見出し画像

親族というものへの価値観の変化


ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったのでしょうか。

コロナ禍になってから、初めての制限なしの大型連休ということで、友人たちが楽しそうに過ごしているなと、徐々に「元通り」のようになってきているのでしょうかね。とはいえ、私は相変わらずな日々を過ごしています。

そんな私にも大型連休の間に2連休があって、ひとりで家にいるのもなぁと思い、実家にでも帰ろうかと母親に連絡してみた。そうすると、祖父母の家に両親それぞれ行くとのこと。「え~どうする?」と言われながらも、父方・母方それぞれの家に顔を見せることに。

実に、3~5年ぶり。

2つの家は同一県内にあるとはいえ、ちょっと面倒臭そうな声色の母親の声を電話越しに聞きながらも、「行けるのであれば行きたい」と食い下がったのは訳がある。


もともと学生時代も学業に忙しかったりで特に父方の祖父母の家にはほとんど行っていなかった(従姉妹は既に働いていて6年くらい会っていなかった)。私が仕事をし始めてからは、実家帰れるのはがんばっても月1回、それに両親と祖父母に会いに行く日を合わせるなんて不可能に近い。加えて、コロナが流行ってからはリスクのある祖父母の家、私は引越しして実家からも遠くなってしまった。不要不急ではあるので、優先度も低い。

「会えるうちに会いたい」というのは、毎日毎日自分の祖父母と同じくらいの歳の人を見ていると、やはり重ねてしまうのが大きいと思う。入院したことで寝ていることが多くなりトイレに行くことが難しくなってしまったり、刺激が少なく認知症が進行したり、肺炎になって一気に状態が悪くなったり。


周りでは「いつか会える」とどこかで思っていた人がこの2年でもう会えなくなってしまったということも聞く。
徐々に悪くなっていく人もいれば、何かの拍子に急に悪くなる人もいるので、人の寿命なんてわからない。特に平均寿命以上を生きた祖父母の年齢を考えると「あのときが最期だった」と後悔する可能性もあるということを、コロナ禍と職業柄のおかげか自分事のように感じている。

図らずも、コロナという疫病によって命の大切さ、そしてそれが如何に儚いか再確認した。



私は20代である程度自由もあって、今できる経験を大切にすること、会いたい人に会うことや行きたい場所に行くことをどんどんしていきたいと同時に、本当に手に届く範囲の大切にしなきゃいけないものをこぼさないようにしなければと思う。

特別、親戚たちと深い関係にあるわけでもないけれども、幼い頃から何かと気にかけてくれていた人々のことは気になる。
人は老いるとどうしても誰かの助けが必要で、疎遠だとしても、親族に白羽の矢が立つことが多いのを目にしているから余計にかな。(最近、両親たちの老後が心配になっている)


思い切った行動だったけれど、叔父叔母・いとこたちまで近い親族全員に会うことができて、それぞれの成長に驚かされたり、近況の話をしてなかなかに楽しかった。そして、大きく変わることなく元気に過ごしている祖父母を見て安心した。

両親から祖父母たちがいかに喜んでいたか、あとで聞いて、思わずひとりでにまにまとしてしまった。


時間は有限である。それを自分のために使うのは人生において、非常に充実する上で大切なことだと思う。
だけども、その中で大切な人のために使う時間もよい、結果的に自分の満足感につながっていると知ったのはつい最近のこと。

数年前までは親族の集まりも好きではなかったし、それなら友人たちと遊んでいるほうが楽しかったし、寄り添ってくれるのも友人だと思っていた。でも、改めて考えてみると私が生まれたときから知っている人たちがこんなにも成長を喜んでくれるなんて、幸せなことじゃないかと思う。

私よりずっと長く生きている人たちとのお別れは、大体の場合経験しなければならないだろう。そうなったときに後悔しないようにこの縁を大切にしていきたいな。


余談ですが、直近の私の夢は祖父母に「花嫁姿」を見せることです。正直、実現できるかなんてわからないのですが、その日まで元気で過ごしてくれることを祈っています。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,718件

#眠れない夜に

69,624件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?