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友達作りに悩んだはなし


居酒屋のレモンサワーと唐揚げが恋しくて夜も眠れません。Harukaです。いかがお過ごしですか。


今回はまず過去を振り返り、評価反省するところから始めていきましょう。




私は昔々、自宅から遠く離れた小学校に通っていました。今と違い体の小さかった小学1年生。頭の上にある改札口にSuicaをタッチして、満員電車で若干浮きながら、毎日必死に学校に通っていました。浮いていたというのは比喩でもなんでもなくて、あまりにも混んでいる電車の中だと、ちびっこは周りから押されてちょっと浮くんです。痛かったなぁ。


通っていた小学校はちょっと特殊で、めちゃめちゃ勉強のできる子や音楽の才能に秀でた子など、普通の学校にはもしかしたら馴染めないような雰囲気の子が集まる学校でした。

私はどうしてあの学校に入れたのか...今でもよく分かりません。



卒業するまでの6年間、虐められたり虐めたり。心をすり減らしながら生活をしました。当時のことを細かく書いたところでお涙頂戴感がどうしても出てしまうのでその段落は全消去。何がダメだったのか考察していきましょう。




強さの定義を間違えていた。

私はとても臆病で気の弱い性格です。上っ面だけの付き合いの友達にはバレていませんが正真正銘のウサギちゃんハートです。

それに加えて神経質だったり若干潔癖症だったりもします。


書いていて思います。面倒だ人間だなと。



そんな私にも毎日朝はやってくるし、満員電車に揺られて学校に行かなければいけない。もっと強くないと。自然とそう思うようになっていきました。


その決心とその後の努力が良い形で成果として現れればよかったのですが、結局私を意地悪な人間へと成長させてしまいました。




例えば人に優しくするときや親切にするとき、私はその行動が他人からどう見えるかを第一に考えるようになっていました。でも根性が変な方向を向いている私に他人からの目線を正しく感じとることはできません。いつの間にか誰を友達と思って良いのか分からなくなっていました。


間違った決断と間違った決心。これに尽きるのでしょう。




虐めが存在するのは当たり前だった。


私が虐められるのは期間としては大体2週間程度。次は他の子が標的となります。標的になるのは私を含めて3人くらい。自分の番が回ってこないように、必死に虐めっ子に加担しました。


朝、おはようと声をかけた相手が返事をしてくれるかどうか、それが何よりも怖い瞬間でした。


「おはよう」そう言ってくれれば安心です。急いでランドセルを置いて、同級生の後ろをついていきます。



私の目を見て数秒止まり、舌打ちをして通り過ぎていく。そんな朝もありました。心臓がギュッと握られるような感覚、手の先が冷たくなるような感覚、目の前が一瞬で暗くなるような感覚。今思い出してもお腹が痛くなります。




私の上履きに画鋲が入っていたこともあったし、私が友達の上履きを隠したこともありました。

悪口を沢山言われたし、悪口を沢山言いました。




あの頃、悪いことをしている自覚はありませんでした。

身を守るための必死の抵抗でした。





「やめて」「仲間に入れて」が言えなかった。


「筆箱の中身見せて」  

気になるんですよね隣の席の子の筆箱の中身。でも何となく人に自分の持ち物を触られるのが嫌な時期があったんです。今思えばどうにでもはぐらかすことは出来たのに、あの時はどうしてもそれが出来ませんでした。拒否したら自分の番が回ってくるかもしれないと思うとすごくすごく怖かったです。



「一緒に遊ぼう」

朝、始業のチャイムが鳴るまでみんな思い思いに遊んでいました。私も一緒にやりたいな〜と思っても、それを口に出して言えるのは20回に1回程度。もしくは自分が先に遊び始めて、周りから一緒にやってもいい?って聞かれるのを待つ。




「やめて」「仲間に入れて」

こんな些細な一言を発するのにストレスを感じていました。



自分の嫌な部分を何となく認識していたし、虐めのターゲットにもなる私。「基本的にみんな私のことが嫌い」だと思っていました。その結果、自分を変えるのではなくこれ以上嫌われないようにする




「やめて」と「仲間に入れて」を言うことをやめました。


今考えるとめちゃくちゃな理論です。でも当時の私には精一杯でした。




過去の自分を見て何を思うか。


ここまで過去形で書いた表現ばかりですが、本当はまだ乗り越えられていない部分もあります。今でも私は好かれるタイプじゃないと思ってるし、今でも挨拶を自分からするのは苦手です。



そんな私を変えてくれる出会いもありましたが、これはまた別の機会に。



みんなを笑わせられる、頭が良くて宿題を見せてくれる、

そんな風に誰かにメリットを与えられる人にならないと友達はできないんだと思い込むようになっていき、


でも常にサービス精神旺盛にはいられなくて、

上手く立ち回れない日があると落ち込んで、

次の日学校に行くのが怖くて、

そうして少しずつ人前で自分を見せる事を避けたいと思うようになっていきました。



過去は変えられないです。残念ながら。

小学生として過ごした6年間を消すこともできないです。不幸なことに。



しかし、今の私が当時と同じように人目だけを気にしてビクビクしながら生きているかと言うとそんなことはありません。


小学校を卒業してから11年(いや、10年?)

今の生活は悪くないし、大切な友達がいる。だからそんなに泣かないで、大丈夫だよ。


あの頃の自分にはそう声をかけてあげたい。



まとめ

間違った決断と間違った決心でしくじった経験が自分を臆病にして、それ以降自分で大きな決断を下すことが出来なくなっていきました。


些細な一言が言えなくなって、友達と特に目的もない意味もないたわいも無い会話をするのが苦手になりました。


そしてそんな私を私が乗り越えていく話はまたいつの日か。




最後に

今虐めを受けていて辛い子、虐めている子、そんな子どもたちの周りにいる大人、どんな人に対しも今の私が伝えられる事がありません。


しかし、どんな経験であれ、通り過ぎた人は自分なりに噛み砕いて理解して次の世代に伝えていく役割を担わなければいけない。とも思います。



もう少し色んなことを勉強して、もう少し色んなことを経験して、それからもう一度あの頃を振り返ったら、その時は何か言えるかも。





今回は人生の序盤でしくじった私のはなしでした。



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