Yes Man
イエスマン YESは人生のパスワード
見ました。
おや?映画日記みたいになってきてるなこのnote。
あ、それでいうとタイタニック見ました。すごすぎて言葉を失いました。すごすぎて怖かったわ。
あとレオ様に惚れた。「レオ様」に納得。
あ、いまはそれはどうでもいいんだった。
そう、イエスマンを見たのだけれど、ちょっと思考したくなったのでnoteをば。何を書くかは今から考えるから何もまとまってないけど、こういう書き方もありかなと。トライ。
すべてにNOと答え、無気力に生きてきた男が、なんにでもYESと答えるという誓約をたてさせられて、人生が変わっていくお話。
※以下ネタバレ含むかもです(未定)
カールはなんにでもYESと答えなければいけない。NOと答えると災いが起こると思っています。誓ってしまったから。
だからなんにでもYESと答える。そうすると人生がどんどん豊かになって、ついには愛する人に出会う。
でもいろいろあって、その彼女に「なんにでも無条件にYESと答える」ことが知られてしまい、それがきっかけで彼女は激おこ。会えなくなってしまいます。
でも彼はNOということができない。NOを言うと不運が起こるから。
だからカールは、最初にその誓いを立てさせられた人のところに行き、誓いをキャンセルしてほしいと頼みます。
そうするとその人は、そんなの最初からウソだという。
なんにでもYESと言え、と言ったのは、NOということに慣れてしまっているからだを変えるため。本当にYESのときにYESといえるようにするためと。
そうして彼は改めて彼女のところへ行き、すれ違ってしまった原因について彼女ときちんと話す、という物語。(鬼のネタバレでしたね、すみません)
この映画から学ぶこと…学ぶこと?映画から気づきはあるけど、学びと思ってみるのはなんだか人生が豊かじゃない感じがするな。
気づきにしよう。気づき、いいね。
この映画から気づくことは、「なんにでも前向きにYESと挑戦し続けたら、人生はより豊かにおもしろくなる」ということかなと思いながら見ていました。
でも違った。この映画が与えたい気づきは「本当にやりたいことは、心に従って、YESと答えるべき」ということかなと、最後まで見て思いました。
そこで私が思ったのは、うーん、普通のことじゃない?
確かにこの主人公、カールはYESというだけで人生が変わった。でもそれは、彼が今までの人生で否定しまくってきたから。いわば、のびしろがあった状態。だからかなって。
別に私、普通にYESって言ってるし。むしろ普通よりYESばっか言ってるほうな気がする。
と、ここまで考えたときに、あーでもいろんなしがらみやよけないことを考えた結果心に従ってYESと言えないときってあるんじゃないのかなって。
そこまで考えて、そこでいったん思考を止めて、このnoteを書き始めたわけだけど、
書きながら途中で思った。
逆に、YESじゃないこともYESと言ってるんじゃないかなって。
心はYESと答えたいけど、世間体や周りの目、さまざまなしがらみを気にしてNOと答える。
心はNOと言っているけど、周りを見て、YESと答える。
もしかすると人生はそういうことが多いのかも?
たとえば、なんだろう、うーん、
いまぱっと思いついたのは仕事かな。私結構激務な会社で働いていて、業務量すさまじいんだけど、アサインされるとNOと言えない。心はNOと叫びまくってても、NOと言えない。
なぜかというとまずNOという言い方がわからない。誰に、どんなふうに。
次に私がNOというとその先どうなるかがわかるから。NOといえない。
そうやって仕事を受けて、自分の心身を削って働いて、同期と愚痴ばかりこぼす。
たしかにスキルは身についている。たぶん。でもそのせいで、健康で文化的な最低限度の生活を奪われている。もちろん私だけではないけども、その環境に身を置くことを選び続けているのは私だ。
そして何より、負のエネルギーを大量に使っている。
負のエネルギーは疲れる。
なのに誰も幸せにならない。
あー、これが心に従わずにモノを言う、ということかもしれない。
YESなのにYESといえない、については今ちょっと浮かんでないけど(浮かんでないんかい)、
そういうこともあるのかもね。
とりあえずここで具体例を探すよりは、さっきの例のもと思考を進める。
自分の心にしたがって、結論を出す。声をあげる。
なぜなら、自分の人生の責任をとるのは自分だから。
どれだけ文句をいっても、自分の人生は毎日進んでいくし、会社は責任をとってくれない。周りの人も、責任はとってくれない。
だから自分の人生を生きるために、自分の心に素直でいないといけないのかも。
自分の人生を守るのは自分だ。
と、ここまで書いたけど、
ここまでとは別に、最初思っていた気づき、「なんにでも前向きにYESと挑戦し続けたら、人生はより豊かにおもしろくなる」に立ち戻りたい。
私はこれはすごくそうだなと思ったし、見ていて、私も明日からそうしようと思ったところ。
もともと気が進まないことでもやってみたら楽しい!ということが世の中にはあふれていることを私はこれまでの人生で気づいたので、結構意識的に実行しているんだけど、それはやっぱり大切なんだなと思った。
自分だけでは自分の知っている人生しか生きられない。
自分の人生の中に他人の提案や誘いを入れ込むことで、人生が豊かになる。そこで何か大切なものに出会うかもしれない。この物語の主人公、カールのように。
あ、で、分かった。
そのためには、自分の心のYESに従うんだ。
あ、わかった。
心の奥底の声を聴いて挙げるってことか。
自分の心の奥底はYESと思ってるときでも、それが脳に届くまでにいろんなことを考えて、口に出すころにはNOに変えてしまっている。
傷つくのが怖いから。まわりに馬鹿にされたくないから。誰かに迷惑をかけるかもしれないから。自分の将来にとっても不利になるかもしれないから。恥ずかしい思いをするかもしれないから。
そんな「かも」や「他人」に左右されて、心の奥底の声を知らないうちに自分でゆがめてしまっている。
そうしたら結果的に人生はせまくなる。おもしろくなくなる。
考える前に心の声に耳を傾けてそのままYESという。
「からだにYESということを慣れさせるため」になんにでもYESと言えといったのはそういうことか、あーなるほど、わかった。
この映画、そういう意味か。ここまで思考してやっとわかった。
本当の心の声に耳を傾ける。
恐れずにチャレンジしてみる。
未知を楽しむ。
なるほど。たしかに。それは素敵で大切なことかもしれない。
すぐにはできないかもしれないけど、心の片隅においておきたい。
そして必要な時がきたら、それをちゃんと引っ張り出して、自分の心の声を聴いてあげたい。
私はいつも映画を見た後はfirmarksで他の人の感想を見て、この映画の気づきを得ていた。
もちろん自分でいろんなことを考えつつ、最初の思考の足掛かりに他の人の言葉を見ていた。そこから自分で思考していた。
けど今回は他の人の意見を全く読まずに、映画を見終わってからスマホを開かずにこれを書いてみた。
紆余曲折はあったけど、自分なりの答えにたどりつけた。
なるほど、おもしろい。
今から他の人の意見を読んでみる。そうしたらきっと、また違うことを感じるんだろうな。
映画っておもしろい。思考っておもしろい。
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