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時という不思議

私には、時の流れというものが不思議でならない。


自律神経失調症だった頃、あれこれ考え、悩み、そんな自分自身に呆れ、うんざりしては苛立つことばかりだった。

そんなときは、苛立った勢いで外に出て、無闇に歩き回るということをよくしていた。


何かの勢いにまかせでもしない限り、当時の私にとって外出することはとても勇気の要ることだった。




その日も苛立ちにまかせて家を飛び出した。


3月の終わり頃だったか、比較的暖かい日だった。


いつもより勢いがついてしまっていた。


徒歩圏内ではあるものの、あまり馴染みのない地域に向かって、ずんずんと歩いていった。

重い気持ちを抱え、何かを振り切るように。


踏切を越え、坂を下り、まっすぐ、まっすぐ、歩いていった。



そして、ひときわ急な坂を下って視界が開けたとたん、満開の桜並木に迎えられた。





先が見えないほど長く続く桜並木。


桜の下にはゆるやかな川が流れ、川辺には菜の花が揺れていた。



思いがけず広がった風景に、不意打ちを食らったようにはっとした。


なんて綺麗なんだろうと思った。



自分の感情に似合わない、輝くほどの光景を目の当たりにして、なんだか気まずくもあった。


さっきまで重苦しい苛立ちに覆われていた心の隙間から、純粋な部分がよいしょと身を乗り出すようにして桜を見ていた。




そばにある学校は授業中なのか、静かだった。


敷地を囲う桜が盛大に花びらを散らしていた。


民家の屋根の上で大工さんが仕事をしていた。


どこかで季節外れの風鈴が鳴っていた。


恐ろしいほど、穏やかな光景だった。




私のなかには、このときのはっとした瞬間がスロー再生のように、ゆったりとした流れで今も刻まれている。


帰り道の記憶はない。





自律神経失調症を発症してまだ間もない頃だったから、今から15年も前のことだ。


克服するのに、10年かかった。



回復に向かうなか、それまでできなかったことをやり、様々な経験をした。


物事の見方や考え方も変化した。



克服から5年経った今、結婚し、このときの桜並木のすぐそばで暮らすようになった。

あの頃知らなかった人と出会い、考えもしなかった生活を送っている。




川辺を行くと、あの日の自分とすれ違う。


普通の暮らしに憧れながら、霧の中を彷徨った日々。



あの頃知らなかったことを今では知っている。

しかし反対に、あの頃悟るようにあった想いが、今ではわからなくなっている。



あの日の自分の目、今の私が思うこと。


時の流れ。


生きるということ。


私には、不思議でならない。

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