見出し画像

3回打てば響くかも⁉

先日書いたこちらの記事。

なんだか反応がよく、いつもより多くの人に読んでいただけてるようです。
ざっくりと内容を説明すると、「肩書きを外して、素の自分で暮らそう」ってことです。

で、このことについてはもう何年も前から感じていたんです。

「○○大学出身です」
「年商○億です」
「2児の親です」
「カウンセラーとして○千人の相談にのりました」

こういった自己紹介文を目にするたびに、「それがどうかしたの?」と。
『肩書き』といった色眼鏡を通して人を見て、本当にその人の本質が見えるの?いや、見えないよね。って。


そして、わたしの記憶ではこういった記事を書いたのは3回目。でも、これまでの2つの記事はあんまり反応がよくなかったんですよね。

「あぁ、これについてはわたしは少数派なんだな」って思っていました。

でも、最近思うことがあり、3度目の投稿。
「肩書きってじゃまだよね」と。
しつこいですねー。

でも、今回は今までとは反応が違いました。「わたしもそう感じていました」というコメントもいただけて、嬉しかったです。

「前回書いたときよりも、フォロワー数が増えている」「わたしの文章力が上がって、内容が理解しやすかった」など記事のテーマ以外にも理由はあるのかもしれません。

それでも反応がよい記事と、あまりよくない記事があるのはみなさん経験していることだと思います。自分の中で「だいたい平均でこれくらい」ってありますよね。

そのベースを上回る反応をいただけた。「3回目で、やっと響いた!」と。

これって、大切なことだと思うんです。
自分が何かを発信して、反応がないと少しがっかりしてしまいますよね。さらに、反論するコメントでも届こうなら(noteではあまりないけど)、発信することにすら抵抗を感じてしまうかもしれません。

SNSに限らず、自分の言動に対して、親や教師、同僚や友人は様々な反応を返してきます。その返しにがっかりしたり、傷ついたりした経験は誰でも持っていると思います。それがきっかけとなって物事に消極的になってしまうことだってあるわけです。

でも、だからって、自分の本音を隠してしまうのはもったいないことです。「それでもわたしはこう思います」と言っていたら、いつか「実はわたしもそう感じていたんだよね」という人が出てくるかもしれないのです。ひょっこりと。

そしてその機会は意外と多いものです。

わたしはこのnoteを書きはじめてもうすぐ2年が経ちます。noteに投稿していることは誰にも言っていません。今まで仲のよい友人にも言っていなかった本音をここに書いているからです。

それは、時にとても偏った考えだったり、今までの時代のやり方を否定するものだったり。

でも、意外といるもんです。
そんなわたしの記事に対して「同感です」と言ってくれる人が。


わたしは変わり者かもしれない、だけどひとりじゃない。


そんな感じでしょうか?


タイトルに戻って、「3回打てば響くかも⁉」です。
何回打つかはその時々で変わるのでしょうが、確実に言えるのは「1回ダメだったからといって、引っ込めてしまうのはもったいない」ということ。


少数派の人は、1回くらいじゃ見つからないのです。でも、必ずどこかにはいます。

その人に届けるために、何度も鐘を打つのも、あんがい楽しいものです。



ステキな一日を★


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?