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Web3は熟議を取り戻せるのか?

落合渉悟さんの『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』を読んで、Web3シフトによって民主主義の在り方がどう変わっていくのか、改めて考えてみるきっかけになったのでnoteに残します。

要旨

考えながら書いてたらかなり散漫なものができたので先にサマリーを。

  • デジタル社会において、アーキテクチャ(≒コード)は「法律」「規範」「市場」と同じように「人を動かす力 / 規制」能力を持ち、プラットフォーマーはその力を駆使して成長してきた

  • 民主主義において「熟議」は多数決の暴力から守りマイノリティとの相互理解を育むためにも必要

  • WEB2.0においては「同質性」を強く結びつけるアーキテクチャ特性があったため、サイバーカスケードやエコーチェンバー等の課題を深刻化させ、相互理解という観点における「熟議」は推進が難しかった

  • Web3は、デジタル空間における「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」をアーキテクチャ的特性として持つ、故に「財の私有を認める資本主義」的考え方を加速させる

  • 財の私有を認める「資本主義」と人権に根ざした「民主主義」は、親和性が高い

  • ① Web3が持つ「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」を用いてインセンティブ設計の観点から「熟議」の場に引っ張り出すアプローチ

  • ② マイクロパブリックをDAOで運用していくことで、身近な問題について考える「熟議」の場に引っ張りだすアプローチができないか

アーキテクチャ的な規制の考え方

Web3の話に入る前に、WEB2.0時代の話を少し振り返った上で、前時代の課題について整理していきます。その課題を出すために「アーキテクチャ」的な考えを紹介します。

今から10年ほど前、当時大学生だった私は、濱野 智史さんの『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』という本に出会って、WEBサービスの可能性に魅了されました。

『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』

この本ではローレンス・レッシグのアーキテクチャ論を元に、WEBサービスを「生態系の進化」として捉えようとしているものです。

ローレンス・レッシグのアーキテクチャ論とは

CODE VERSION 2.0

生態系論に入る前に、アーキテクチャ論について少し説明させてください。アメリカの憲法学者であるローレンス・レッシグは、著書『CODE2.0』において"人を動かす力 / 規制"として以下の4つを上げています。

"人を動かす4つの力 / 規制"

  1. 法律:公権力による行為の制約

  2. 規範:社会やコミュニティの不文律(周囲の目)

  3. 市場:価格を通じた振る舞いの制御

  4. アーキテクチャ:物理的な設計による制約

この4つの中で、インターネットの登場により「アーキテクチャ」の考え方の規制より強力なものになってくると述べられています。

アーキテクチャ的な規制の事例

アーキテクチャはその語源からも建築的な要素から着想された考え方です。ユーザーに対して「せざるを得ない」環境を構築することにより、設計者が意図した行為を強制させるアプローチ方法のことをアーキテクチャ的な規制といいます。

  • 例1)飲酒運転の防止のため、アルコールチェックを行わないと車のエンジンがかからない

http://www.lodging.co.jp/al-checker_7.html
  • 例2)飲食店における店舗回転率を上げるために、あえて居心地の悪い空間を作る(椅子が硬い / 冷房が強い など)

  • 例3)デパートなどのエントランス階のエレベーターは、回遊率強化のため入り口から近い方で2F行きと地下行きの両方使える

このような形で「物理的」に規制をかけることをアーキテクチャ的なアプローチと言います。

デジタル空間における神はコード ≒ アーキテクチャ

「バーチャル世界で神とは何でしょう?唯一の神はコードです。」

セカンドライフCEOフィリップ・ローズデール

この建築・設計的な概念から生じたアーキテクチャ的な規制アプローチは、デジタル空間において圧倒的な力を得るものとなりました。例えば、Twitterで公式には140文字という制約がついており、1ユーザーの力で力ではどうすることもできません。このコードという圧倒的な力を使ってプラットフォーマー達はユーザーを自分たちの思うように動かしています。

特に商用セグメントにおいては、以下にユーザーを自社プロダクトの中毒にするかという観点で様々なアーキテクチャ的な試みがされているはずです。

デジタル空間におけるアーキテクチャ例)

  • TikTok等のショート動画において断続的な刺激が絶え間なく与えられサービス滞在が長くなるような最適化アルゴリズム

  • ユーザーのマインドシェアを取り続けるために、承認欲求を加速させるリアクション機能と通知(いいね、フューチャー など)

  • 検索エンジン、アプリストアにおけるランキングによってコンテンツホルダーの競争を煽るシステム

などなど、「UX」という言葉で語られる大方の手法は、アーキテクチャ的なアプローチ手法をとっており、アーキテクチャ設計を極めることでユーザーをサービスに滞在させることがデジタル空間において極めて大事になりました。

アーキテクチャ的規制の特徴

アーキテクチャ的規制には「法律」「規範」「市場」と比較した際に、2つの特徴があると言われています。

①「任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため、ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない」
②「その規制(者)の存在を気づかせることなく、被規制者が「無意識」のうちに規制者を働きかけることが可能」

『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』濱野 智史

規制を行う為政者やサービス運営者にとって、アーキテクチャ的アプローチは「無意識レベル」でせざるを得ない環境を作ることができる規制手法という意味で強力です。

[補足]アーキテクチャの生態系とは

ここまでアーキテクチャ的な規制の特徴について説明ましたが、濱野 智史さんは、このアーキテクチャは生態系的な発展を遂げていると述べています。ダーウィンの進化論のように、先代の特徴を引き継ぐ形で多様化しているのが以下WEBアーキテクチャの生態系です。

『アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか』濱野 智史

例えば、インターネットの発明により、TCP/IPという通信プロトコルの概念ができる。これは通信における取り決めであり、通信プロトコルが規程されることで、人々の相互接続が可能になりました。そして次の世代のHTTP(Hypertext Transfer Protocol)というプロトコルの発明によって、HTML文章や画像、音声、動画などのファイルを表現形式などの情報を含めてやり取りできるようになります。また同時期のWWW(World Wide Web)の発明により、ハイパーリンクの概念が生まれ、各ファイル間でのURLを通した繋がりという概念が生まれました。

そういった進化で世界中のサーバーには様々なサイトやファイルがアップロードされます。その中から必要な情報を引き出したいという欲求から生まれたのが、Googleです。Googleは先代アーキテクチャであるWWWのURLを活かした検索エンジンを発明。論文の引用数で評価していたように、URLリンクが設置されている数で各サイトをランキング化したのである。その進化の延長線上にあるのが、BLOGやtwitterです。

このようにWEBアーキテクチャは生態系のような進化をして多様化していっているのです。

WEB2.0における熟議へのアプローチ

WEB2.0が勃興しはじめた時代、インターネットを活用した新しい民主主義的なアプローチに対しての言及が増えた時代でもありました。
2011年頃、中東・北アフリカ地域の各国で本格化した民主運動である「アラブの春」では、反政府運動に参加した民衆はSNSを活用して国境を超えた民主化活動を行っていました。こういった運動や米国大統領選挙でのSNS活用などを通して、インターネットと民主主義への注目が集まっていきました。

そういったムーブメントの中で、改めて民主主義における「熟議」の必要性が問われていました。

「熟議」とはなにか

多くの当事者による「熟慮」と「討議」を重ねながら政策を形成していくこと
政策を形成する際、
①多くの当事者(保護者、教員、地域住民等)が集まって、
②課題について学習・熟慮し、討議をすることにより、
③互いの立場や果たすべき役割への理解が深まるとともに、
④解決策が洗練され、
⑤個々人が納得して自分の役割を果たすようになる、
というプロセスのことを言う。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo5/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2010/08/30/1296702_2_1.pdf

多くの当事者と議論を重ねながら意思決定につなげていく「熟議」のアプローチは少しまどろっこしさを感じるのが正直なところだと思います。ではなぜ「熟議」的なアプローチが必要なのか。それは多数決による暴走を防ぐために必要なのです。

民主主義と投票は切っても切れない関係性にあり、故に多数決による意思決定が色濃く反映されます。いわいるデータ集計的なアプローチでは、少数派・マイノリティの考え方はケアされなくなってしまいます。多数派だけのための社会形成を避けるためにも、「熟議」のプロセスを経てお互いの立場の相互理解を促しながら政策への落とし込みをしていくものが「熟議性民主主義」のアプローチになります。

WEB2.0における熟議の取り入れ方

東浩紀は著書『一般意志2.0』にて2つの民主主義の類型を紹介しています。

■ Google民主主義(データベース的民主主義)
巨大なデータベースを構築し、膨大な数のデータさえ集めればあとは集合知によって最適解が出てくるはずだと考える理想主義
→ユーザーの群れを動物の群れのように捉えて処理する功利主義的な理想主義
■mixi民主主義(熟議的民主主義)
ネットワークを介し、市民同士がとことん話合えばうまくいくはずだと考える理想主義
→ユーザーひとりひとりを固有の人間として扱うカント主義的な理想主義

『一般意志2.0』 東浩紀

合理性や効率を追求すると、今のデジタル化した社会においてはビックデータを活用したデータベース的な多数決の民主主義のアプローチになっていく。このシステマティックなアプローチは前段のアーキテクチャの考え方に極めて近い特性を持っています。

一方で熟議的なアプローチは、今の社会実情として運営が難しい点があります。それはVUCAワールドと呼ばれるように、複雑性が高く予測不能な社会において、個人の認知限界を超える情報量が溢れているからです。そんな中、ひとつひとつの議題に対して、前提知識を共有することすらままならない状況にあり、すべての議題に対して熟議を運営するのは不可能と言えます。

これらに対して、どちらかだけを推進するのではなく、両輪で回すことにより現実の運営に実装していくアイデアを東浩紀さんは『一般意思2.0』で述べていました。熟議の限界をデータベースの拡大によって補い、データーベースの専制を熟議の論理によって抑えこむハイブリッドな民主主義の在り方です。

サイバーカスケードやエコーチェンバーが招いた「熟議」の課題

WEB2.0の時代になり、SNS及びスマートフォンの加速度的な普及で多くのユーザーがインターネット環境を手にしました。これらによりデータベース的な民主主義の手法、熟議的な民主主義の手法それぞれに対してのインフラの下地はできたものの、蓋を開けて見ればサイバーカスケードやエコーチェンバーのような課題を深刻化しました。

  • サイバーカスケード(コミュニティの蛸壺化 / 島宇宙化)

    • 同じ考えや思想を持つ人々がインターネット上で強力に結びつくことで、異なる意見を一切排除した、閉鎖的で過激なコミュニティを形成する現象

    • フィルターバブル(アルゴリズムによって各ユーザーが見たい情報に最適化させられること)の影響によりサイバーカスケード化はさらに加速した。

    • 類似概念「エコーチェンバー」:SNSを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたもの(総務省

お互いが関心がある領域に対しては議論が成立しやすくなった一方で、重要な議題ではあるが、当事者意識を持ちにくいものについては「熟議」が成立しにくくなったとも言えます。

他人から認められたいという人の根源的な承認欲求を擽ることでプラットフォームのユーザー滞在時間は最適化され続けており、それ故にこれらの課題は技術進化やサービス発展により深刻化し続けているものと考えられます。

WEB2.0のアーキテクチャによって、より多くの人がネットワークを介して熟議をすることが物理的に可能な環境になった一方で、同質性の強い人々の結びつきを強くしたにとどまり、本質的な「熟議」へのステップへ繋げることは難しかったように思います。

Web3がもたらすアーキテクチャ特性

Web3が「熟議」を取り戻せるかという議論の前に、ブロックチェーンを基盤としたWeb3が持つアーキテクチャ特性について整理していきます。

Web3の特性として、「分散性」や「コンポーザビリティ」「コミュニティ」など切り口はいくつかありますが、エンドユーザー側の観点で言えば、「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」という特性が色濃く反映されているように見えます。

所有権(オーナーシップ)の自己主権化とは

この「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」とはさまざまなデジタルアセットの取り扱い主体者を、サービス運営側からエンドユーザーに戻すトレンドです。

  • トークン:貨幣 / 証券

  • NFT:デジタルデータ

  • SSI DID:アイデンティティ / ユーザーID

など、ブロックチェーンの台帳・データベースを活用し、アプリケーションやプラットフォームを展開している企業や組織から、そのデジタル所有権(オーナーシップ)の主体をエンドユーザー個人に戻す動きです。

Web3的アーキテクチャは資本主義の加速装置

資本主義とは何か。それは「財の私有を認める」ということ。これだけ。ここから始まる。これと対置した概念は、財の私有を認めない共産主義だ。私有を認めない共産主義というシステムは、計画経済と個人の管理が絶対に必要になってしまう。

『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』落合渉悟

いま巷でバズワードになっているWeb3は、行き詰まりを見せている資本主義に対して新しい在り方を提示してくれるかの如く取り扱われているような感じも一部のコミュニティからは感じます。しかしながら、Web3は「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」というアーキテクチャ的側面を持っているが故に、資本主義をより加速していく特性を有しています。

Leohioさんの「加速主義」というのは、Web3を形容するのにぴったしな表現だと感じます。Web3資本主義的な格差を是正することもなければ、本質的にはサービスと資本の繋がりを深めるため、資本主義を加速していく装置になります。

「資本主義」は「財の私有を認める」という観点から全てがはじまっており、デジタル空間における「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」というアーキテクチャ特性を持つWeb3はよりそれを強固にしていくものだと考えます。

なお「資本主義」というのは経済としての在り方をさしており、「民主主義」はみんなが等しく人権を持っているという前提の元で、権力を市民が持ち行使できる政治としての在り方です。

財の私有を認める「資本主義」においては、政治的な在り方も主権を個人におく「民主主義」と相性が良く、この2つが表裏一体となって稼働しています。(国によっては政治は君主制・一党独裁であっても経済自体は資本主義である例もあります)

Web3は「熟議」を取り戻せるのか?

ここまでの流れを少し振り返ります。

  • デジタル社会において、アーキテクチャ(≒コード)は「法律」「規範」「市場」と同じように「人を動かす力 / 規制」能力を持ち、プラットフォーマーはその力を駆使して成長してきた

  • 民主主義において「熟議」は多数決の暴力から守りマイノリティとの相互理解を育むためにも必要

  • WEB2.0においては「同質性」を強く結びつけるアーキテクチャ特性があったため、サイバーカスケードやエコーチェンバー等の課題を深刻化させ、相互理解という観点における「熟議」は推進が難しかった

  • Web3は、デジタル空間における「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」をアーキテクチャ的特性として持つ、故に「財の私有を認める資本主義」的考え方を加速させる

  • 財の私有を認める「資本主義」と人権に根ざした「民主主義」は、親和性が高い

「資本主義」的な考え方を加速させていくWeb3が、果たして「民主主義」的アプローチの中でサイバーカスケードやエコーチェンバーといった課題で分断された「熟議」を取り戻していけるのか考えていきたいと思います。

世の中は複雑過ぎて全体としての「熟議」は成立し得ない

現在の社会課題はSDGsにも現れているように多岐の領域に跨っているかつ、それぞれが複雑に絡み合った構造物になっています。

https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/

これらすべての問題に対して個人個人が情報インプットしてすべての課題に対して「熟議」を行っていくのは物理的に不可能です。故にこれからの「熟議」の形式は、個々人が当事者意識を持てる範囲の事象において、同一の課題範囲に様々なステークホルダーとの「熟議」が成り立ち、そこで相互理解からの意思決定に繋げられるか、が鍵となってきます。

WEB2.0においての議論は、SNSにおいて同質性が高い人々を紐づけていくことでサイバーカスケードやエコーチェンバーといった問題点を生みました。これから求められるのは「同じテーマ」についての議論ではあるが、主義主張が異なるセグメントの人々が「熟議」的なアプローチをとっていけるかという点にあります。

可能性①:Web3の持つ推進力で「熟議」の場に引っ張り出す

サイバーカスケードやエコーチェンバーといった同質性の問題を克服し、「熟議」の場を整えていくには、多数派に萎縮したり投票によって物事が変わらないことに辟易し「僕には関係ない」と声をあげることをやめてしまった人たちに、当事者意識を持って向き合えるようなテーブルを設けていかなければならないのではないでしょうか。

ここでWEB2.0からWeb3へのアーキテクチャ特性進化を活用できるかが鍵になってくると思います。

そこでWeb3が持つ「所有権(オーナーシップ)の自己主権化」という特性から、所有の概念から改めて当事者意識を持つきっかけを作ることができないでしょうか。

人間、自己の利益にならないことに対して関心を持ち続けることはなかなか難しいです。そこをWeb3の力を持って「自己主権化された所有権」を持つことによって「熟議」を行うテーブルについてもらうイメージです。その「自己主権化された所有権」が、今のWeb3でのユーティリティトークンやガバナンストークンであったり、NFTやDIDによるレピュテーションの付与になります。こういった資本主義を加速させるような設計を持つWeb3の力を活用してインセンティブ設計を緻密化していくことこそ、今まで無関係と思えていた人たちの当事者意識を回復し、「熟議」のテーブルに引っ張り出す鍵になるのではないでしょうか。

WEB2.0においてもインセンティブ設計を行うことで「熟議」のテーブルを作るような動きは0だった訳ではないと思います。それこそWEB2.0のときに起こったゲーミフィケーションの議論の延長線上にWeb3は成り立っていると思います。当時でこそプラットフォームに依存したポイントのやり取りで広がりを見せた実装ができなかったものが、ブロックチェーンを基盤にしたアーキテクチャによって、拡大されたゲーミフィケーションの実装が可能になったのがWeb3ではないでしょうか。

山古志村のNFTの事例などはまさにNFT介することで、地域性を超えて当事者意識を持つ人を増やしていった事例だと思います。

可能性②:DAOを使ったマイクロパブリックの運用で身近な「熟議」を取り戻す

今もてはやされているDAO(自律分散型組織 / Decentralized Autonomous Organization)ですが、この組織形態は万能なものではないと考えます。「みんなで決めよう」という民主主義的なアプローチでは、スタートアップなど市場競争力が働く環境で素早く意思決定を行い、優位性を発揮することが難しいからです。成長や競争を必要とする領域に対しては、やはり卓越した個の力を使って中央集権的に進めていく方が合理的です。

一方で、ある決まった範囲の物事に対して集団のコンセンサスを得ながら進めていく必要がある組織についてはDAO的なアプローチは有効だと考えます。それこそ地域の町内会であったり、PTAだったり、決まった予算やリソースをどうやって配分していくかという点については、嫌々引き受けさせられているリーダーや役員にとりもってもらうよりも、DAO的なアプローチをしていくことのほうが健全ではないでしょうか。

DAOはブロックチェーン技術を基盤に設計されており、スマートコントラクト という機能によって、処理を自動化できる仕様になっている。このスマートコントラクトにより、リーダーがいなくても案件を自動的に処理できる。やり取りの記録はブロックチェーン上に記録される。つまり一部のリーダーや権力者が独占することなく、みんなが内容を確認することができる。こうすれば、個々の案件の透明性はクリアに担保できて、悪意ある不正などを起こすことが防げる。 「Alga」とは、自治体よりさらに小さい組織やグループ(マイクロパブリック) のためのアプリだ。 誰もがスマホひとつでリーダー不要な公共システム(DAO) を立ち上げることができ、議案の提案・議決から資金の利用・運用まで、組織・グループにまつわるすべてのデジタルインフラをバックアップする。

『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』落合渉悟

本来は分散型のガバナンスで進めていた方がいい領域に対して、取りまとめするシステムがない都合上、中央集権に進めていたものについてはDAOへ切り替えしていける可能性が出てきました。

僕がDAOで自治を取り戻そうというときに、利点となるのは「アクセシビリティ」だと聞いていて確信しました。要するにDAOは、政治家も役人もいない、参加するすべての人がフラットな議会のような場を、一瞬で作ることができるんです。その中で、30人なら30人のランダムに選ばれた人たちが、ああでもない、こうでもないと議論して、最終投票をするという仕組みです。
(中略)
DAOは、例えば「年間2000熟議」ものスループットが実装可能です。数をこなせるがゆえに、自治会や町内会、マンション理事会といったレベルから、提案して却下されるとか、提案して議決されるといったラーニングが容易になる。
(中略)
18歳になったら選挙に行きましょうとも言われるけど、選挙で国を変えられるという手触りもほとんどない。今、感じられていないそうした手触りを、DAOという仕組みで取り戻すことができたら、と思います。自分の暮らす地域で、小さな頃からDAOを使うことで、提案する、議論する、投票する、選挙に行く「癖」をつけていくというのかな、もっと言えば、それが当たり前の社会になっていくといいだろうと。

『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』落合渉悟

いくらデジタル社会が進んだとはいえ、現実世界で住む場所が無くなったりはしない。そういう意味では、個人個人が住んでいる地域においてのガバナンスはこれからも続いていく。これまでは何かを積極的に変えようと思えば、その地域における中央集権的なものに携わっていかなければならなかったものをDAO化していくことで参加の裾の尾が広がり、それをきっかけとして「熟議」そのものに参加する機会が増えていくのではないでしょうか。

[現状の課題]直接投票の認知限界はDAOでも回避不能

DAO化することによって直接投票する機会は爆発的に増える。一方で人間ひとりひとりの認知能力は限られているので、各論について網羅することは難しい。このためすべての議題に対してすべての参加者が投票や熟議を行っていくのは現実的ではなく、投票権利の委任(デリゲート)や多様なバックグラウンドの人をランダムに抽選して熟議に引き上げる工夫などは実装上必要になっていきそうです。
すでにDAOの投票率の問題は顕在化しており、このあたり投票や熟議へ参加することへのインセンティブ設計は社会実装までまだまだ先が長いなとも感じました。

終わりに

大学の卒論テーマは『サイバーカスケードを解決するWEBアーキテクチャ』でした。当時WEB2.0がバズワードになっていた時代で、WEB2.0が世の中をどんなふうに変えていくか非常にワクワクしていたのを思い出します。
一方で、あれから10年経って振り返って思うのは、サイバーカスケードやエコーチェンバーのようなものは構造的に変わっていくことはなく、ビックデータやAIアルゴリズムそしてUXの絶え間ない研究開発によって、さらに同質性が強いコミュニティが生まれてきているようにも思えます。
Web3という新しいバズワードがきている中で、それを社会実装していくとどのような理想形ができるのか、少しマクロな視点で考えてみようと改めて筆をとりました。
思考しながら筆をとっていたので、論理展開やイシューずれした内容になった感もありますが、ここまでの振り返りとして残しておこうと思います。

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