬間、ぐるん!と世界がひっくり返りました。

私ときたら、どれほど自己肯定感が低く、自分を信じられていなかったんでしょう。

幼いころからずっと〈優等生〉〈いい人〉として、人の期待に応えることに懸命だった私の生きづらさの根源が、こんなところにあったなんて!!

「すごいね!」
「さすが!」
人からいくら言われても、ちっとも心に響かないはずです。

〔そんなわけないよね、本心じゃないよね〕って思っていたんですから。

生きづらさから私が身につけたこと


一方、「私は求められていない」というブリーフは、私にたくさんのメリットも、もたらしてくれていました。

「求められる私になろう」と努力ができたからです。

 「何が求められているんだろう」と人や状況を観察する
→「この反応が出るのはこういう理由かな」と洞察する
→ 他のやり方・表現を試してみる
→試した結果の反応を観察する
→次に生かす

こうしたことを幼いころから無意識レベルでやっていました。

「何が求められるのか?」というのは、他人軸(自分以外の人の判断基準)によるので、私の想定違いから、空回りもいっぱいしました。

「こんなはずじゃなかった」と泣いたことも数知れず……

それでも、私は「次こそは」と努力し続けていたんですよね。

「私じゃない」「私は求められていない」というブリーフがあったからこそ、いまの私があります。

「どうしてそんなふうに言うの?」と訊かれたことで、自分のネガティブなブリーフに気づき、同時に、そこから自分がどれほどの恩恵を受け取ってきたかが見えてきて、感謝の涙がこぼれました。

慎之介は何を求めていたのか?


そんな私に、彼女が言ってくれました。

もしもお母さんに抱かれたまま逝ったら、だんだん体温が冷たくなっていくのが辛くなるでしょ。
だから、お母さんを悲しませたくなくて、ひとり静かに逝ったんやと思うよ。
(慎之介)が千夏さんのことをじーっと見ていたのは、『僕のお母さんのことを頼んだよ』って伝えるためだったのよ。

もうね、涙腺が崩壊しました。

「千夏じゃないよ」ではなかった!
「千夏だから頼むね」だったんだ!

後悔が感謝に変わった瞬間でした。

過去は変えられる


「過去は変えられない」なんてよく言われますが、実は簡単に変えられます。

「過去に起こったできごとそのもの」は変えられませんが、それに対する「認知」は変えられるからです。

できごとそのものはニュートラル。

それを認知するときに、プラスと捉えればポジティブな記憶になり、マイナスと捉えればネガティブな記憶になる。

ただ、それだけのこと。

だから、ネガティブな思い出も、そこにあったプラスを見に行くことができれば、マイナスとプラスが対消滅して、ニュートラルな状態=愛と感謝の状態に戻ることができます。

いまの私に、
「慎之介、最後の願いを叶えてあげられなくてごめんね」
という後悔はありません。

「お母さんを頼んだよ」
という慎之介の愛に気づかせてくれてありがとう、という感謝の気持ちだけがあります。

こうした感謝の気持ちから出た言葉だったので、愛猫を亡くした女性の心にも響いたんじゃないかーって思っています。

愛は永遠、ですね♪

御影石 千夏



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