みんな、『普通の人』に戻りたいのかもしれない。
何が『普通』なのかっていうのはおいといて、「自分にあれこれ付け足すことに疲れたよー」って人、多いんじゃないでしょうか?
昔の同僚で「資格さえあれば···」としょっちゅう言っている人がいました。そのたびに「資格と実力は別物だよ」と返事をしていたのですが、それで納得している様子はありませんでした。
まぁ、そういった『肩書き』に目がくらむのもしょうがないのかもしれません。テレビの情報番組をつければ、コメンテーターの肩書きが表示され、本を開けば著者の肩書きが巻末に載せられています。
「○○大学出身で、どういった職歴で、こんな資格を持っていて、プライベートでは2児の親です」みたいな?
そういったものを当たり前のように目にしていたら、勘違いしちゃいますよね。そういうものを持っていたら、やりがいのある仕事に就けるんだ。たくさんお金が手に入るんだ。幸せになれるんだ。って。
でも、そろそろそういったものから卒業するときが来ているんじゃないかって感じています。
「何かを持っている=幸せ」じゃないって。
持ち過ぎた荷物をひとつずつ手放していって『何者でもない普通の人』に戻るときだと思うんです。
ただ、“わたしの普通”が他人の普通じゃないってことはありますからね。『素のわたし』になったときに変人扱いされることはあると思います。でも、あくまで自分の感覚で普通なら、それでいいのです。
こういうの、『自然体』って言うのでしょうか?
「○○大学卒業」
「職業○○」
「○○ちゃんの親」
学歴、職業、スキル、家庭環境をアピールポイントとして使う必要はないのです。
自分の興味や、やりたいことに邁進していたら、勝手に肩書きがくっついてきちゃうことはありますけどね。
「ある分野について学びたくなったから大学に行った」とか「好きな人と家庭をつくりたいと思ったから結婚した」とか。
それは自然な流れで得た経験のひとつですから、大切にした方がいいと思います。
でも、それを自分の看板として使うのはもうやめた方がいいんじゃないかって。
話はちょっとそれますが、たまに『ベストファーザー賞』とかニュースで取り上げられることがありますよね。
そんな「ステキな○○さん」といったような賞をもらった人が、数年後に女性関係のスキャンダルに巻き込まれちゃうとかもあるあるです。そんな賞、いらないですよね。
『肩書き』は「わたしは○○なんだから、こういう振る舞いをしなくちゃいけない」と自分を縛る原因になることがあります。それが重荷と感じることもあるでしょう。
でもそういったものは本当は存在しなくて、自分で掲げた看板でしかないのです。「○○しなくちゃ」という荷物になっているなら、看板を降ろせばいいんです。
別に今までの経歴を隠したり、離婚する必要はないのですが、そういったものを自分の武器として使っている人が多いなって。そしてそれに疲れちゃっている人も。
本音ではみんな、『普通の人』に戻りたいのかもしれません。
それでも楽しく暮らせるなら。
お金に困ることがないのなら。
そのためには持ち過ぎた荷物をひとつずつ降ろしていく。
そして身軽になったとき、違う世界が見えてくるんじゃないかって思います。
ステキな一日を✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?