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Roll.2 作法の多い中判カメラがポートレートのリズムを生む

noteの皆さん、またお会いできて何より。

前回、初投稿してから1ヶ月近くと期間が空きすぎてしまったが、卒業までの残り2ヶ月で学生時代の総括としてフィルム写真をロール毎に載せる。

インスタグラムの方ではデジタルで撮影したポートレート写真から再レタッチをして毎日投稿している。このペースであれば卒業までにはほとんどの写真を載せ終わりそうだ。

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*肌や髪、服の色、一切をなくして見えるもの。

高解像度で時間を、すべてを閉じ込める中判フォーマット

今回のロールは皆さんがイメージとして持つ、いわゆるフィルムっぽさを感じない一本だ。
使用したカメラは、Mamiya RB67という中判カメラ。レンズは250mm(35ミリ換算で約125mm)で屋外で撮るにはちょうど良い中望遠レンズ。フィルムは、フジフイルムネオパン 100 ACROSという見てわかる通りモノクロのフィルムだ。

フィルム全盛の時代を超えて若年層にもファンの多いフィルムカメラだが、そのほとんどが35mmのカラーネガで撮影していることは間違いない。逆にそれ以外の中判やリバーサルを現像している人なんて5%にも満たない。
カメラ屋さんでアルバイトしている僕だが、5年以上働いていてもその5%にも満たない人に会えた日には少しばかりテンションが上がる。

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*展示会に出すために、自家現像した1枚。

モノクロフィルムは自家現像と言って、カメラ屋さんに出さずとも設備さえあれば自分で現像して、紙に焼き付けることもできる。
しかし、現像が終わるまでに光が入るとフィルムが感光してパーになってしまうので暗室という暗闇の中、粛々と進める必要がある。手は薬品臭くなるし、チカチカ光るスマホもいじれない。

それでも35mmよりも大きい6×7のフォーマットは一枚あたりの情報量が多く、同じシーンで撮影しても言わずもがな解像感、背景ボケの量など段違いだ。
それだけの時間とコストを掛ける意味を仕上がったフィルムを乾燥させてシートに入れるときに感じる。

余談だが、仕上がったネガシートを明かりにかざしてスマホで写真を撮り、 iPhoneの設定>アクセシビリティ>画像表示とテキストサイズ>反転(クラシック) をオンにすると、仕上がりのイメージを脳内変換するより正確に見ることができる。

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*ピント面の解像感、背景のボケは中判の最大のアドバンテージ

重いカメラが弾き出すシャッター音、撮影のリズム。

フィルムらしからぬ写りの良さは、写真から感じてくれると嬉しい。このカメラの最大のデメリットを挙げるとすると重いことだ。カメラ、レンズ合わせて3キロ近くの重量だ。産まれたての赤子だ。
すわってない首を支えるのと同じ要領でレンズを支える。ネックストラップを一日中掛けた日には世の中のママさんたちを尊敬せざるを得ない。

無機質な機械式のカメラでシャッター音はバカでかい。
キャシャーン!!(伝わらないですね。)
初めてカメラを向けられた女の子は撃たれたと勘違いするんじゃないかな。

10枚くらい引き金を引いていると、あることに気づく。
5メートル以上離れていても、引き金とその直後の被写体の目の瞬きがリンクする。ポーズを止めるところと、変えるところが被写体と共有できている。

ああこれが、撮影のリズムか。

自分の動きと被写体の動きが完全にシンクロしている。

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*シャッター音もしっかり撮れているよ、の合図。
つまりコミュニケーション。

こんな能書きを書きたいんじゃない

長々とカメラの話しやフィルムの話しをしてしまって、写真について触れてない。これではカメラオタク感がバレてしまう。
見て欲しいのは、オタクの自己満足な能書きじゃないから、あとは写真を見て欲しい。

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*制約が生む、シンプルさ。

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*帰り道に消化試合の一枚。
撮らなきゃの使命感、義務感が偶然を生む。

最後まで見てくれてありがとうございます。
中判は少しでも調整が狂うと露出もピントも撮影後にどうすることもできない。
今回のように写真の一部が感光(白い帯がでる)していても現像しないと気づかない。
なんなら、写っているかビクビクしながら毎回現像に送り出す。
写っているだろうという、カメラへの信頼はいつになったら生まれるかな。

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