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あんこを買いに


世界一低い場所、死海で
スーパーマーケットにいる
父を思う。

ジュンパ・ラヒリ『思い出すこと』


母が病気になってから、父は買ったものを運ぶ係になった。

冬子が家を出るまで、何百回も通ったあのスーパーに父がいることがうまく想像できない。

二、三駅なら平気で歩くほど健脚だった。歩きすぎですよ、と医者に注意されていた。

そんな父はもういない。駅まで行くのにゆっくりと、途中で休み休み、ふうふう言いながら歩く。

同じ人ではない、別人だ、と思うことが、冬子の動きを妨げない唯一の方法だった。

父と母の暮らしについて、やらなければいけないことと、やったほうがいいことが混ざりあう。急がなくてはいけないことはなにか。何千匹というトカゲのようなものが冬子の足元で動いている。命を脅かす、毒をもつものを目で追いかけては見失う。数が多すぎて、混乱する。

こういう時こそ本だった。冬子は自分の誕生日プレゼントに古本で買った江國香織『ひとりでカラカサさしてゆく』をテーブルに置く。

『シェニール織とか黄肉のメロンとか』にも惹かれ迷ったが、今の自分には眩しすぎると感じた。大晦日に一緒に命を絶つ三人の物語のほうを選んだ。歳を重ねた人たちが死を見つめることとはどういうことか、知りたかった。

ひとのわかりたい気もちは、なめたいときと似ている。

石田千『平日』


古本屋の「夫」に飼われている、人間にしたら百歳の猫のはなしが冬子は好きだ。散歩して水たまりをのぞけば、たまに四十くらいの女のひとになっていて、ひとつ七十円のたいやきを食べる。いいなあ。この猫になりたい。

あいにく冷凍のたい焼きを切らしている。その時々で、今川焼きと安いほうを買う。あんこをおやつに『ひとりでカラカサさしてゆく』を読みたい。ビターザクロのチョコレート、ちょっと癖になるかんじだったよ、と夏子に言うついでに父と母のことを相談してみよう。猫もいいけど、チョコが食べれない。鏡でにんげんの姿を確認すると、冬子はスーパーに向かった。




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