心のしこり、解決の糸口 〜母の日に寄せて〜
※間違って全記事削除してしまったため再掲します。date:2020/05/10 00:55
私の反抗期は人より遅めだった。
一人暮らしをスタートした友人達が、親のありがたみを実感している大学生の頃にやってきた。
教育学や心理学を学ぶ中で、いろいろな気持ちが渦めいた。
「自分の性格は母親のああいった言動のせいで作られたのだ」とか、「あの時こんな風に接せられていたら」とか。
誰かを否定することで自分を肯定したかったのかもしれない。
でも当時はそういった恨みの感情が湧き出ては止まらなくなっていた。
虐待を受けているわけでもない、愛情を注いでもらってないわけでもない、お弁当も頼んだら作ってくれたし、晩ご飯だって「これ好きでしょ?」と作ってくれる。
でもなぜか、私の何かが母親を許そうとしなかった。
まだまだ甘えた考えのある自分と、更年期に差し掛かって常にイライラしている母親。
人間的にも真逆なタイプで(反面教師で真逆になったのかもしれないが)、母親をThe女子!みたいな人と表現するならば、私はどちらかというと男っぽいドライさがある人。
ジェンダーの固定概念を表現として用いるのは適切ではないし気分を害してしまっていたら大変申し訳ないのだけれど、周りの友達からはそう表現されることが多い親子だった。
だから価値観の違いが原因で上手く噛み合わない。衝突が起きる。
お互いを尊重できてないカップルかよ、とよく思ったものだ。
母の日は苦痛だった。
もともとプレゼントやこういった特別な日に対して苦手意識があることに加えて
世の中の母親に感謝しましょうという風潮と、心の中の母親に対する憎しみの感情
これらのせめぎ合いがいつにもまして強くなる日でしかなかったからだ。
お手紙を準備してみても、結局何か口論になったり、勝手に母親の言動に失望して渡せずじまい。そんなことも多々あった。
〜
なんとか明るい方向に話を持っていけるかと思ったけれど、少し難しそうだ。
母の日前日ということで、今年の手紙を書く前に気持ちを整理しようと記事を書き始めたのだけれど、まとまりそうにない。
実のところ、大学生の頃よりも薄まったけれど、まだ母親を許せていない自分もいる。
読んでほっこり〜を期待されていた方には申し訳ない。
けどひとつだけ、最近の気づきを残しておこうと思う。
「親を許せないのは今の自分であって、過去の自分ではないんじゃないか?」
小さな気付きだけれど、この謎の憎悪心を解く小さな希望の光の様に思えて、最近心の中で考え続けている問いである。自分以外の人にどれぐらい伝わるのかは分からないけれど。
この気づき/問いが思い浮かぶ前は、
心理的傷を負った幼い自分を癒してあげたくて、今の自分が代わりに母親に訴えているというか。「あの時はごめんね、寂しかったよね、お母さんが間違ってたよ」と今の自分を通して幼き自分に言ってくれるまでは許せないのだろうと思っていた。
でも、「その傷、自分でどんどん大きくしてしまってない?」と。
とある小さな女の子の切り傷をかわいそうに思うあまり、まるで意図的に車で轢かれたかの様な騒ぎ方をしているとすれば、それって何だかおかしくない?ただの過保護じゃん、クレーマーじゃん。
ましてや意図的でも何でもないのに。
大きくなりすぎた傷を小さくしていくのは難しい。
でも、この気付きが何となく解決に導いてくれる様な気がするから。
〜
上手く文に起こせずどれぐらい伝えられているのか想像もつかないけれど、同じ様な気持ちを経験したことがある方のヒントになれば嬉しいなと思う。もし何かのご縁で専門家の方や同じ課題を乗り越えた方が読んでくださっているのなら、解決の糸口を頂けたらなぁ、だなんてことも。
さて、明日は母の日。
かわいらしい3色のカーネーションの準備は万端だし、あとはお手紙だけ。
ネガティブな感情で見えなくなりがちだけれど、日々感じ取っている感謝の気持ちを素直に伝えられます様に。
〜
ほんっっとうに支離滅裂な文章になってしまいました。
ここまでお付き合いしてくださった画面の向こうにいるあなたへ、良い一日になりますように。
Thank you for reading!
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