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【本の紹介1🦆】木下龍也『あなたのための短歌集』

記念すべき第1弾の今回は、わたしの愛する短歌集を紹介する。

木下龍也『あなたのための短歌集』(ナナロク社、2021年)

この本に掲載されている短歌は、歌人の木下龍也さんによって「あなたのための短歌1首」として販売され、購入者(依頼者)のためにつくられている。
短歌は依頼者からメールで届くお題をもとにして、つくられ、便箋にしたため、届けられていたという。4年という月日で作歌した700首のなかから、依頼者が提供してくれた100首が掲載されている。

この本のなかに出てくる短歌はすべて、依頼者のためだけに詠まれたものであり、個人のための短歌である。
わたしでもなく、あなたでもない。誰かのために詠まれた短歌なのだ。
個人のために詠まれたはずの短歌が、こうしてわたしたちの元にも届いている理由については以下のとおりである。

巻末の後書きにある、短歌集刊行にあたり提供してくれた依頼者の言葉を引用する。

「私だけの短歌です。でも、だれかのための短歌にもなると思います」

この言葉の意味はこの本を読めばすぐにわかると思う。
特定の誰かのために詠まれた短歌のはずなのに、自分のための短歌だと感じてしょうがないのだ。思わず「これはわたしのための短歌だ」と錯覚してしまうほど心に響く短歌の数々なのである。


100首ある短歌のなかから自分がぐっときたものをお題をザックリ説明しつつ、10首紹介していく。

※引用においてページ数を記載したかったのですが、本書にはノンブルの表記がなかったため短歌の掲載No.を記載しています。


どうぞ。



***

【お題】「誕生日」

とぅ〜ゆ〜♪のあと訪れる暗闇で再起動する日々の死にたさ

012


「誕生日」と題した短歌を求める依頼者に対してこの仕打ち。痺れませんか?

誕生日を迎えてちょっとしてからやってくるよね〜死にたさって。蝋燭の火が消されたあとの静けさが、一人暮らしの部屋にいるひとりぼっちの自分を想像させる。誕生日を迎えたところで一つも立派になんてなっていなくて、人生の課題は何もクリアできないことを痛感する。年齢だけを重ねた実感とともに死にたさが強まる。新しい自分になんてなれない、地続きの自分。再起動がそれを強調する。
ある程度の年齢になると、この短歌が刺さるのではないでしょうか。


【お題】頑張らなくてもいいんだよと思える短歌

もがくほどしずむかなしい海だから力を抜いて浮かんでいてね

040


生きているとあまりの苦しさにもがくけれど、もがけばもがくほど沈んでいくのが人生。この海はまさにわたしたちの生きる世界そのものを感じさせる。力を抜いて浮かびましょう、人生を生き抜きましょう。ぷかぷかと。そんな風に思える短歌である。



【お題】もやもやと悩んでいる、励ましてほしい

いつからか頭のなかで飼っている悩みがついにお手を覚えた 

037

「悩みのやつ、お手覚えちゃったか」――思わずこう口に出してしまいそうになる。悩みには実体がないはずなのに親しみを感じてしまう。悩みとの距離をぐっと近づけられてしまった。悩みを、いっそのこと飼うようにして胸の内に住まわしてあげれば、いつか仲良くなれるかもしれない。そんな可能性を感じさせる。お手の次には、おかわり。それができたらもうこっちのもんだね。

【お題】働いてそれなりに恋をしてきて、それなりに過ごしたなかで、言葉が好きで嫌いと実感した。「言葉」を題材にした短歌

抱き合っていても背中は空いていて愛は人間よりも大きい

067


あーもう、あまりにも深くて、わたしには手が負えない。どうか感じてください。愛も言葉の力も大きすぎて何も言えない、お手上げです。


【お題】好きなものや好き人をずっと大切にできる、やさしい祈りのような短歌

宝箱あけっぱなしにしておくよこわれたままで帰ってきてね

071


せつなくなるほどにやさしい。
こどもの頃、好きなものは全部、宝箱にしまって大事にしていたのでしょう。傷だらけの姿になっても変わらずに迎え入れてくれるんだと安心できる。
依頼者からしたら、そういう風に大切にできるんだ、と自信がつくのではないだろうか。
会ったこともないはずなのに、このお題を出す柔らかくやさしい依頼者の人柄がよく表れているように感じる。


【お題】人生のどん底にいる人へ、一筋の光のような希望を与える短歌

絶望もしばらく抱いてやればふと弱みを見せるそのときに刺せ

094


人生の真っ暗闇を生きている人でこの短歌が刺さらない人がいるのでしょうか? いや、いない(確信)。

わたしは絶望がいつ弱みを見せるのか皆目検討もつかないけれど、でももしかしたら絶望を倒せる時がいつかくるのかもしれない。それは一縷の望みともいえるかもしれないけれど、その時がきたのなら刺し違えるくらいはできるかもしれない、そんなわずかな可能性を感じさせた。真っ暗闇を照らす光のような短歌である。


【お題】生きたいと思えるような短歌

君という火種で燃えるべきつらくさみしい薪があるんだ、おいで。

100


「木下さん、好きです」

もうここまでくると告白したくなってくる。
わたしはもう薪。つらくさみしい薪。
どうかあたたかい炎でわたしを燃やしてください、そんな気分になってくる。
わたしという存在が何かを燃やす燃料になるのならば生きてみたいと、そんな風に思えてくる。
わたしが恋愛脳なところがあるからか人生のパートナーに言われているような感覚になった。いや、木下さんかな?(だまりますね)
みなさんは、どうでしょうか。
人によって受け取り方がだいぶ違うような気がする。


【お題】この歌だけはお題まるごと引用しているので、下記をご覧ください。


いま飼っている犬、かつて飼っていた犬、そして、実家の病気になっている老犬たち。私は犬をすごく愛していますが、その分、いつかやってくる別れのことを思うと、胸がつぶれそうなほどに寂しくて恐ろしくて仕方がないです。そんな私のお守りとなる短歌をください。


愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる

038


この短歌はわたしにとって特別な短歌である。
少し長くなりますが、読んでいただければ幸いです。

この短歌は何年も前にTwitter(現X)に突如として流れてきた。
(※その時のツイートを発見することができなかったのですが、見つけ次第貼ります。)
そこには直筆で上記の短歌が書いてあった。きれいな清潔感のある字だった。
この歌を見た瞬間に涙がぶわっとあふれてきたのを覚えている。
愛犬を失って長い月日が流れ、幾つもの季節を生きてきた。それでも忘れたことは一度だってなくて、それなのに記憶が少しずつ薄れていくことにかなしみを感じていた。いないことに折り合いをつけることはできても、胸の空洞は変わらないまま。けれど、この歌に出会った時にわたしはさよならをした愛犬の風を感じた気がした。クリーム色の綿飴みたいなふわふわが、わたしを通りぬけていった感覚がした。あの子は風になったのかと初めて腑に落ちた。胸の空洞の痛みが和らいだ気がした。
愛犬を失ったかなしみを持つすべての人に読んでもらいたい。あの子は風になって、そばにいますよって言ってあげたい。

【お題】実家で15才の老犬を飼っている。今は一人暮らしをしていて半年に一度しか実家に帰れない。こないだ帰った時にいつもなら歓迎してくれる愛犬が自分を噛んだ。噛まれたことよりお別れが近づいていることが受け入れ難く、心を重くさせる。慰めてほしい

習性として老犬は大切なきみを記憶に埋めて隠した

086


先ほど同様、愛犬に対する短歌である。
わたしはこの歌を読んで、母といっしょに泣いた。
わたしも実家に今年15才になる愛犬がいるから、愛犬の変化(老化)に怯えている。お世話をさせてくれるなら認知症になったってかまわないけれど、それでも忘れられてしまうことはこわいし、かなしい。何よりもお別れの足音が近づいていることを実感して苦しい。でもこの歌が慰めてくれる。「忘れたんじゃないんだよ」って。「君のことが何よりも大事だから隠したんだよ」って。くるおしいほど愛しくなる。“わたしは愛犬にとっての宝物だから大丈夫”――そんな風に思うことで少しだけこわくなくなった。



次が紹介する最後の短歌である。

【題材】鶏肉

ささみ・むね・もも・すね・てばにわけられて天国でまたにわとりになる

04


え?なんで鶏肉?と思わずにはいられなかった。
短歌を購入して「鶏肉」を題材にして短歌を詠んでもらおうと思ったのはどうしてなのだろう。屠殺にかかわるお仕事をされているのか、KFCまたは何らかのチキンを扱う飲食関係、もしくはニワトリや烏骨鶏などの愛好家だろうか。何にせよ、突然あらわれた説明なしの「鶏肉」の文字に関心がとまらなかった。
肝心の短歌は、何だかとても手捌きのよさを感じる小気味良いものである。解体されて鶏肉になっても、天国でちゃんと鶏として形成されるんだね。鶏にかぎらず、もしわたしたちが肉体が損壊して死んだとしても、また元の形に戻してもらえるのかもしれない。ついついそんなことを考えてしまう。



***


短歌の紹介は以上である。

読みこみ不足なものやいたらない言葉もたくさんあると思うが、今のわたしが感じるまま紹介してみた。

本書を読むと、人の人生の多様性を実感する。
悩みを生で聞いているよりも生々しいというか、がんばって生きていることがすごくよくわかる。
苦しい時って自分だけが苦しいような感覚におちいりがちだけれど、人の苦しみに目を向ける時間も大事かもしれない。
この本をとおして、それぞれが抱えている苦しみに少しだけ近づけたような感じがする。

わたしもあなたも、それぞれの絶望と地獄を持ちながらこれからも生きていきましょう。


ちなみにわたしは、この短歌集を読んでわんわん泣いた。「お前、短歌でどんだけ泣くんだよ……」とドン引きされるほど、嗚咽した(誇張表現ではない)。
それくらい木下龍也さんの短歌は心に突き刺さる。短歌の天才の名は伊達じゃない。


*余談

ぐっときた短歌に付箋をつけていたのだけれど、数を数えたところ43首あり、本が付箋だらけになってしまい笑った。いくらなんでも多すぎる。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今日も明日もその先も、お元気で。


それでは。


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