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居心地のよいSNSの使い方
SNSをやっていると「いいね」「フォローワー」「再生数」などの数字の呪縛がつきまとう。それらから逃れるためにはそれなりの気持ちの持ち様が必要だと思う。
紛れもない事実が表れるので、時には数字はとっても残酷。
他人が「よい」と思ったら「いいね」になるし、「よいな」というものを載せ続ける人はフォローされるだろうし、好みと離れてしまったらフォローを外されてしまうかもしれない。
「いいね」が多いということは多くの人が「よい」と思ったものであって、フォローの数はその人のことを「見たい」と思っている人の数ということは事実だと思う。
ただ、その数字がその人の良さに表れているのか。
答えは「NO」だと多くの人が思っているけれど、「よいと思ってもらえた」ということが数字に表れるから、それが自分への評価に繋がると考えてしまうんだろうなと最近気づいた。
私はSNS使用歴でいうと7〜8年になる。その中でそれらの数を意識したことは少なからずある。
いいねが増えると嬉しいし、フォローワーが増えるともっと嬉しい。投稿する中で自分が良いなぁと思った写真の反応がよくないと「これってよくなかったのかな」と思うこともあった。
他者の感情は測れないけれど、数字はよいと思ってくれた数がわかる。それが個人の評価のように錯覚していた。そんなSNSとの付き合い方は心が疲弊するし、何より自分に素直でいられない。
私の場合、プライベートのSNSは主にカメラで撮った写真で好きの共有場所や思い出の保存箱として使っている。それらがどういうものなのかは、本来自分が決めるもの。
友人の何気ない瞬間も、ほかの人にはなんでもない風景も、自分の好きなものも、自分にとっては大事なものなはず。そうなのであれば、本来SNSを投稿したときに得られる数字は自分が思う大切さには関係ないよね~とようやく思えるようになってきた。
投稿している写真たちはどれも好きなんだもん。
最近は、それらの数字が見えないようになってきているのもあって、より気にすることは減ったかも。あとは「自分の好き」に自信が持てるようになったのが大きいかなと思う。
ちなみに「映え」の写真のすべてがだめだとは思っていない。
映える写真は可愛くてそんな写真が撮れたら心が躍る。ただその写真を撮る目的が他者の評価欲しさなのであれば、、、なんかなぁと思うところはある。
今は多用なSNSの使い方がある。
ビジネス利用する場合はインサイトやアナリティクスを活用して、より認知をしてもらうために、いいと思ってもらうために展開する必要があると思う。
流暢にこれまで数字に惑わされることが減ったと言っている私もインスタグラムの暮らしのアカウントは少しは意識しているので、まぁ振り回されることもある。笑
反応がいいのはインテリアの写真だけど、そればかりも私がしんどい!という気持ちが生まれてきて、最近では無理せず日記のようなことも載せるようにしている。趣味の延長なので、縛られる必要もないよねっていうことに気づいたのだと思う。
適正な距離感は、自分がなんのために利用しているかをもう一度考えると何を大切にしたいのかわかるのかも。
今はSNSからお仕事に発展することもあるので、「それらを絶対に実現させたい!!」みたいな思いに満ち溢れている人ならストイックにブランディングするほうがよいと思う。
だけど私はそれに限界を感じている。
もともと今の趣味のアカウントを始めたのは、プライベートの友人の目を気にすることのない世界を作りたかったから。その世界は私がいちばん心地よい世界で、それは作り上げるだけじゃだめでちゃんと自分の素を残さないといけない。
だから、数字を追うことよりもまずは「自分がその世界が好きか」ということを大切にするようになった。
写真も写っているものたちも私が愛しいと思っているものたちで構成されている場所と思ったら、SNSは居心地の悪い場所ではない気がする。
それでいて好きな人たちもいる(フォローするのは好きなものだけと決めている)のだから、使い様によったら気持ちよい場所なはずなんだな。
これからも好きな場所であるよう、ゆるく生きていきたいと思います。
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