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『猫を棄てる 父親について語るとき』について

新聞広告でこの本を見た時、今ふうに言えば胸に刺さるものがあった。
村上春樹の作品は「読まず嫌い」に近くほとんどスルー状態だったのに、である。
刺さったのは「猫を棄てる」と「父親について」の二語に他ならない。私には、母親に命じられ強制的に猫を捨てに行かされた父親の思い出があり、その思い出は少女時代から今日に至るまでずーっと記憶の片隅に在るからだ。
だから娘が「これ、読む?」といって本を差し出したときは殆んど反射的に受け取った。

驚いたことに中には私の少女時代の記憶を映したのではないかと思う物語が展開されていた。
村上春樹は古希過ぎの世界に知られた作家。私は喜寿を迎えたばかりの市井の片隅でひっそり暮らす婆アだ。その二人が同じような記憶、似たようなエピソードを持つなんて、誰が想像できようか?


私の母は猫が大好きだった。
昔は野良猫が多く、普通に町なかを、家々の間を歩きまわっていた(というより当時は飼い猫のほうが少なかった)。そんな野良猫たちに母は声をかけ、寄って来た猫の頭を撫でてやり餌を与えた。
用心深い猫のためには離れたところに餌を置き、後で器が空になっているのを見て、安心し喜んだ。

飼い猫は一匹だけいた。許されれば全部飼いたかっただろうが、貧乏所帯を切り盛りする母にはかなわぬことと十分に承知していた。勝手な言い分だが、餌は与えても野良猫に居つかれては困るものだから、母は時折り父に猫を棄てに行かせたのだ。
気弱な父は、母に逆らえずしぶしぶ捨てに行った。
何度か失敗した。気づくと捨てたはずの猫がいるのだ。そんな繰り返しのある日、母が語気強く父に言った。
「今度こそ、ちゃんと捨てて来なさいよ。ついて来ないか、ちゃんと確かめるのよ!」

父はその日、帰って来るのがいつもより遅かった。心配になりかけた時、父が帰ってきた。
母が「どうだった?」と聞くと、父にしては珍しく大きな声で
「捨ててきたよ」と答えた。
今回はかなり遠くの、平塚のもっと先のナントカ橋の向こうまで行った。途中何度も道を曲がり、後戻りしたり迂回したり、来た道を分からなくした、とまくし立てるように母に説明した。
「そう、よかったわね」と笑顔で母が父をねぎらうように言ったその時、
「にゃあぉ」と聞きなれた鳴き声がした。捨ててきたはずの猫が、ちょこんと座っていた。

「猫を棄てる  父親について語るとき」では、タイトルが表すように、父親と村上春樹が一緒に猫を棄てに行く話が書かれているのだが、二人が「やれやれ、よかった、無事捨てられた」と安堵して家に戻ると、玄関には捨ててきたはずの猫が「にゃあ」と二人を出迎えたという。
父親が呆然とし、やがて感心した表情になり、最後にホッとした顔になった。そして猫は村上家で飼い続けられることとなった…という心温まるエピソードとなっている。

村上春樹は父親について語りたかった。そのための導入部としてこの「父子で猫を棄てに行った」平和な一コマを書いたのだ。
父のことを語ろうとするとき、そこに在るのは(立ちはだかるのは、と言った方がいいかもしれぬ)「戦争」である。
本当は「聞きたい、知りたい、書きたい」その核に迫る導入部として、このエピソードが必要だったのだ。

私も自分の父親の思い出の中で、よりによって猫を棄てに行かされ失敗し、母親にどやされた惨めともいえる記憶を忘れられず引きずってきたのは、そこに「戦争」があったからだ。

村上春樹の父は温厚な人柄で、豪放な面も持ち合わせていたが、穏やかでひと言でいえば人格者。教師を務めていたが父親を慕う生徒たちがしょっちゅう家に来ていたという。
息子の春樹とも良く映画を見に行っていたと言い、父子のコミュニケーションもあった。
しかし戦場での体験についてはほとんど語らなかったという。

私の父も戦争の話をまったくしなかった。
比べるのも申し訳ないが、私の父もおとなしくて優しく、一徹なところがあるように見えたものの表面は穏やかで、声を荒げるようなことはまずなかった。

戦争体験を語ろうとしなかった父親が息子春樹に語った唯一の話があるという、捕虜の中国兵を処刑したという話である。その中国兵は斬首されたのだそうだが、ただ静かに座すその姿に父親は畏敬の念をいだき、一生その光景を忘れなかったという。
その処刑を傍観していただけなのか、手を下す側だったのか、父親は語らなかったし、息子もまた訊ねはしなかった。

私の父はと言えば、、晩年認知症になって譫妄症状が現れ始めたたとき、大声を上げ、「支那の女」から必死に逃げようとした。
譫妄状態が少し落ち着くと、娘の私に
「支那の女が追いかけてくる」「悪い女なんだ、どこまでも追いかけてくるんだよ」
と訴えた。
どうやら、女から逃げるために父は大陸から鉄路で、鉄道だけで日本に逃げ帰ってきたと思い込んでいるようだった。
父の記憶の「支那の女」が誰なのか、何なのか、分からない。
父の赴いた戦地の一つに満州があったとも聞いているから、戦争と無関係でないことだけはわかる。

戦争で従軍した父親を持つ私たちは、、何も話そうとしなかったた父親の胸の内をじつは共有しているのかもしれない。
そうでなければ、猫を棄てるという、当時としては珍しくも無い出来事を、こんなにも忘れずに生きてくるはずがない。

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