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本当のわたしとのお付き合い


少し肌寒くなってきたから、久しぶりに七分袖のワンピースを着てお気に入りのコスメでメイクして全身コーディネートを考えて街へ行った。

るんるんで外に出たにも関わらず、私の心はどんどん曇り空。しまいには泣き出しそうになった。


その理由は、「街にいる女の子が可愛いから」。


へ?そんな理由で?と思うかもしれない。
私もこうやって冷静に文字にするとなぜそのときそんなに落ち込んだかはわからないけど、そういう日だった。



noteでは自己肯定感が上がった話や私のポジティブマインドの話が多めだけども、根はネガティブで自己肯定感は低いまま。綴っているお話は私の中の「ちょっと強めのわたし」が出てきたときのことなのです。


根っこにある自己肯定感が低くて自信のないわたしは先週から今週にかけてとっても落ち込んでいる。機嫌よく過ごしていると思えば、泣き出しそうなときがある。それが最近の2週間。
趣味のインスタグラムの種々の数字が気になりだし、何をやってもうまくいかなかったのが最初のもやもやポイントだった。

先週の記事と正反対な話だけども、気持ちによったらとんでもなく気になってしまうときもある。冷静に考えれば自分が満足していたらいいと思うのに、根にある「人の目を気にしてしまいがち」という性格がその思考の邪魔をしている。

「これはよくないのかな、、」と思い始めたら、どんどん気になってスマホを開けるたびインスタの数字を見るというポジティブマインドのときの私がきっと許せない自分になっていた。

そんな些細なことが気になり始めた私はいつもどおり仕事に行くだけでも「何かあったらどうしよう」と思ってしまい、重症者がいる部屋持ちにでもなってしまえば点滴ひとつにしても過剰に心配してしまうようになる。

何事もないことがほとんどだし、困ったら誰か助けてくれると分かっていても、ネガティブ思考になってしまった私は「心配」と「不安」が勝ってしまう。



冒頭に書いた話はそんな気分の落ち込みが激しかったときに街に出かけたときに急に自分への劣等感が強くなってしまった日のこと。
私の住んでいる街は学生が多いからか、同世代か少し下くらいのトレンド感満載の可愛い女の子たちで溢れている。それは、思わず街ゆく可愛い女の子を見るたびに目で追いかけてしまうくらい。

お洒落をすることは私にとって気持ちを高めてくれるものだし、基本的には気に入ったお洋服を着て可愛いコスメを使ったときの私は無敵状態というくらい自己肯定感が上がる。

だけど、落ち込んでいる私は「無敵状態」にはなりきれず、むしろ「可愛くなろうとしたはずなのにもっと可愛い子がいること」に絶望感を感じてしまってどんより気分に拍車をかけてしまった。



「ポジティブなわたし」の割合が少しずつ増えてきているけれども、やっぱり根は変わらない。でも、それを全部悪いことだとは私は思っていない。

数字が気になるからこそ もっと見ている人に満足してもらえるには?と考えることができるし、心配性だからこそ もっと悪い状態になる前に相談することができているのだと思う。自分に劣等感があるからこそ 可愛くなりたいと願い、自分を好きになれるように頑張っているのだと思う。

何事もバランスが必要で短所と思われる部分があるからこそ、「わたし」なのかもしれない。

自分に悲しくなることもあるけれど、うまく付き合っていけたらいいなと思う。

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