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継続は力なり、noteを続けられているワケ
たまーーーに「今週書くnoteのテーマがどうしても出てこない!」みたいなときがある。今週がそんな感じなんだけども、先日通知がきた。
![](https://assets.st-note.com/img/1674712212186-8Tbe6YuDyR.jpg?width=800)
4年前、私の中の感情と思考がなくなりそうになったとき、既存のプラットホーム以外に知人の誰かに見られるわけでもなく、それらを守るために見つけた場所がnoteだった。
当時は結局続かず、2年近くあいた一昨年の4月から継続的に書き続けている。
感情と思考がなくなる、というのは今となっては理解し難いけれど、何をやっても否定され続ける場では事実を受け入れて早くやり過ごすことに懸命だった。自分の私的な感情や考えが邪魔するとこじれるので、ただ事実を受け入れる。それだけで毎日消耗して覇気もなかったんだろう。よくよく心配されていた。
自分の感情や思考を言葉にしなきゃ私がなくなってしまいそう、そう思って勢いでnote始めてみたものの、そもそも心身の休息をとらないとやってられないと思うくらい追い込まれていたので、まずは健康に生きることが優先になってしまった。noteは開いても、書こうと思えなかった気がする。
心配を重ねすぎてお腹が痛くなったり息苦しくなったり夜寝れなくなったりせず普通に生活できるようになったとき、何個かやりたいことのひとつがnoteの継続更新だった。
どこかで「またやりたい」と思ってたんだな。
不思議なことに、環境が変われば思考も変わって今まで卑屈に考えがちだった脳みそが解れていくような気がした。その気づきを私なりの言葉で残したくて、書くことにのめりこむことができた。
続かなかった4年前と2年間それなりに続けて書いている今、何が違うかというと一番大きいのは余裕の有無だと思うし、継続したいという強い気持ちがなければ、こんな風に毎週のように自分の思考を綴ることができないなと思う。
私は「身体」「心」「時間」の余裕が大切だなと思うけれど、創作活動において重きを置きたいのは「心」の余裕だ。
「心を亡くす」と書いて「忙」なるけれど、ほんとに忙しいときは言葉はどこかへ行ってしまう。
現に職場では忙しい日ほど「あれやん!あれあれ!」「あの人、〇〇した人やん!」とことごとく言葉を失っている。笑
忙しいときは頭がぐるぐる回転して、言葉の引き出しを開ける隙がない。
これは感情と思考をなくしかけた私からすると、また毎日のちょっとした出来事にも何も感じなくなって自分の存在意義も見失ってしまうんじゃないかと怖く感じる。
私自身を保つ上で自分を知ることはとても大切なことだと思っていて、ただちょっとした感情や思考を出すことで「私ってこう思っているんだ」と気づくきっかけにもなる。
その出す場所は手書きのノートでよいけれど、すらすらと出てくるのは意外とパソコンで打つ文字でnoteというプラットホームは私と合っていたんだと思う。
リアルの場で近況報告をしてみれば、溢れて出てくるのは仕事の愚痴か恋愛や結婚の話ばかりな最近。私が好きなディープな話をする人は限られているし、必ずしも聞いてもらえるわけでもない。
noteなら垂れ流してても、題名や何かで興味を持ってくれた見知らぬ誰かが見つけてくれて響けば「スキ」が飛んでくる。そして、誰かの思考が見れるのはおもしろいし、心がざわざわする刺激的なことも知人と比較することもなくって、それがなんか居心地よかった。
「毎週何か更新したい」というのは、ちょっとした執着なのかもしれないけれど、それくらいのほうが書く理由になるし、自然と思考の整理になってもやもやが晴れる気がする。
珍しく、公開前にざざっと一気に書き上げてしまって、言葉を練りなおすことなく出してしまうけれど、たまにはこういうのもよいでしょうか。
理想は1週間かけて、自分の気持ちにいちばんぴたりとハマる言葉を見つけることなんだけども、理想どおりにはなかなかいかない。それがまた違う場所へ連れてってくれるのであれば、悪くないかもしれないね。
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