見出し画像

全く関係ないけど・コロナ現状に対して思うこと

良い加減やめにしないか

そう思う。

私たちだ。ジェネレーションZ。


コロナやだ〜学校行きたい〜遊びたい〜

欲のまま生きれば良いってもんじゃない。いつまで子供ズラしてんだ。日本人は基本的に全てに対して受け身すぎる。

いつも被害者ズラしてる。


尊敬している友人の一人(同い年)がライターをしていて、以前話したときに、環境問題について語っていた。

環境だ、エコだ、そんなことを耳にするけれど、ビニール袋をもらわないようにしよう、マイ箸、マイストロー、何だか胡散臭いよな

その通りだ。私たちは社会に対して、地球に対して「私がこんなことをしても所詮変わんないでしょ」「高が知れている」そう感じている。そしてそれが問題なのだ、と。私は彼に同意見だった。そしてあの時の会話をよく思い出すけれど、そんな話を友人から聞けたことはとても貴重だった。

責任のかけらもない。まさか責任を追求されるなんてこれっぽっちも思っていない。

日本のZ世代は”冷めている”

世界的にみて日本の若い世代は発信量が圧倒的に少ないというグラフを見た時、衝撃を受けた。情けなかった。危機意識を持った同い年が世界にはたくさんいる。そんなこと深く考えたことなかった。それが情けなかった。

SDGs、Z世代。世界ではいろんなことが騒がれているけれど、それすら知らない日本人は多い気がする。私は、社会が倫政選択だったから去年初めてSDGsについて知った。それがなければ知らなかったかもしれない。


コロナの中、あまり危機意識もなく外出する友人は多い。意見しても、「うちの周りみんなそうだよ〜もう緊急事態宣言あるのかないのかわからない〜」と来る。恐ろしい。良い加減目を覚ましてほしい。今世間で騒がれている問題の数々に気づいてほしい。”私たちの”問題なのだ。そして”私たちが”頭をフル回転して考えなければならない問題なのだ。どんなに未熟であっても、考えること、そして発信することが大切なんじゃないかと今の私は思う。


東京五輪 今の状況で開催したとしても、私たちの安易な行動が世界に対して迷惑をかけるだけだ。美徳を持ち合わせた日本人なのならば、スポーツ関係者が世界に笑顔を!と頑張って開催させようとしている(知らないけど)ものに、同調しようではないか。それとも世界を殺したいのか?

五輪開催するしないの話は、何だか二の次の問題な気がする。それはそもそもの五輪の存在意義の話だ。開催実現に向けて、我々は一丸になるのは大前提なのであって、その上でどうやって安全な開催ができるだろうかと、策を講じて一人一人が意識を持つしかないんじゃなくって???????????

開催すべきだすべきじゃないだとか、ワイドショーで永遠に討論を繰り返す大人にも反吐が出る。こうやってテレビ離れは起こるのだ。(知らないけど)


確かに日本は変わらなかった。去年の2月から幾度にもわたる緊急事態宣言を出したけれど、私たちは何日も家に篭ったけど、”コロナ禍”という現状は変わらなかった。でもそんなことをずっとぐちぐち言ってても、変わらない。え、なんか変わるの??もちろん、(私はコロナ対策めっちゃしっかりやってるのに...)という人も中にはいる。それならばそのことを発信しようではないか。私はこんな風な対策をし続けている!と。きっとそれがあなたの周りの人に影響を与えると思う。

賛称されるはずのことが発信できない、日本人の『能力を隠す』と言われているこの文化。イノベーションの妨げ、そしてワクチンが作れなかった根本たる原因はこれだったんだろう?こんなにも絶好の改善チャンスってなくないの?


エモいBGMを聴きながら必死に課題してたらそんな思いがふつふつと浮かび上がってきてしまったのでここに残しておきます。終わり方わかんなくなっちゃったよ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?