【前十字靭帯断裂の旅】雪山編
およそ10日前に、左膝のACL(前十字靭帯)を初めて負傷した私。
負傷から時間が経過した現在は、膝の曲げ伸ばし、内旋・外旋角度にかなりの制限があるものの、それなりにポジティブな気持ちで日常生活が送れるレベルに回復しています。
私の場合は旅先のけがにもかかわらず、けがをした当日に救急外来を受診しレントゲン検査、土日を挟んだ3日後にMR検査、1週間後に手術日が決定という、比較的スムーズな10日間でした。
来月に手術を控えた現在は、これからのことについて情報収集をしつつ、足のマッサージや軽い筋力トレーニング、可能な範囲での体幹や上半身のトレーニングに努めています。
どこかに足の小指をぶつけたり肘を打ったり、予想外のわるいことが起こってしまった後は、切実にタイムマシーンの発明と実用化を願ってしまうもの。正直、私も今そんな気持ちです。
しかし、この苦い経験がどこかの誰かの役に立つことを願って、けがの瞬間を振り返ってみようと思います。
待ちに待った日におとずれた不名誉の負傷
東北地方へのひさしぶりのスノーボード旅。諸事情があり、いつものような1、2か月の雪山滞在が望めず、今回はわずか1週間の雪山滞在予定でした。
そして、そんな私のスノボ心を弄ぶかのように、不運な事故が訪れたのです。
それは、スノーボードで楽しく滑り終わった後のふとした瞬間でした。
リフト乗り場付近で立っていた私の足の方向から、突如「ぼきっ」というものすごい音が聞こえました。音が聞こえた直後は「え、今のなに?」くらいの感覚でしたが、数十秒後に1分ほどの膝まわりの傷みと冷や汗のようなものが出て、何かがおかしいということに気がつきました。
思わぬけがを負うときによくあるスローモーション体験(タキサイキア現象)がなかったのが、またひどい。まるで膝の靭帯についての知識がなかった私がこのときに思ったのは、「もしかして骨折した?」「それとも脱臼した?でも全然痛くない。おかしい。」ということくらいでした。
とりあえず、スノーボード用のブーツを履いた足をビンディングから外して膝を触ったり動かしたりしてみるものの、これといった違和感は感じません。この時点では、「大丈夫そうなら、もう1本滑ってみようかな。」という甘い考えが頭にありました。はい、その通り。私は、愚かで浅はかな人間の代表です。
しかし、そんな考えが吹っ飛ぶ瞬間がすぐにおとずれました。こわごわと数歩足を進めたときに、痛みこそないものの、膝が笑うような奇妙な感覚がありました。「もしかしたら、大けがなのかもしれない」という疑念が湧いてきました。
まずは、ここでそのときの状態を軽視しなかった自分で自分を褒めたいと思います。
勇気を出してみるものの、結果は迷えるバンビ
突然のけがの可能性で心臓がバクバクになりながらも、私の頭は比較的冷静に物事を考えていました。これまでに経験したことがない不安を抱えながらも、ひとまず、自らの状況を把握するために、その足で救護室へと向かうことにします。
インフォメーションの方に状況を説明すると、救護室への道は、健康な身体ならばわずか1、2分ほどということ。左足に謎の違和感を覚えつつも、気合いを入れて徒歩で向かうことにしました。「人に迷惑をかけるな。」と長年教わってきたからです。
しかし、自力でわずか10段ほどの階段を降りようとしたところ、ものすごい速度で脳から危険信号が送られてきました。子鹿のように足がかくつき、普段何気なくしているはずの歩くという動作ができませんでした。
実は、そんな私の様子を後ろから見守ってくれていたインフォメーションの方たち。すぐに、救護班に連絡を取ってくれました。
数分後、救護班の男性が颯爽と到着。膝の様子とざっと見てくれますが、判断がつきかねる様子です。ひとまず、スノーモービルで救護室へ向かうことになりました。
心拍数上昇、これが噂の吊り橋効果か
正直スノーモービルに乗るのはちょっとテンションが上がって楽しい。しかし、シーズンバイトでスキー場で働いていたときには、救護されているお客さんを見る側だった私が、今度はお客さんとしてスノーモービルに乗せられる切なさといったら、とても言葉では言い表せません。
さらに、トランシーバーで「40代の~」と告げられるのも地味に切ない。
パトロールのお兄さんの存在がとても心強く、わずか数秒程度の移動の間に、かの有名な吊り橋理論を身を持って実証しそうになりました。
救護室に到着すると、医療知識に長けた様子の別の男性が私の膝を念入りに見てくれました。結果、おそらく膝の靭帯が損傷しているのだろうとのこと。すぐに病院受診を勧められました。
がけっぷちだからこそ脳をうまく操れ
救護室の中での私の心境は、まさに心理学の教科書のような変化過程をたどりました。心の中では「本当にまずいことになった。」と思いつつも、膝を触ってもらったり、笑いを含んだ会話に耳を傾けたりしているうちに、冷静になり、前向きな気持ちになることができました。
救護室には合計で3人のパトロール隊員がいましたが、訛りが強いもう1人の初老の男性は「大丈夫、よくある。俺も前したから、膝が崩れるだけで問題ない。」と明るく声をかけてくれましたが、半ば呆れているようにも聞こえます。そして、3人のコミュニケーションから察するに、この方はだいぶ癖が強いご様子。結局、優しさから来るものか惰性から来るものか、ちょっとわかりかねましたが、福島の方っぽい率直なもの言いに少し安心したのも確かです。
スラムダンクの彩子さんの「がけっぷち」を思い出します。
あのときお世話になったみなさま、どうもありがとうございました。
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