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全部運命だったんだ


今ある関係は、出会うべく出会い、別れるときも別れるべくして。

手元にある人間関係もモノも偶然会ったのだと思っても、よくよく考えると結局自分が選んだ「運命」だったんだろうなぁと思う。



人生、選択の連続で成り立っている。
小さなことで言ったら今日何を食べるかや何を着ようかということから、大きなことで言ったら人生における大きな選択まで。

「一生親友だからね」と小学生の頃言っていた幼馴染が今は連絡すら取っていなくて、どこにいるのかも何をしているのかも分からないのも、運命という名の「私が選んだ選択肢」なのだろう。


今はすごく心穏やかで、周りにいる人たちは優しくて気も合って、自分の心がざわざわすることがなくって、心から生きていて楽しいなと思えている。
そう思えるのも、過去に辛いと思った出来事が続いて、それを「何かのせい」にするのではなく「自分の手で変えるんだ」と決意した結果の変化であると思っている。

とはいえ、いつだって強い気持ちを持って選択できるんじゃなくて、昔は何でも人の目を伺っていたこともあって自分で選択していたとは言い難いし、他人軸であることで責任から逃げていた。

全部が必然であり自己責任と考えると苦しくなってしまうけれど、大人になって思うのは、他人を羨ましく思う必要はなくて自分も近づけるということ。
自分にとって「より良い」を選び取るアンテナの感度が高いほど、人生がうまくいく気がする。

あくまでも"気がする"だけど。



この2年ほど誰かと会う機会というものが減り、最近になってようやく誰かに会いたい欲が再燃してきて、度々誘ったり誘われたりする。学生時代に多くの人と顔見知りになり、仲良くしていたけれど、結局ふとしたときに「最近どうしてるかな」と連絡を取れる人って数人だったりする。

特に学校の友達はほとんど付き合いがない。

集団の中から気が合いそうな人を選び付き合うよりも、何かの共通点があって絶妙に心地よい距離感でいてくれる人のほうがうまくいったんだろう。
そうやって、「誰といるのが心地よいのか」ということを無意識に選んで、今仲良くしている人たちがいるのだと思う。

そして、疎遠になってしまった人たちは自分の中で何かが違ったのだろう。


モノに至っても同じで、特に一点物の商品はタイミングが鍵で。
「いいな」と思って熟考しているうちに、次見たときには目の前からなくなっていて誰かのもとへ旅立っていた後だったり。

そのときはとても悲しくなるし、「あのときなんで決めれなかったんだろう」と落ち込むこともあるけれど、それも迎えないというひとつの選択で自分のもとに来ないという運命だったんだろう。

現状維持も悪くないよ。

そう思うと何かを後悔することは少なくなった気がするな。あれも、これも、私が選んだ結果だから。




余談ですが、先日、ある物件に決めよう!連絡しよう!と思っていたその日にもっといいものを紹介してもらって。内覧に行く予定でしたが、直前に申し込みが入ってしまって「もしかしたらこの綺麗な家に住めるかもしれない…!」という妄想が見事にぽしゃってしまいました。

結局、なかったことになるだけども、ちょっと悲しくなって。

「この家は背伸びしすぎだよ」ということだったのかもしれないなと思って、今までの人生の運命について考えてみました(唐突)。


手元に配られたカードは簡単に変えられなくても、その中でどう振る舞うかは自分次第だから、今選べる中で最高をつくるぞと意気込んでいます。

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