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「9月の珈琲 Panama:波にさらわれる」

水平線に見える空は、青とはほど遠い色をしていた。
波打ち際に取り残された楽しみを閉じこめたわたしのこころが波にさらわれていく。

Panama:波にさらわれる
砂が足の指にくいこんだ
熱いよりもやさしくなった温かさに
夏が終わることを知った
波打ち際に取り残された
夏にたたずむこころが
寄せては返す波にさらわれていく
通り過ぎていく夏のような酸味と甘み

窓から、白い稲光が盛んに入り込んでくる。
目を閉じて、寝ているはずなのに。
ある真夏の夜の嵐が、わたしに夏の波打ち際を思い出させていた。

海に行こうという約束は、いつ、したのだろう。

そして、海に行く日が近づくとともに、嵐も近づいてきていると知ったのは、いつだったのだろう。
もしかして、海に行くまで、そのことを知らなかったのだろうか。

結果から見れば、海に行きたい気持ちが強すぎて、嵐の接近情報をなんとなくしか聞いていなかったのかもしれない。

そう、あの日、わたしは海に行ったのだ。

水着を着込んで、買ったばかりのビニールボートを手に、電車に乗り込んだ。

行き先は、夏最後の海だ。

もうそろそろ、海が見える。
どきどきとわくわくがこころを掻き立てる。

きた!海だ!

駅から海へと降り立つ階段は、先客たちの足裏についた砂で汚れていた。
階段下には、積み重なった貸し浮き輪が見える。

砂浜に座り込み、パッケージからぺったんこになったビニールボートを取り出した。

大きく息を吸って、空気を吹き入れる。

何度も何度も唇を尖らせながら、このビニールボートが膨らむのにはどれくらいの時間がかかるのだろうと考えた。

それは、わたしが考えていたよりも、ずっと、大変な作業だった。

やっと、ビニールボートが膨らんだとき、水平線に見える空は青とはほど遠い色になっていた。

近づいてくる夏を終わらせる嵐に、砂浜には数えるほどのひとしかいない。

立ち上がったわたしの足の指に食い込んだ砂は、熱いよりも、ずっと、やさしい温かさになっていた。

夏はもうここにはいない。
海にはもうはいれない。

波打ち際には、夏の楽しみを閉じこめたわたしのこころが取り残されていた。
そして、寄せては返す波が、そのこころをさらっていった。

9月の珈琲「Panama:波にさらわれる」の酸味と甘みは通り過ぎたあの夏の波打ち際のようだった。

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