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編集者の押し出され

時というのは、思いもしない頃にやって来る。
立ち止まって1週間足らずでその時が来た。

これを機に淀みがなくなっていくと期待してもいいのだろうか? 流れ出したらこっちのもんだと図に乗っても、許してもらえるだろうか?

私はこれから月刊編集部で働くことになる。

週刊から月刊。現在の編集部で「やり遂げた」と、言い張れる事柄が何もない。それだけが胸に刺さる。それなのに、なぜ流れ始めたのか。見当がつくはずもない。だから、上司からこの異動の知らせが言い渡されたとき、私の反応はどうしようもないものだった。人の期待をいいように裏切った。もちろん、悪い方にだ。でも、正直に吐くと、よくわからなかった。この異動が将来にどこへ繋がっていくのか。その答えが想像できる範囲の外側にあったから。身も心も困ってしまった。困ってその場で立ち往生。想像がつくと思う。まさにその通りだ。

私は、ある時、せいぜい5年はここで働くと予想した。その時から数えて、27歳に達した自分が現在と同じ編集部で働いている姿も想像した。そこまでにやっておきたい仕事もある程度見つめていた。

それらは間違っていたのか? 別に急いでいない。急ぐ必要もない。これらは甘っちょろい考えだった?

現在の私には、本当に何もかもが、よくわからない。私の意思とはまったく関係がなく、“足”が踏み出してしまった。反射的運動、ということらしい。

一体何なんだ? こんな私に何をしろと言いたいのか。鬱陶しい文章に思えてきた。でも、これが現在の姿なのだ。言葉によって描き出された現在の私だ。上手く描けていると思う。

「切りがよいところまで頑張り切る必要はない」ことも、時にはあるみたいだ。中途半端な地点においては、「予感を逃さない」ことのほうが大事な場合もあるようだ。

………そんなこんなで、これまで書いてきた思考に入り浸っていたら光が見えた。仰向けになって、ぼんやりと夜空を見上げていたら星が見えた。その光と星を纏っているものの正体は、私が忘れかけていたこと。現在の職場で得られる確かな経験だった。







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