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ACミラン01-09パート②一時代を築いたカルロ・アンチェロッティとスーパースター軍団「ACミラン」

Ciao!ドドン小西です。先日のユヴェントス戦は後半に2点先行され、厳しい戦いを強いられましたが、62分ズラタン・イブラヒモビッチがPKを冷静に決め1点差に詰め寄ると、66分ケシエ、68分レオンと約6分間で怒濤の3得点で逆転。最後はレビッチがトドメのゴール、大量4得点を奪ってユヴェントスを粉砕しました。ユヴェントスに勝ったのは実に16-17シーズンまで遡りますので、約3年ぶり(ロカテッリのゴールで1-0勝利・アシストはスソ)。その前は12-13シーズンですから7年前!しかも2点差からの逆転、4得点ともなると記憶にございません状態です(サッキ監督時の4-0勝利くらい?)。年甲斐もなく、興奮しましたし、感動して少し涙腺が緩くなってしまいました。これがグランデ・ミランなんだ!と。以下、スタメン・サブ・試合結果です。(ミラン公式サイトより)

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前回はアンチェロッティが監督に就任してからの8年間を簡単に説明しました。今回は詳細と当時活躍した選手達を紹介します。

02-03チャンピオンズリーグ決勝

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今回はあえて当時のユヴェントスのメンバーも。豪華!両チームともに豪華なメンツなんですね。この戦いが世紀の凡戦と称されるとは思いもよりません。イングランド「夢の劇場」オールド・トラフォードで超満員の観客は数々のスーパープレーやスーパーゴールを期待したことでしょう。前回お伝えした通り0-0、PK戦の末、ミランがCLを制覇します。ユヴェントスはネドベドの出場停止が痛かったと思います。ミランはシェフチェンコの幻のゴール(開始早々のチャンス、オフサイドで取り消しに)など、若干押し気味だったと記憶しています(贔屓目かも)。しかし、延長に入って、交替で入ったロッキ・ジュニオールが負傷。交代枠を使い切ったミランは実質10人での戦いを強いられ、必然的にリスクを犯さないゲーム運びに終始します。この試合は中盤での攻防、巧みな崩しやディフェンスの駆け引きなど非常にレベルが高い戦いだったと思います。決して、ロングボールを蹴り込みスピードとフィジカルを全面に押し出す展開にはなりませんでした。また、PK戦も両チームのGKが神がかっており、ジーダとブッフォンがそれぞれ3本と2本PKストップを披露しています。個人的には好ゲームなので、機会があれば、みなさんも一度観てください。

ちなみにバルセロナで大活躍し、バロンドールも受賞したリバウドが控えにいます。カルチョになじめず、プライベートの問題もあり、04年には退団してしまいますが、セリエA02-03シーズン、アタランタ戦でのスーパーゴールは印象に残っています。

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さて、話を戻します。監督に就任したアンチェロッティの最大の功績は「アンドレア・ピルロ」を本当の意味で発見し、チームの中心に据えたことだと思います。4-3-1-2の3の中央の位置。レジスタと呼ばれる司令塔です。

|アンドレア・ピルロ 1979.5.19生 ITA 

177cm/68kg MF(01~11年)

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01年にインテルから移籍したきたピルロはもともとトップ下の選手でした。しかし、テクニックやゲームを読むセンス、視野の広さ、正確無比な長短のパス、正確なプレースキックなど抜群の能力を持っていましたが、攻撃の起点となるポジションの特性上、常に敵からの厳しいチャージにさらされることになります。残念ながら、ピルロにはそれに耐えられるだけのフィジカルには恵まれていませんでした。それまでインテルでは出番はほぼなく、ローンに出された古巣のブレシアではあのロベルト・バッジョがトップ下に君臨していたため、ひとつ下がったポジションでの出場がほとんどでした。そこでレジスタとして開花する素養が培われていたのかもしれません。アンチェロッティはピルロをレジスタとして起用し、あまりプレッシャーを受けず、その能力を十二分に発揮出来るようにしました。そして、そのまわりには常にボールを狩り、相手を潰し、ハードワークによりピルロを助けるガットゥーゾや優れたテクニックを持つ攻撃的なプレイヤーであるセードルフやルイ・コスタを配置することで、ポゼッションサッカーを確立。イタリア的な守備のバランスも兼ね備えた完成度の高いチームを作り上げました(サッキの愛弟子と呼ばれたアンチェロッティはサッキの組織的なサッカーにパスを繋ぎ、相手を攻略していく独自の戦術を加えた)。そして、ピルロは世界有数のレジスタ「マエストロ」と呼ばれるようになりました。アンチェロッティが去ったあと、怪我が多く、パフォーマンスが低下したこともあり、ピルロはフリーでユヴェントスへ。その後、復活し、またも活躍。ミランとしては痛恨のミスと言わざるを得ないでしょう。

|ジェンナーロ・ガットゥーゾ 1978.1.9生ITA

177cm/77kg MF(99~12年)

ピルロの相棒、サポート的な位置づけだけでなく、その闘争心と無尽蔵のスタミナでチームを鼓舞する「リンギオ-獣の唸り声-」というニックネームがぴったりのガットゥーゾ。彼も当時のミランを語る上で重要な(僕の好きな)選手のひとりです。

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03年に移籍してくるカカやルイ・コスタ、セードルフそしてピルロは華麗なテクニックやパスワークで相手ゴールを陥れることのできる選手たちでした。ただ、彼らの活躍はガットゥーゾ抜きには語れません。彼らをサポートするため、誰よりも走り、敵からボールを奪い、時には最終ラインや最前線まで顔を出し、チームのためにその身を捧げる姿は感動すら覚えるほどでした。もともと、若い頃から闘争心むき出しで運動量が豊富な選手でした。一時はスコットランドのグラスゴーレンジャーズで活躍。伝統的にスコットランドのファン達はこの闘争心むき出しのプレースタイルが大好きで、ガットゥーゾはすぐにファンや監督から指示を得ました。その後セリエAに戻り、フィオレンティーナなどを経て、ミランへ。
ミラン移籍後も彼のスタイルは変わらず、広範囲をカバーする運動量に加えてスペースや人への危機管理能力が非常に高く、ここはファールしてでもとめなければ危ないと言った場面では必ず危険の芽を潰してくれました。よくファールを犯し、言い争い諍いを起こしてはカードをもらっていた印象です😁。あとよく吹っ飛んでいましたね。ミラニスタとなったきっかけはマルディーニでしたが、レベルは違えど私自身が彼のようなタイプだったので、すぐガットゥーゾのことも好きになりました。そして、ピルロとともにプレーする毎に彼自身のスキルも上昇していきました。ちなみにピルロとガットゥーゾはイタリア代表としてドイツW杯で優勝しています(決勝はフランス。ピルロはマンオブザマッチに選出)。
アンチェロッティはよく、「ガットゥーゾには裏切られたことがない」と手放しで賞賛していました。本当に頼りなる漢でした。
「相手から10回ボールを奪うこと。それは1ゴール決めるのと同じかそれ以上の価値がある。ガットゥーゾにはガットゥーゾの仕事があるんだ。」
はい。かっこいい。好きです。ガットゥーゾ。昨シーズンはミランの監督も務め、退任の際は残りの給料は受け取らず、去って行きました。財政的にもミランはとても助かりました。現在はナポリの監督を務め、コッパ・イタリアを獲得。監督になっても熱い魂は変わらずの様子。是非とも監督としても成功してほしいですね。

追記 2019-20、20-21はナポリの監督を務めました。21-22シーズンはフィオレンティーナの監督就任が発表されましたが、3週間後には合意取り消し。上層部との補強戦略での食い違いが大きな要因だったとか。今後の動向に注目です。

|フィリッポ・インザーギ 1973.8.9生ITA

181cm/74kg FW(01~12年) 

01年にユヴェントスから移籍してきたインザーギ。DFラインに生息する生粋のゴールゲッター。点を取ることしか考えてないのでは?と思うほどゴールが大好きなインザーギ。実際にエゴイストと取られることも多く、チームメイトと揉めることもありました。私自身、パスだろそこは!と思ったこともよくありました笑。

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オフサイドライン上でDFの目を欺き、一瞬の隙に裏へ抜けることにおいては右にでるものはいないと思います。また、ゴール前のこぼれ球への反応も誰よりも早く、味方のシュートにすら飛び込んで自分の得点にすることもよくありました。本当にゴールを決めることに特化したCFと言った感じで、今は絶滅危惧種のような存在です。現代サッカーにおいてはCFと言っても求められることはゴールだけではないからです。相手チームのビルドアップに対するファーストディフェンダーであり、味方が運んだボールを納め、捌き、ラストパスを送る、味方のためにスペースを作るetc....。ピッポはやらないんじゃないのかなぁ、、やる姿を想像ができないです。できないかも笑。怪我でまったく稼働していないシーズンもあり、ジラルディーノ加入後はなかなか出番が少なかったものの、復活しレギュラーを奪い返し、ドイツW杯のメンバーに選ばれた時はとても嬉しかったことを覚えています。
インザーキはキャリア晩年はCLなどの大舞台に強い印象です。アンチェロッティはリーグ戦ではインザーギを温存し、大事な試合で何が何でも得点がほしいときにピッチに送り出しましたそして、ゴールを決めるのです。全盛期の切れはなく、衰えていたものの、ゴールへの執念は衰え知らずでした。
引退後は監督業へ。14-15シーズンはミランの監督も務めました。現在はベネヴェントの監督としてセリエBを戦い、ぶっちぎりで優勝!セリエAへ昇格を決めています。ミランとの対戦も楽しみですし、実弟のシモーネ・インザーキ(現ラツィオ監督)との兄弟対決も実現してほしいなと思っています。シモーネの去就次第でしょうけれど。

褒めているのか、貶しているのか、わからない内容になってしまいましたが、私の素直な印象です。大好きなストライカーでした。

“背番号9の呪い”

もはや有名ですが、インザーギが2012年に引退以降、ミランの背番号9をつけたFWたちがことごとく陥るスランプを指す言葉です。昨シーズン途中、ジェノアからミランへ移籍し、ゴールを量産したクシシュトフ・ピョンテクも今シーズンから9番を背負いました。しかし、まったく結果を出せず、ヘルタ・ベルリンへ去って行きました(戦術的ミスマッチなどピョンテクに同情を禁じ得ない面も多々ありましたが・・)。インザーギが9番を背負ったあとは、アレシャンドレ・パト(現サンパウロ)、フェルナンド・トーレス(引退)、マッティア・デストロ(現ボローニャ)、アンドレ・シウバ(現フランクフルト:ローン)、ゴンサロ・イグアイン(現ユヴェントス)、ピョンテク、マンジュッキッチ。さて、この「呪い」。インザーギ本人も困惑しているようです。そりゃそうだ。21-22シーズンの補強でチェルシーからオリヴィエ・ジルーが加入し背番号9を背負うことに。さて、ジンクスを打ち破れるか、期待が高まります。

|アンドリー・シェフチェンコ 1976.9.29生UKR

183cm/72kg FW(99~06・08~09年)

抜群のスピード得点感覚を誇るストライカー。ソ連時代のウクライナのレジェンドであったオレグ・ブロヒンから「ウクライナの矢」の称号を受け継いだ男。はやい、とにかく速かった。ミランだけでなく代表でも大活躍し、欧州の小国だったウクライナを強豪国へ引き上げた英雄

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母国ディナモ・キエフやCLでの大活躍と言った実績を引っさげ、99-00シーズンに移籍してきたシェフチェンコ。セリエA初挑戦でいきなり24得点と、得点王に輝きます(ミランはその年リーグ3位・CL一回戦負け)。また、03-04シーズンにも24得点・得点王となりミランのスクデット獲得に大きく貢献しました。その年にバロンドールも受賞しています。CLでも活躍し、歴代10位タイとなる147試合に出場し、歴代5位の67得点を記録しました。ミラノデルビーでも歴代最多の14得点を叩き出しています。抜群のスピードを活かし、一瞬で相手を抜き去るドリブルと巧みなシュート技術でゴールを量産し、在籍8年で175得点「グレ・ノ・リ」のノルダールに次ぐミラン歴代2位の記録です。私はよくセリエAの実況が「シェフチェンコォ~~~!!!」と叫んでいた台詞を真似していました。それくらい、点を決めまくっていましたね。インザーキとの2トップはとても強力で、観ていて得点の匂いがプンプンいていたものです。
06年に一旦退団し、チェルシーへ。プレミア初挑戦は本来の力を発揮出来ずに08年にミランに復帰します。しかし、以前のような活躍はできず、1年で退団、古巣のディナモ・キエフへ帰っていきました。しかし、彼のミランでの功績は色あせるものではありません。引退後は趣味のゴルフでプロを目指したり、政治家を志したり、色々やってました。現在はウクライナ代表監督を務めていますが、時折、ミラン愛を口にすることもあり、シェフチェンコはいつか監督としてもどってきたいのかなぁと勝手に考えたりしています。

|マヌエル・ルイコスタ 1972.3.29生PRT

180cm/74kg MF(01~06年)

ルイコスタはポルトガルが生んだ世界最高峰のファンタジスタ。魔法の足をもっていると称されるテクニシャンであり、観るものを魅了しました。

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フィオレンティーナ時代のバティストゥータとのコンビは強力でした。そのルイコスタがミランへやってきたのは01年。フィオレンティーナの財政悪化もあり、放出された形での移籍でした。加入直後の怪我で最初のシーズンは棒に振ってしまいます。徐々に調子を取り戻すのですが、03年に加入したカカにポジションを奪われ、出場機会は限定的になってしまうものの、ミランで124試合65アシストは驚異的な数字と言って良いと思います。非常に柔らかなボールタッチで次々と相手をかわすドリブルと長短の創造性豊かなパス。天才と呼ばれる所以でしょう。また、人柄についても非常に素晴らしい。カカにポジションを奪われるも、彼はカカへの賞賛を惜しまず、むしろアドバイスを送るほど。カカ自身もルイコスタへの感謝の言葉を残しています。

|クラレンス・セードルフ 1976.4.1生 NLD

176cm/76kg MF (02~12年)

中盤のすべてのポジションを務めることができるユーティリティー性とテクニック、高い身体能力を合わせ持つ。ロングシュートも大きな武器。

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02-03シーズンに永遠のライバル・インテルからフランチェスコ・ココとのトレードでミランに加入。現代サッカーにおいてユーティリティー性は必要不可欠だが、彼ほど、完成された万能型はいないと思います。カカやピルロの活躍が目立ち過ぎたので、彼らに比べるとちょっとだけ影が薄い(あくまでも彼らに比べたら)きらいはあったが、どのチームでも中軸を担う実力者です。当時ものすごく巨漢なイメージでしたが、実際は170cm台と意外と小柄だなぁと思ったものです。アヤックスやレアル・マドリード、そしてミランでCLを制覇しており、3つの異なるチームでCLを制した唯一の選手です。ミラン退団後は現在、本田選手が所属するブラジルのボタフォゴへ。

選手時代からの戦術マニア。監督の指示にも口をだし、怒りを買うこともあったとか。ついたあだ名は「プロフェッサー」。13-14シーズンの後半ミランの監督も務めました(8位に終わり、解任。次はインザーギが監督に)。

|アレッサンドロ・ネスタ 1976.3.19生 ITA

187cm/79kg DF (02~12年)

ミランのマルディーニ、ラツィオのネスタ。ラツィオのプリマ上りで、シンボル的な存在だったが、同チームの財政難によりミランに売却される形で移籍してくることになった。現代的なセンターバックに必要なすべての要素を備えた世界最高のDF。マルディーニとネスタ。これほど相手にとって嫌な敵はいないだろうと思います。

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強靱なフィジカルとスピード、危機察知、1対1や空中戦の強さ・・・。どれをとっても超一流。ただ、時折不調というか、不安定なパフォーマンスを見せることもあっただけに、ひやひやすることもありました。それでも多くの選手から「最も対戦したくないDF」としてよく名前があがっていましたし、そのプレーは華麗でクレバーな印象。ちなみに、イタリアでは「最高にセクシーなサッカー選手」に選ばれたこともあります。イケメンだもの。ちなみにラツィオ下部組織への入団はネスタの父親が熱心なラツィアーレだったからだとか。本人もミランへの移籍は愛するラツィオを救うための苦渋の決断であったようです。

|カハ・カラーゼ 1978.2.27生 GEO

186cm/76kg DF (01~10年)

セリエA初のジョージア出身の選手。ディナモ・キエフでの活躍を評価され、23歳の時にミランへ。DFならサイドバックもセンターバックもこなせるため、マルディーニが不在時には左のセンターバックを務めることも。

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スタープレイヤーだらけのミランにあって、高い守備力と継続して安定したパフォーマンスを披露することから、すぐに左サイドバックとしてレギュラーになりました。上背もあったので、センターバックを務めてもそつなくこなす守備の何でも屋さんといった感じでしょう。ディナモ・キエフ時代はシェフチェンコともプレーしており、ミランで再び共演することに。DFながらミランでは12得点と攻撃においても重要な存在でした。彼に関しては、プライベートで苦難が多かったようです。実の弟が身代金目当てで誘拐され帰らぬ人となった事件がありました。そんな悲しみを背負ってプレーしていたと思うと心が痛みます。引退後はジョージアで政治家となり入閣まで果たしています。

|ジーダ 1973.10.7生 BRA

195cm/85kg GK (00~01年、02~10年)

優れたアタッカーがたくさん存在するブラジルでは、優れたGKも育つ。ジーダはブラジル人GKのイメージを大きく変えたと言っていい活躍を見せました。CL決勝での3本のPKストップは永く語り継がれる伝説です。

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ブラジルはコリンチャンスからミランへ移籍するものの、イタリア語でのコーチングができなかったこと、ロッシやアッビアーティとの序列を崩せず、コリンチャンスへそのままレンタル。しかし、戻ってきた02-03シーズンにアッビアーティの負傷で巡ってきたチャンスを見事に掴み、正GKの座を奪取。翌シーズンはセリエA最優秀GKを受賞するまでの選手へ成長しました。しかし、04-05シーズンのミラノデルビーで、暴徒化したサポーターが投げた発煙筒が頭に当たり、怪我。本人もトラウマと語るが、そこらかパフォーマンスに波が・・。本当にその影響かはわかりませんが、イジーミスと怪我をちょこちょこ繰り返すように。しかし、時折、神懸かったビックセーブを見せ、ミランを救うことも多く、ミラニスタからは愛されていました。在籍期間中、絶対的な存在であったシーズンもあれば、アッビアーティから正GKの座を再奪取されたりするなど、ぐちゃぐちゃしていた印象ですね笑(個人的な見解です。彼のことは大好きです)。

如何でしたか?本当にすばらしい選手ばかりです。その選手達をまとめたアンチェロッティの手腕も見事なものです。次回はブラジルからカカがやってきた後のミランをご紹介します。カカは本当にすごい選手ですよ!そして、ミランはブラジル人王国となっていきます😁

さあ、7/13早朝はいよいよ6位ナポリとのEL予選出場をかけた大一番です。私はいまから寝ます。リーノ(ガットゥーゾ)に恩返しを!本人はうれしくはないだろうけど。Forza Milan!!おやすみなさい(-_-)zzz

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